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こうして宮廷内の権力を確立したジギスムントは、それまでの遠慮を捨て内政に辣腕をふるった。運河の運賃は大幅に値下げされ、製鉄技術の輸入を進めた。戦争によってでも海に面する領地を確保し、外港を整備したことで食料供給は安定した。さらには官職制の改革によって社会はより開放的になった。これらのことはジギスムントの施政の功績に挙げられる。
他方で、ジギスムントの政治の欠点に挙げられるのは軍制の停滞である。オットー派についていた改革派の青年貴族将校は閑職で無気力化し、他の貴族の様に強欲にふけってしまった。またオットーなき後の軍幹部との妥協の必要から旧体制を維持せざるを得なかったため、外征においては負けが込んでいる。
また、宮廷予算の莫大化も問題だった。地主層と貴族層の間のバランスをとって権力を維持したジギスムントは豪奢な振る舞いや尊称の贈与で彼らの虚栄を満たしたので、宮廷内のマナーは必要以上かつ意味不明なほど複雑化し、宮廷行事は宝石や上質のラシャなどを多用し、先帝の3倍には宮廷予算は膨れ上がった。
ジギスムントは貴族階級を喜ばすために空疎な麗辞を弄し、身分ごとの儀式の差別化を徹底した。衣服の色から素材までの区別はいやおうなしに虚飾をあおり、その陰で衣服業者から多大な献金を受けた。地主層には官職を与え、忠誠と引き換えに権力装置を確保した。ジギスムントは地主と貴族の間に嫉妬心と権力欲の複雑なパズルをうまく取り持って権力争いを常に自分への忠誠争いに挿げ替えていたのだ。複雑な権力の重力場の中心には常にジギスムントがいた。だが、ジギスムント当人にも複雑化を続ける宮廷装置に終いには自分のやっている公務がはたして形式上のものか実際上の利益があるのか、よくわからなくなった。
ジギスムントは帝権がまだ定まらず、権力基盤の弱い時代にあって効率的にその権力を行使した。武断的ではないが、駆け引きと振る舞いの妙で権力闘争を生き延びた。しかもその闘争とはジギスムント自身のいわば自作自演で、巧妙に自ら作り出した波風に自ら仲裁者としてふるまったのである。宮廷の古くからの住人である貴族も新たに招きいれられた地主も互いに敵対し憎み合ってはいたが、その争いをあえて生み出していたのが皇帝とは気づきもしなかった。
この時代は経済的に富み、政治も堕落の傾向はあったが一応安定した。ただし、宮廷内での流血の事態はしばしばみられ、ジギスムント自身もその危険にさらされることも一度ではなかった。毎日を慎重の上に慎重を重ねすごしたジギスムントは晩年は神経衰弱の体で容姿は老け込んでしまった。その為息子マクシミリアンに後継を定めた後は、心労から数年もせずに死去してしまったのである。