太陽が溶融したような朝陽に吠える①
さらにジギスムントに有利になったのは数年後、彼が第一子マクシミリアンを得てからである。皇帝の第一子は金髪碧眼、幼いながら祖父の目鼻立ちを伺わせる美男子で、これはジギスムントが愛人の子であるというまとわりつく噂を相当程度消し去った。もちろん、皇后カトリーナがつやのあるブロンドで、彼女の遺伝子であるという可能性は当然あるのだが、宮廷の人々は客観よりむしろ願望からこの皇太子をしてジギスムントの正統の証とみなした。
これに危険を感じたのはオットーの側近である。皇太子誕生の報に触れ、オットーの立場がさらに弱まると懸想した彼らは派の結束を強め始めた。形式的には軍事的な勉強会の形式をとっていたのだが、すぐに派手好きな貴族将校が活動を活発化させるとおのずと緊張は両方の陣営にまとわりついた。オットーが兄に無断で大規模な軍事演習を行い、その戦術が優れていたためにかえって隣国の過剰な反応を生むにいたるとジギスムントも事態を看過できず、呼応して宮内尚書クナイゼルの私兵部隊に勅任憲兵隊の地位を与え、装甲兵部隊を宮廷警護にあてた。この時の憲兵隊長オルブレヒトは後々までジギスムントの軍事的側近になった。
宮廷内の緊張はそれでもそれから半年ほど決壊まで猶予があった。その決壊の発端は、奇妙な運命の結果か、オットーの長子ボルディンの誕生である。長子といっても妾腹の子で、ボルディンは目鼻立ちこそオットーに似ていたが、母の黒髪黒目を受け継いでいた。かつて皇帝の黒髪黒目を批判し自分の金髪碧眼を誇ってきたのであるから、運命のしっぺ返しは強烈であった。ジギスムントはむしろその容姿からこの幼児に愛着を持ったそうだが、このことを家族の列席する小さな宴席で口にするとオットーは酔いもあって「黒髪など不義の子だけがもつ色」と失言した。オットーはボルディンのことを言ったと推測されるが、兄は自分への侮辱ととった。これもまた多少なりとも痛飲していたジギスムントは激高のあまりその場で不敬罪を宣告し弟を射殺してしまった。
一度事が始まればもはや止まることはできないし、止めることができたであろう者はすでに死んだ。オットー射殺直後ジギスムントは顔面蒼白で、一迅の風にも耐えられそうにないように見えた。君主の突然の蛮行に言葉を失っていたオルブレヒトに宮廷内の出入りを厳に禁じた他にはジギスムントは言葉を発せず、動揺を抑えるために暫く自室に引きこもった。だが、1時間後に部下たちの前に姿を現したときの彼の表情には艶があり、目には意思の光が満ちていた。ジギスムントはこの時こそ運命が自らの扉をたたきに来たと気づいたのである。ジギスムントは即座に手持ちの部隊を招集し、オットー派の一斉摘発を掛けた。勅任憲兵隊はただちにオットー派の部隊を相次いで拘束、大量の逮捕者と死者を出して鎮圧した。軍務につかぬ貴族たちには禁足令が出され、長い取り調べののちに特権と肩書きを奪う処罰を下した。
ジギスムントはオットー派の部下筆頭のシューマッハ中将には厳罰を下し、次席とみなされていたオコンネル少将を厚遇で引き入れた。誰が許され誰が許されないか解らない状況では皆せきをきってジギスムントの愛顧を求めた。宮廷及び首都の一部には3週間の戒厳令が引かれたが、それが明けるころには、ジギスムントの帝権に猜疑をはさむものは誰もいなくなった。その最も象徴的な光景は、ジギスムントがオットーの子ボルディンを養子にしたことである。ジギスムントが権力を完全に掌握したのである。