夜にその名を呼べば3
こうした逆境の中で、ジギスムントが薄い自身の権力基盤を強めるために注目したのは新興の市民層であった。初代ルドルフの時代には農奴階級としてしいたげられた存在だったが、このころまでにはいくつかの家が頭角を現し、資本の蓄積を始めていた。ジギスムントはその内被征服民出身のアルフレッド・マッキンタイアを個人的な晩さん会に招いたのを皮切りに、積極的に彼らの知己を求めた。
また宮内尚書クナイゼルは彼らに対し皇帝への個人的寄進の見返りに納税の義務を大きく減らした。このことでジギスムントはその個人的財政基盤を大きくした。役人は金が足りなくなればジギスムントに内密に陳情し、彼はそれに気前よく答えた。このような個人財政を基に彼は慈善事業や都市計画を拡大させると同時に役人への影響力を増やしたのであり、その規模は「ジギスムントのポケット」とオットー側の蔑称にもなるほどだった。
ジギスムントが外部への露出を増やし、演説や慈善事業を通じ大衆の支持を求め始めたためにオットーは徐々に危機感を募らせ、外征によってその存在感を示す機会を要求した。もとより先だって隣国との小競り合いで小さいが連続して敗北をこうむっていたジギスムントであり、オットーには面目躍如にうってつけの機会と思われた。ジギスムントは予算の不足を理由に難色したが、ある時オットーは宮廷で衆目に公然とこれを奏上し、兄弟愛を演じてきたジギスムントは受け入れざるをえなかった。
オットーははじめジギスムントのポケットをあてにしたが皇帝の私費であることを旨にこれは容れられず、代わってオットーは慣例を超えて軍人の資格で議会での演説を要求した。これもまた容れざるを得なかったジギスムントは無言の抗議として議会を病欠し、儀典尚書ニコラウスと国務尚書オトフリートに代理出席させた。オットーはそれまでの軍事費を大きく凌駕した予算案を議会に提出した。
二個師団増設をはじめとした大規模な軍制改革は確かに軍事的な側面からは大胆な改革であったが、その予算はその他インフラを犠牲にせずにはおかず、皇族軍人でも控えめな反論は絶えなかった。それにオットーは短気を起し自分の芸術的革新的改革を理解せぬ無教養なものに思いきり悪罵を浴びせ、不敬罪での逮捕すらちらつかせた。三日間に及ぶ議会での皇族演説の記録は「聴取困難」などと記される場面が多かった。無論、皇族に対して野次を飛ばす勇気のある議員もなかなかいるはずもなく、それは皇族にふさわしからざる言説を覆うための措置だった。これはつまり、オットーの罵詈雑言自身がオットーの「芸術的」政策の大部分を歴史家の目から奪ってしまった訳である。