6.お仕事開始
アキラちゃんとのお茶会が二ヶ月に一度とは言え定例化し、日常的な読み書きに不自由しなくなった頃。
珍しく大司祭様が一人でやってきた。
「ご機嫌いかがですかな、女神様」
「とてもいいです。そうだ。最近、女官に貸して貰った本が読めるようになったんですよ!」
「それはすごい。頑張っておられますね」
大司祭様が目尻に笑い皺を刻むのを見て、誇らしい気持ちになった。
「女神様がこちらに降臨されて、一年が経ちました。そろそろ公務の方もと思いまして、今日は参った次第です」
「公務?」
大司祭様いわく、国の重要な決定には女神の承認が必要らしい。実際の政治は神殿と貴族院が協力して行っているから、私はあくまで「是」と言えばいいだけみたいだけど。
「なんといっても、女神様は女王陛下でもあらせられる」
「ああ、そういえばイソラが言ってました」
基本的な読み書きが出来るようになれば、次は議会からあがってくる書類に目を通し、玉璽を押す仕事をしてもらうって。他にも貴族院の代表の人と謁見したり、豊穣の祈りを捧げたり。
人前に出る時は、顔の前に布をぶら下げられる。女神様の顔を直接見られるのは、特権階級だけという決まりなんだって。
私は第一神殿を動けないから、式典は全部祭礼の間で行うらしい。
専用の執務室も貰えると聞いて、顔がほころんでしまった。
今までの仕事といえば、女神としての祝福を授ける礼拝だけだった。これでようやく一人前になれる。
「頑張りますね!」
「はい。どうかよろしくお願いします」
大司祭様はにっこり笑い、「そうそう――」と話を切り替えた。皺に囲まれた細い目がさらにすい、と細められる。
「従者様方はいかがですか? きちんと女神様のご要望を満たしておりますかな?」
……その話か。
エーリクを除く四人は、ご要望を満たそうとして頑張っている。
それが逆に辛いとか、本音を言っちゃってもいいのかな。
「女神のお仕事に、その、従者とこう、大人的な意味で仲良くすることって含まれるんですか?」
「もしや、何か不手際が」
大司祭様の表情がみるみるうちに険しくなる。
私は慌てて手を振り、そもそもそういう行為自体に抵抗があることを、それとはなく伝えてみた。それとはなくでも、かなり恥ずかしい。
耳まで真っ赤になって説明する私を見て、大司祭様は察してくれた。
私は代々の女神様の中で最年少らしい。
従者をすぐに受け入れられないのも無理のないことだと、大司祭様は寛容に頷いた。
「何度も申し上げますが、女神様が我がミレルの神殿に居て下さること。それが何より大切なのです。どうか健やかにお過ごし下さい。心煩いになるようでしたら、従者は別の者に変えましょう」
無くすわけじゃないんだ。話し相手なら同性の方が嬉しいんだけどなぁ。
また新しい人に一から説明するくらいなら、今のメンバーと一緒にいた方が楽な気がする。
「みんなすごく楽しくて良い方達です。私が閨に呼ばないからといって、彼らが責められたら気の毒だなと思って」
「責めるだなどと、そのような! 従者様はみな、身分高い貴族の御子息ばかり。差し出口をして叱られるのは私の方です」
大司祭様の大げさな言い方がおかしくて、クスクス笑ってしまう。
「時に、ランツ様とはいかがですかな? 旧王家の流れを汲むランツ家から女神の従者が出るのは初めてのことなのです。戸惑っておられるご様子はありませんか?」
旧王家といえば、初代女神が降臨するまで王様を輩出していた家柄のこと。
へえ。エーリクって本当にいいところの坊ちゃんなんだ。
「特には何も。っていうか、誰より馴染んでる気がします」
「それは良うございました。女官からも、ランツ様は女神様に骨抜きだと聞いておりますよ」
嬉しそうに破顔する大司祭様に、本当のことは言えない。いちいち嫌味なエーリクはムカつくけど、神殿から出て行ったらきっと寂しくなる。
私は曖昧に笑って誤魔化した。
大司祭様が帰ってすぐに、今度はイソラがやってきた。
具体的な公務の進め方について教えてくれるみたい。
「今日は初日ですので、こちらの書類から始めてみましょう」
イソラに伴われやってきた二階の執務室の窓からは、第二神殿がよく見える。
アキラちゃん、どうしてるかな。そう思った途端、お茶会での出来事が蘇ってきた。
「こちらの形式の書類は、途中欄にも印を入れて頂きます。赤のインクをお使い下さい。そして最後のご署名欄には――女神様?」
「あ、あのね」
うじうじ悩んでいてもしょうがない。
私は思い切って頼んでみることにした。
「みんな私のこと、女神様って呼ぶでしょ。それがすごく淋しいなって。女神様って私の中では肩書きであって、名前じゃないから。大司祭様には立場上そう呼ぶしかないって断られたけど、他の人はどうなのかな」
書類の説明を途中で遮られても、イソラは怒らない。私に向かって負の感情をあらわにしたことは一度もないのだ。ただ困惑したように首を傾ける。
「……どう、とは?」
「イソラはアキラちゃんのこと、アキラ様って呼んでた。一の姫様じゃなく」
「そうですね。アキラ様とは長い付き合いですので」
イソラの表情が明るくなる。アキラちゃんのことを思い出してるんだとすぐに分かった。
くじけそうになる心を励まし、最後まで言い切る。
「私のことも名前で呼んで欲しいな。アキラちゃんにも、イソラにも」
イソラは、表情の読み取れない瞳で私をじっと見た。それから、ふっと頬を緩め「そのように願われては、否とは申せません」と言った。
「ありがとう! じゃあ、今日から女神様はなしだからね?」
「はい。アキラ様のことまではお約束できませんが、私はミヤビ様と呼ばせて頂きます」
名前を呼んで貰えた。
たったそれだけのことで、万歳をしながら部屋中を走り回りたい気分だ。
「ではミヤビ様。書類にお戻り下さい」
「はーい」
いそいそと机の上の書類を覗き込む。
うわっ。字、ちっさ!
税金かな。地方から収められた税金の内訳が書いてある、ような気がする。
外のことは殆ど教えて貰えないから、私はこの国にいくつの都市と村があるかも知らない。だから人名なのか地名なのかも判別がつかなかった。
「四角の欄に赤インクで印を、最後の署名欄に黒インクでお名前をお書き下さい」
「ちょっと待って。まだ途中までしか読んでない」
「全部読まれなくてもよろしいのですよ。すでに校閲済みの書類ですので」
そういうものなのか。
まあ、女王といっても肩書きだけっぽいし、いいのかな。
慣れない書類仕事は、ものすごく時間がかかった。うう……休憩したい。目がチカチカする。
訴えるようにイソラを見上げると、「少しだけですよ」と困ったように微笑む。
女官が運んできてくれたお茶とお菓子を食べながら、最近のアキラちゃんについて色々聞いてみた。
「アキラちゃんも執務室を?」
「ええ。ミヤビ様に女神としてのご公務がありますように、アキラ様にも一の姫としての責務がございます」
「でもまだ、十四歳なのに……」
「先代女神の娘というお立場を、アキラ様はよく理解しておいでですので」
私の考え方が甘いのかも。一国の姫だもんね。普通の女の子のようには生きられないのかもしれない。仕方ないって頭では理解できるんだけど、もっと自由にさせてあげたらいいのにとも思ってしまう。
「あ、そうだ。これ、お手紙です。よろしくお願いします」
少しはマシになった筆跡で、今日も手紙を書いてきた。
こんにちは。お手紙、読んでくれてありがとう。
礼儀作法から何から完璧なアキラちゃんを見習って、私も頑張ろうと思ってます。
第二神殿で不自由なことはないですか? あったらすぐに教えてね。
お茶会でアキラちゃんに会えるのをいつも、本当に楽しみにしています。
「はい、確かに」
「……自己満足でしかないって分かってるんだけど、やめられないんだ」
「そのようなことは。いつも喜んでおられますよ」
イソラの穏やかな声に、明確な線引きを感じる。
ここから先は踏み込むな。そう言ってる。
アキラちゃんが返事をくれない理由は分からない。お茶会では丁寧に振舞ってくれるし、控えめだけど笑顔も見せてくれる。単に忙しいのかもしれない。手紙を書くのが苦手なのかも。
実の姉から嫌われてる可能性を片っ端から潰し、私はへへ、と笑ってみせた。
次の日から、今までの暇な日常が嘘みたいに忙しくなった。
読み書き練習もまだ続いてる。
担当はイソラから違う司祭に代わった。医療用語とか化学記号のようなものが出てくる教本を渡され、ゲッソリしてる。はい、全く読めません。こんな専門的なことまで勉強しなきゃいけないなんて、女神業も楽じゃない。
謁見の為の祭礼作法の授業も始まったし、くわえて書類仕事もある。
三食昼寝付き生活からの急転換に、やる気はあっても体がついていかなかった。
「大丈夫ですか、ミヤビ様」
移動中ふらついた私を支えたのは、付き添っていたワンコくん。
エーリクばかりに付き添いを頼むと、他のメンバーに不満が溜まりそうで怖いんだよね。彼らの心情管理にも頭を悩ませる毎日だ。
ちなみにイソラに名前呼びをせがんでからというもの、どこから聞きつけたのか逆ハーメンバーからも名前呼びの許可を求められた。今では、大司祭様とエーリクを除く皆が私のことを「ミヤビ様」と呼んでくれる。
「うん、大丈夫。立ちくらみかな。ちょっとだけ待ってくれる?」
「顔色、よくないです。今日の授業は中止にしてもらえるよう、頼んできます!」
私が何も言わないうちに、ワンコくんは猛スピードで駆けていってしまう。
追いかける元気もなく、その場に座り込んでしまった。体力なさすぎな自分が恨めしい。
「ミヤビ様!」
女官たちが従者に知らせたんだろう。すぐにみんなが集まってくる。
私を抱き上げ、部屋に戻そうとするマッチョさんは何とか思いとどまらせた。そのまま寝台になだれ込まれたら、抵抗できないし。服の上からでも分かるムキッと盛り上がったその力こぶ、怖い。
そこで眼鏡さんが、「新鮮な空気を吸えば気分も良くなるのでは」と提案してきた。
それだ、それだと一斉に賛同の声があがり、その日はなぜか中庭でピクニックをすることになった。ちなみに私は一言も発してない。女神とは。
……これって、自分たちが外に出たかっただけなんじゃないの?
余計に疲れながらも、逆ハーメンバーの息抜きに付き合った。
こういうのも上司としての勤めだよね。全員年上だけど。
エーリクは、「これほど多くの従者がいるのなら、護衛は必要ありませんね」と嬉しそうに同行を断ってきた。
久しぶりに一人になったエーリクは、私が中庭で頬の筋肉を痙攣させてる間、こっそり神殿を抜け出て街に降りたみたい。街にしか売ってないお酒をほくほく顔で持って帰ってきたところを、バッチリ目撃したから間違いない。
自分だけお忍びで買い物なんて、ずるい! 羨ましい!
「エーリク。今夜は眠れそうにないの。部屋で本を読んで貰えない?」
腹いせに、寝る前の読み聞かせを言いつけてやった。
そのお酒、簡単には飲ませないからね。
「またランツ殿ですか」「いいなぁ、ランツ様は。ミヤビ様に信を置かれて」
残りの四人からの羨望光線で、エーリクは焦げ付きそうになっている。はっはっは。ざまあみろ。
エーリクはロンゲさんにぐりぐりと肩を小突かれながらも、ふわりと微笑んだ。
「仰せとあれば、喜んで」
その晩、エーリクが持参したのは『本当にあった神殿の怖い話』という本だった。
エーリクが退出したあと、私は朝方まで一睡も出来ませんでした。
声色まで変えて、忠実に再現することなくない!?
エーリクの器用さと報復の早さを思い知らされた夜だった。