武威帝マクシミリアン②
マクシミリアンは自ら志願して、父の数少ない出征の一つに砲兵准将として参戦し、1個半軍団の指揮を執ったことが伝えられる。一族の命運をかけて護衛にあたっていたウォルフガング―このころはマクシミリアンに合わせて大佐になっている―は自分の君主が血気にはやるのでるのではないかと気が気ではなく、「もしわが君が蛮勇をふるって前線に出ようとしたら死罪覚悟で取り押さえるつもりでいる」というもはや悲痛な手紙を妹に宛てている。
マクシミリアンの輝かしい軍歴は後世の兵法家の研究の種になったが、彼の初陣もまた、革新的な素地を見せていた。彼はそれまで補助的手段でしかなかった砲兵をむしろ次世代の主兵力とみなし、歩兵同士の争いではなく、機動的集中的に面的制圧を加えることを考案した。彼は技師に命じて、原始的な炸裂弾を作成させ、これは敵の騎兵に動揺を与えてその突撃力を大いに減じた。
マクシミリアンはまた、部隊にはあらかじめ大まかな方針を伝えては、残りの判断は各部隊の判断に任せた。これは、大規模部隊を逐一指揮官が命令するこれまでの仕組みとは大きく違っていた。部隊を複数に分遣し、戦況の変化に対して現場指揮官の裁量を増やしたのである。これは、洗練された中級指揮官を持つ部隊では、戦術レベルの意思決定が迅速になり、引いては戦略的な主導権を握ることに貢献した。マクシミリアンの指揮を間近で見てきたウォルフガングは後年、「わが君の軍才は、知略よりも感性、思考よりも反応というものだった。あの少年のような大きい眼は常に外界に向かって開かれ、戦略的機会を求めて縦横無尽に戦場に閃いたのだった」と述懐した。