夜にその名を呼べば2
ジギスムントは初代二代目と共にあった金髪碧眼の遺伝子は持たなかった。むしろ女性的な雰囲気を持つ黒眼黒髪の若者で、一見して弱気そうな印象を与えた。ジギスムント帝の即位の直前には弟オットーとの間に激しい跡目争いがあり、オットーは兄の容姿が父帝とは大きく異なっていたことから彼を愛人の子であると影で誹謗した。既に死去していた皇妃アンネは豊かなブリュネットと美しい黒目の女性でジギスムントはそれを受け継いだとみられていたが、彼女が半ば公然と囲っていた愛人フリードマン子爵もまた同様であった。またジギスムントが父よりもはるかに長身に育ったこともその弾劾に無責任な噂のおひれをつけさせ、証拠もなにもない無茶苦茶な主張であったがオットーの中傷は無言の重圧をジギスムントに与えたのだった。
実際ジギスムント自身にも自分が父の正当なる継嗣であるとは自信がもてずにいた。母アンネは美貌の誉れが高かったが貞操には期待できそうになく、多くの関係が噂されていたからだ。先帝の治世の間この父子の間には愛憎の複雑な交差が結ばれ、その結節点には母アンネがいた。アンネはジギスムントを溺愛したが息子は母を憎悪した。そのことはアンネが弟オットーをある高級軍人を教育係りに任じ預けた一方、ジギスムントを13歳までの間女装をさせる奇特な習慣、あるいは性癖をもって自ら養育したことにも大いに示唆される。
あるいは、オットーが威風ある父の相貌をよく受け継いだ金髪碧眼であったこともその噂を助長したのかもしれない。結局兄が無事に即位したとはいえ、なお皇位継承権のあるオットーの周囲には一定の貴族サークルが出来上がり、宮廷内に毎年のはじめに「今年こそが君が年」などと挨拶をするような異分子が形成された。ジギスムントが気にしていたことに、宮廷内の自身の勢力が自分を推挙した司法尚書と宮内尚書のみであり、軍の支持はオットーのほうに傾いていた。ジギスムントはパレードに列席するたび、その場にはヒョロヒョロとしたわが身よりもオットーの偉丈夫の方がよほど似合っていることがなんともわびしく思われたし、文芸に凝って軍の人気取りをしてこなかったことを後悔したのである。
ジギスムントの治世のはじめの数年はもっぱらオットーの勢力との駆け引きと自身の権力強化に費やされた。公には先帝の喪に服するということであったがこの間皇帝が外にめったにでてこなかったのはむしろ度重なる晩さん会などで宮廷内での人気取りに勤しんだためである。この間にもオットーは帝国陸軍軍令部副長から教育総監の地位になり名誉職扱いではあったがその武人的性格を強め、結局ジギスムントは軍の支持をオットーから奪うことをあきらめ、もっと血なまぐさい権力闘争を覚悟するようになった。