第六幕 僥倖
私のノートをいつの間にか二人が読んでいた。
「これって、貴女の事情?」
イジーアスがハーミアにデメトリアスとの結婚を迫るシーンを書き連ねたページだ。
「いいえ、そういう話なの」
実際、書いていて辛かった。
「ハーミアが羨ましい、だってライサンダーもヘレナもいるもの、お父様だって、ライサンダーかヘレナどちらかがいたら、あんな無茶は言わなかったと思うのに」
「ライサンダーとヘレナ、両方そろっているのに考えを変えない頑固な父親を持つハーミアは貴女を羨ましいと思うわよ」
マンドリンの言うことは誠にごもっとも。それ以上言うのをやめた。
「明日から仕事に戻るわ、そろそろ有給もなくなりそうだもの、そうね、マグダレンもホテルにこもってしばらくゆっくりしたほうがいいわ、騒動続きで疲れているんじゃないの」
マンドリンの言葉に私は頷いた。
実際状況は解決に向かっている。これ以上できることはもうないかもしれない。
「まあ、ちょっと嫌なこともあったけどね」
マンドリンが眉を顰める。
「アンドレアと伝話で話したの。ちょっとね、鬼の首みたいに私のことを言いふらしていた人がね、ずいぶんとティミーに親し気にしていたって」
「それはつらいね」
「いえ、もうティミーに未練はないの、今度のことが解決したらもう別れると思う。ただ、まさかと思うんだけど、まさかとは思うの」
幾度か繰り返す言葉になんとなく見当はついた。
「ああ、わざとじゃないかと疑ってるんだ」
相手がマンドリンではないと百も承知で、マンドリンがと言いふらす。同機は十分だし、疑ったとしてもマンドリンが賤しいとはみじんも思わない。
「ありそうだねえ」
メアリアンも同意する。
「あの、頼んでいい、父に、このホテルを連絡先にと伝えたの、もう父も錯乱していないだろうし、だから父との伝言を頼みたいの」
「いいよ、それくらいなら、何でもない、ついでに伯父様に私の父を説得してもらいたいけど、頼んじゃダメかな」
「そうね、それがいいわ」
私は仕事を再開した。ごたごたしていたので、仕事が大幅に遅れている。
麝香草、クリンザクラ、はて。
私は元々あの世界の植物には疎い、だから植物の名前でその姿かたちが脳裏に浮かぶということがない。
そしてこの世界の植物にも詳しいわけではない。だからこの植物名をどんな植物に置き換えればいいのだろう。
「後で、メアリアンに頼んで図書館で植物図鑑でも借りてきてもらおうか」
転生者も大勢読む。あまりかけ離れた植物では苦情が来そうだ。あちらの植物図鑑を手に入れることは不可能だし、転生者もそんなものは作らない。意味がないからだ。
薔薇くらいなら簡単なんだけど。
ああ、仕事が詰まる。
ルームサービスのお茶を飲みながら、ノートに赤い線を入れていく。
大体の翻訳は終わっている。後は細かいところだけ、その細かいところが面倒くさい。
「伝報が入っております」
ドアの向こうでそう呼ぶ声がした。
「伝報だけ入れてください」
振り返ってそう言うと、ドアの隙間から薄い紙が差し入れられた。
「伯父様かな」
そう思いつつ、伝報を開くとその差出人に凍り付く。
ランサム・アーカイブス。
いや、元々きちんと身分を名乗って宿泊しているので探し出すことは不可能ではないだろう。
開けなくてよかった、もしかしたら扉の前にいたかもしれない。
伝報の中身は私の不実をなじる内容だった。だから私じゃないんだけど。
やれやれとため息をついて後を読む。
どうしてこれから誰かとデートをする場所と時間が書いてあるんでしょう。
馬鹿もたまには役に立つ。
私はマンドリンとメアリアンを待つことにした。