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7.一の姫の婚約

 その日、執務室で私を待っていたのはイソラではなく大司祭様だった。

 一目で特別な書類と分かる上質な紙を広げ、承認のサインを求められる。言われるがままに名前を書こうとして、ふと文章に目を留めた。


 ――アキラ姫・カイスベクファ第二王子の婚約に先立ち、以下の取り決めをカイスベクファと結ぶ


 難しい言い回しが使われてるせいで全部は理解できないけど、これってアキラちゃんが婚約するのを女神が認めるっていう公式文書だよね?


「大司祭様、説明して下さい」


 アキラちゃんはまだ十四歳だ。ミレルでの成人は十八だから、あと四年もある。

 それなのに、もう将来を決められてしまうの?


「もちろん実際のお輿入れは一の姫様の成人を待って、ということになります」

「カイスベクファってどこの国ですか? ミレルから遠いの?」


 アキラちゃんが、政略結婚の道具にされてしまう。

 たった一人の家族が、この国からいなくなる。アキラちゃんしかいないのに。私には、アキラちゃんしか――。

 いてもたってもいられなくなり、私は矢継ぎ早に質問した。


「いいえ、隣国です。今はあまり良い関係とは申せませんが、一の姫様とあちらの王子とのご婚約が相成れば、我がミレルにも大きな益となりましょう」

「良い関係じゃないって……そんな国へアキラちゃんを行かせるつもりなんですか!?」


 敵意を抱いた向こうの王族から手酷く扱われる可能性に思い当たり、私は立ち上がった。誰も味方のいない外国で一人、ポツンと立ちすくむアキラちゃんの姿が脳裏に浮かび、寂しげに揺れる。


「そんなこと、認められません!」


 悲鳴をあげた私の前で、久しぶりに大司祭様は両膝をついた。


「女神様、どうかお心をお鎮め下さい。貴女様は、聖なる存在でございます。世俗から遠ざけられ、崇められなければならない尊き御方なのです。外交の話など、本来お耳に入れるべきではございませんでした。伏してお詫び申し上げます」


 白髪のおじいちゃんの土下座は、見てて気持ちいいものじゃない。

 罪悪感で潰れそうになるから、本当に勘弁して欲しい。


「ちょっと待って、それ止めて下さい。お願いだから、立って下さい」


 頑なに動こうとしない大司祭様を宥めているうちに、心が落ち着いてくる。

 突然の話に驚き、みっともなく取り乱してしまった自分が恥ずかしくなった。


「これだけは誓って申し上げます。一の姫様に無理強い申し上げたわけでは決してございません。むしろ、一の姫様は乗り気なご様子でした」

「そう、なの?」

「はい。国民の為に出来ることがあるのなら、喜んで隣国との架橋になりたいと仰せでした」


 アキラちゃんは女神の娘として、顔も見たことのない男の人に嫁ぐ不安より、国の利益を選んだんだ。

 なんてすごい子なんだろう。胸の奥が熱くなる。

 やはりアキラちゃんは『姉』なのだとしみじみ思った。

 覚悟のない女神わたしなんかより、よっぽど腹が据わってる。たぶん随分前から、自分の立場を自覚して動いてきたんだろう。だからいつもあんなに、凛としてるんだ。


「……アキラちゃんは、すごいね」

「では、署名をお願いできますか?」


 頷くと、ようやく大司祭様は立ち上がってくれた。

 震えそうになる指に力を込め、空欄に名前を書く。

 

 羽ペンを文書から離した瞬間、脳裏に浮かんだのはイソラだった。

 アキラちゃんが嫁いでしまったら、イソラはどうなるんだろう。あんなにアキラちゃんを大切にしてるのに、引き離されてしまうんだろうか。

 それでイソラは、本当にいいんだろうか。

 

 無性に悲しくなり、私は執務室を出ることにした。

 じきにイソラがいつもの書類を持ってやってくる。

 今、彼の顔を見るのは辛い。平然とした表情を浮かべていても、悲しそうな瞳をしていても、どちらでも傷つく自信があった。


「もう終わりですか?」


 続き部屋になっている控え室のソファーから、エーリクが立ち上がる。

 今日の近侍はエーリクだったか。……エーリクで良かった。彼になら、情けない自分を曝け出せる。彼の中の私の評価は元々ものすごく低いから。

 泣きそうに歪んだ私の顔を見ると、彼は大きなため息をついた。


「大司祭殿にお小言でも貰いましたか?」

「そっちの方が良かった」

「話せば楽になることなら、聞きますよ」


 聞くだけでよろしければ。慰めは期待しないで下さいね。

 いつものエーリク節に、思わず笑ってしまう。笑った拍子に、涙が出た。


「姫様は泣いてばかりですね」

「ばかりって言うな。まだ2回目でしょ」


 ドレスの袖で目を拭おうとすると、エーリクに腕を押さえられる。


「化粧が剥げて、目も当てられない顔になりますよ」


 それもそうか。差し出されたハンカチを受け取り、目の下をそっと拭いた。エーリクのハンカチからはいつも良い香りがする。


「以前お貸ししたハンカチと共に返して下さいね。姫様に取られるので、何枚あっても足りません」

「それ今言うこと!?」


 エーリクと話してると、感傷的な気持ちがどんどん抜けていく。

 ぐずぐずと泣いてるのがバカらしくなった。女官に頼んでハンカチ返して貰おう。不在の間に隈なく掃除されるので、エーリクのハンカチがどこにあるのか私も知らないのだ。


「アキラちゃんの婚約が決まったんだって。カイスベクファって知ってる? そこの王子様と結婚して、十八になったら神殿からいなくなっちゃうんだって」


 エーリクは真顔で私を見つめ返す。

 ただ聞くだけというのは本当で、相槌さえ打ってこない。


「これで本当に、一人ぼっちになるんだなって思った。アキラちゃんが心配なのも嘘じゃないけど、私は自分のことが可哀想になったんだよ。アキラちゃんは立派に責任を果たそうとしてるのに、私は自分のことばっかり。こんなんで、女神なんだから笑っちゃうよね。そりゃ、イソラも線を引くはずだ」


 話しているうちに、凄まじい自己嫌悪に打ちのめされた。

 結局は寂しくて不安なだけだ。イソラに大切にされてるアキラちゃんと違って、私には誰もいない。従者の皆は崇拝してくれるけど、彼らが好きなのは『女神様』であって私じゃない。私が村人Aだったら、きっと見向きもしないだろう。それはきっと大司祭様も同じ。

 

 ――帰りたいなぁ

 

 ここに降りてくる前の記憶なんてないけど、本当の居場所はここじゃないってことだけは分かる。

 でも時期がくるまで、私はここで女神様をやらなきゃいけない。

 やらなきゃ、いけないんだ。


「以上! つまんない愚痴でした。執務室にもどるね。読んでも分かんないけど、書類のサインは私の直筆じゃないとダメみたいだし。せめてそれくらいは片付けないと」


 肩をすくめ、踵を返す。

 控え室の扉へ近づいたところで、背後から声が上がった。


「今から言うのは、独り言です」


 振り返ろうとすると、「どうかそのまま」と押し止められる。

 エーリクからこんな風に話しかけてくることは滅多にない。何を言われるのかと反射的に身構えた。


「女神は圧倒的な存在だと教わってきました。彼女らのもたらす知恵は神秘的なまでに高度で、その女神の恩恵に預かってミレルは繁栄してきたのだと。ですが、ここ数十年のミレルは疲弊する一方だ。女神の加護など、とっくに消えてるんじゃないかと疑いました」


 エーリクの話は初めて聞くことばかりだ。

 軟禁というのは、あながち間違ってないかもしれない。だってミレルが疲弊してるなんて、今初めて知った。だからアキラちゃんは、こんなに早く婚約を決めたのかな。

 自分の無力さを改めて突きつけられる。


「神殿にきて、私の直感は正しいと確信しました。貴女はあまりにも普通すぎます。泣いて、笑って、傷ついて。どこにでもいる普通の女性だ」


 そうだよ。

 最初からそう言ってる。

 聞いてくれないだけだ。周りが私を『聖なる御方』に仕立てて、まるで人間じゃないみたいに特別扱いしてくるだけだ。


「分かってる。私に恩恵なんてもたらせない。きっと降臨自体が、何かの間違いなんだよ」


 静かに答えると、エーリクが息を飲むのが分かった。


「でも、みんなは私を本物だと信じてる。だったら、次の女神様が来るまでやれることはやるべき。そうでしょ?」


 次のミヤビ様にご期待下さい。

 おどけて言って、執務室に戻る。

 エーリクはもう、何も言わなかった。



 

 今日、アキラちゃんが王子様との顔合わせの為に神殿を発つ。

 いくら大司祭様に訪ねても教えてもらえなかった日取りを知らせてくれたのは、イソラだった。


「今の時間ですと、祭礼の間で大司祭様から祝福を贈られている頃でしょう。晴れて良かった。アキラ様の出立にふさわしい日です」


 計算ノートから顔を上げる。

 授業に関係のない話をイソラがすることは殆どない。私が知りたがってたから教えてくれたわけじゃないとすぐに分かった。イソラが、見送りたいんだ。

 目が合って、胸が痛いほど引き絞られる。

 イソラの瞳は仄暗く光っていた。どこか暗いところに向かうことを決心したみたいな、強い光。いつも私には優しい教師の顔しか見せない癖に。ボロが出ちゃってますよ、イソラ先生。


「数式ばっかり飽きちゃいました。息抜きに、アキラちゃんのお見送りに行きたいです」


 能天気で気まぐれな女神らしく、羽ペンを放り出して伸びをする。


「仕方ありませんね。では休憩にしましょうか」


 イソラは困ったような笑顔で答えた。


 

 急いだ甲斐があって、第二神殿(トフェ)との境界の扉の前でアキラちゃんに追いついた。

 なぜかエーリクまで護衛騎士として付いてきてる。

 イソラが一緒なんだから来なくていいのに「近侍としてお傍を離れるわけには参りません」と譲らなかったのだ。よく言うよ。悪いものでも拾って食べたのかな。

 エーリクもアキラちゃんを見送りたいの? 小声で聞いたら、ハッと鼻で笑われた。


 祭礼用の衣装を身にまとい、ベールを被ったアキラちゃんは驚く程綺麗だった。

 お茶会ではお互い座ってるから気付かなかったけど、初めて会った時より大きくなってる。当たり前のことなのに、なぜか胸が詰まった。


 アキラちゃんは私を見ると足をとめ、恭しく挨拶をしてきた。


「そんなに畏まらないで。女神としてじゃなく、妹として見送りにきたんだから」


 伝わらないと知っていてなお、言わずにはいられない。

 腰をかがめて、アキラちゃんの顔を覗く。

 無邪気な女神なら、これくらいは許される?


「ありがとうございます」


 伏し目がちに答えたアキラちゃんは、困ったように微笑んだ。イソラそっくりの作り笑顔に、思わず笑ってしまう。主従はどうやら似るものらしい。


「国境近くまで行くんだってね。気をつけてね」

「勿体ないお言葉、ありがとうございます」

「アキラちゃんは、神殿を出るのは初めて?」

「ええ。神殿の外に出るのは初めてです」

「やっぱり! 神殿のみんなって、過保護だもんね」


 一生懸命話しかけるのは私だけ。それでも、いつもより沢山返事が返ってくることが嬉しくてたまらない。


「向こうの王子様が嫌な人だったら、断っていいんだからね」


 浮かれすぎて、つい本音が出てしまった。

 アキラちゃんの覚悟は知っていたはずなのに、年上ぶって言ってしまった。イソラが呆れた表情を浮かべる。エーリクの方は怖くて確認出来ない。


「そんなわけには参りません」


 その時になって、ようやくアキラちゃんは私を見た。

 燃えるようなまっすぐな眼差しだった。


「女神様は民に知識を授けて下さる尊いお方ですけれど、何も持たない私にはこうして婚姻で国に益を呼び込むことしか出来ません。せめて一の姫と呼ばれるだけの責務を果たしませんと」


 ガツンと頭を殴られた気分だった。

 知識なんてないよ。何も持ってないのは、私の方なんだよ。


「でもまだ、十四なのに……」


 更に泣き言が口をついて出る。

 ああ、もう! 誰かこの口を今すぐ縫いつけて!

 

 絶望する私に向かって、アキラちゃんは噛んで含めるように言った。


「私は生まれた時から私は保護を受け、富を享受しております。それを女神様と国にお返しする時がきたのです」

「うん……ごめんね。余計なこと言っちゃって」


 穴があったら入りたい。

 ないなら掘ろう。従者よ、シャベルを持て。


「いいえ。お見送り感謝いたします。ですがイソラ司祭と護衛の騎士をお連れとはいえ、第二神殿との境界までお越しになる(いとま)がございましたら、ご公務に励まれてはいかがでしょう?」


 アキラちゃんは表情を変えないまま、至極当然のことを口にした。

 穴が間に合わない。

 ぐさぐさと、言葉の矢が突き刺さる。


「それでは失礼いたします。これ以上女神様のお時間を奪うわけにはまいりませんもの」


 アキラちゃんは完璧な所作で礼を取り、扉へと体を向ける。

 私が一度も越えたことのない、境界の扉をいともやすやすと通って行ってしまう。

 発作的に体が動き、私はアキラちゃんの後を追ってしまった。


「ミヤビ様!?」


 イソラの驚く声を背中に、思い切り駆け出す。

 待って。アキラちゃん、待って――


「なりませんっ!」


 閉まりかけた扉に手をかけたところで、イソラの力強い腕に引き戻された。放り投げられそうな勢いで、後ろに引っ張られる。実際、ちょっと体が浮いた。


「司祭殿!」


 よろめいた私をすかさず抱き止め、エーリクが非難の声を上げる。


「なんという真似を! 彼女を害するつもりか!」

「非礼はいかようにもお詫びします。申し訳ございません。ですが、境界の扉を越えるは禁忌。ミヤビ様も分かっておいでのはずです」


 そうだ。私は知っていた。

 だけど、ここまで絶対的な掟だとは思ってもみなかったのだ。

 ――女神は第一神殿(ラファトフェ)を離れてはならない

 それは、迷信じみた形だけの決まりごとだと勝手に思っていた。


「ごめんなさい……あんな風に怒らせてしまったこと、イソラが代わりに謝ってきて」


 かろうじて、言葉を押し出す。

 このままじゃ、後悔してもしきれない。

 大役を果たしにいく姉にかけるべき言葉は、激励だった。間違っても「嫌なら止めればいい」なんていう無責任なそそのかしではない。


「分かりました。先に戻っていて下さい。すぐに私も参ります」


 イソラは深く腰を折ると、足早に扉の向こうへ消えた。

 

「ごめんね、エーリクも。……私、ほんっと馬鹿だよね~。調子に乗って、あんなこと言っちゃって。扉のことだって、聞いてたのに」


 エーリクにしては珍しく、嫌味を返してこなかった。

 無理して笑うな、見苦しいと言わんばかりの手つきで、ぐいぐい頬をこすられる。

 痛い。それ地味に痛いです。

 彼の手は、私の涙で濡れていた。




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