武威帝マクシミリアン①
父帝ジギスムントは華麗帝、黒衣帝、文人帝などいくつかあだ名はあるが、マクシミリアン一世は武威帝とほぼ例外なくあだ名は統一されている。実際、マクシミリアンはオットー叔父の気風にならったのか、若年のころから武芸にたしなみ、ジギスムントの学芸趣味を半ば拒否するように簡素かつ実直な振る舞いを心掛けた。義弟ボルディンが好んでジギスムント帝や取り巻きの貴族との会食をしたのに対し、マクシミリアンはわざわざ近衛兵団の食堂で固くなった麦パンをワインに浸して食べた。何度か父帝はマクシミリアンに自身が好む人文的書物を与えたが、息子はこれを護衛で親友のウォルフガング少尉に全部譲ってしまった。だがウォルフガング少尉の方でも皇帝の書物をどう扱ったらいいかわからずに困惑するばかりである。結局彼は帝国図書館に寄贈したが、実は一冊だけは家に偶然残り、ウォルフガングの甥が余白にいたずら書きをしてしまった。ウォルフガングはこれは死罪に値する罪ではないかと恐れいりながらジギスムント帝に跪いて詫びたところ、ジギスムントが笑って許したという冗談話の様な逸話が残っている。
マクシミリアンは父も義弟ボロディンも嫌ってはいなかったが、その気質が自分とどことなく違っていたのを知っていた。顔立ちも、父とは当然似てはいるが雰囲気はだいぶ異なり、むしろ義弟ボルディンのほうがジギスムントの実の息子だと言われた方がしっくりきた。自分の体が鏡の中で日々男性的に隆起し、逞しくなっていくのを見れば、ジギスムントの、洗練されながらも柔和な物腰の種からはどうにも結びつかないのであった。
記録の伝わる限り、マクシミリアンは幸福な少年時代を過ごした。ボロディンとは物心つくまえより兄弟として変哲もない家庭の雰囲気の中で育てられたので、しばしば父親が政争に頭を悩まし、銃を胸に忍ばせ毒見役を5人も6人も雇わなければならないのを理解しがたく思っていた。ジギスムントは乗馬を、ボロディンは詩歌を好むように対照的な兄弟だったが主だった喧嘩の記録はささやかなものを除いて残っていない。もちろん、実父を殺したのは義父であるなどとは当然厳重に伏せられていたがボロディン少年がそれを何らかの形で知らないとも限らないし、マクシミリアンがオットー帝や祖父と似たような青年に育っていくのをジギスムントがどのような心中でいたかなど、歴史家が穏やかざるものを推測するには十分な材料はあることは疑いない。
そして、マクシミリアンが初めて歴史の表舞台に立つのは宮廷ではなく軍人としてであった。