5.初めてのお茶会
エーリクと話しているうちに眠くなってきた。
目をしょぼしょぼさせてる私を見て、「もうお休み下さい。今度は鍵をかけるのをお忘れなく」とエーリクが促す。久しぶりに普通の会話が出来て嬉しかった。ありがとう、と言うと、エーリクは非常にしょっぱい顔をした。
「もっと人間離れした方を想像してたのに、なんですか、これ」
「ねー」
「ねー、じゃありませんよ」
エーリクの期待に応えられなくて申し訳ないけど、私は私だ。
扉の前まで一緒に行き、上着を脱いで返した。ほかほかと温まった上着を着るのは嫌だったみたい。手に持ったまま、エーリクは出ていこうとする。
「ちゃんと自分の部屋で寝てね。ここにいなくていいから。……おやすみなさい」
女官達は私が話しかけるのを怖がるので、お世話されていても無駄口はきかないように気をつけてる。誰かにおやすみを言うのも、本当に久しぶりだった。
「――おやすみなさい」
ボソっとした声で、それでもエーリクは返してくれた。そのまま足早に立ち去っていく。
私はきちんと戸締りを確認し、寝台に戻った。今夜はすぐに寝つけそう。思った通り、掛布を引き上げたところで記憶は途切れた。
次の日。
ロンゲさん並び逆ハー軍団がやってきて、私に真意を尋ねた。
下僕ではなく友達になって欲しいと頼むと、彼らは大層驚いた。
「本当にお慰めはいらないと?」
大人向けの慰めは本当にいりません。
それより普通に話して貰える方が、何倍も嬉しい。
しばらく押し問答が続く。私と彼らの話が噛み合わないことにうんざりしたのか、エーリクが助け舟を出してくれた。
「どうやら女神様はまだ幼く、成熟しておられないご様子。時期がくれば、自然とお選びになるでしょう」
「ランツ様はいいですよね。すでに名を聞かれてるんですから。昨夜だって、お傍に侍ったとか」
ワンコくんが不満げに唇を尖らす。残りの三人もワンコくんに同調した。
「何もありませんでしたよ。夜中ニ人きりでいても、女神様は欠伸をしてそのままお眠りになられましたので」
エーリクの言葉に、私も「本当だよ」と加勢する。
「私の話し相手として神殿にきたと思って下さい。好きな人や恋人のいる方はいます? いるなら、戻って頂いて構いません」
「そんな……お役目の途中で戻ることなど出来ません!」
華の二十代を禁欲生活に縛り付けるのも悪いかな? と思って言ってみたんだけど、マッチョさんは蒼白になって首を振った。
他のメンバーも似たような反応だ。どうやら売られてきたのは、エーリクだけじゃないみたい。
いざとなれば、神殿には沢山の独身女官がいる。彼女たちは皆綺麗で、働き者だ。「遊びで手を出すのは絶対に許さないけど、恋愛結婚は大推奨です」と提案しておいた。
「女神様にその気が全くないことだけは、よく分かりました」
眼鏡さんは眼鏡を外し、眉間を揉んでいた。
ロンゲさんは「勘違いをして申し訳なかった。どうか昨夜の無礼をお許し下さい」と跪いた。
反射的に足を引っ込めた私は悪くないと思う。
元の世界とやらでの記憶が曖昧な私にとっても、この世界に感じる違和感は凄まじかった。
ドレスから食べ物から、文字から習慣から。何から何まで「こんなの初めて!」感が付きまとう。自分に対する周囲の恭しい態度にも、疎外感を感じた。
親しい人はもちろん顔見知りさえいない、見知らぬ世界。
そんな中、血を分けた姉が存在するというだけで、どれだけホッと心が緩むか。私と同じ立場になったことがある人にしか分からないんじゃないかな。
アキラちゃんは人見知りをする性質なのか、手紙のお返事をくれない。イソラ様は「大変喜んでおいででした」と毎回言ってくれるけど、あれはきっと私に気を遣ってるんだろう。
そりゃそうだよね。
突然年上の女がピオニーから出てきて「あなたの妹です、よろしくね」なんて言ってきても、「はぁ!?」って感じだ。しかも一の姫として大切にされてきた彼女を、住み慣れた第一神殿から追い出す形になってしまった。
どうして一緒には暮らせないんだろう。
大司祭様はとても優しい方だけど、それだけは頑なに聞き入れてくれない。警護の関係だとか何とか難しいことを言われ、悲しそうな目で詫びられれば、それ以上は言えなかった。
そんな感じでここにきてから全く触れ合えていないアキラちゃんと、ようやくお茶会を開けることになったんです。
私があんまりしつこいものだから、とうとう大司祭様が折れた。イソラ様も口添えしてくれたみたい。
「ありがとう、イソラ様!」知らせを聞いて、真っ先にイソラ様に御礼を言った。
「微力ながらお力になれて良かったです」イソラ様は柔らかく微笑み返してくれた。
司祭業と私達二人の教育係を兼任してるイソラ様はすごく忙しそうだ。
それなのに、一日置きに様子を見に来てくれる。「困ったことがあれば遠慮なく仰って下さいね」なんて言いながら、差し入れのお菓子を持ってきてくれることもある。
いつも穏やかで優しいイソラ様は、私の心のオアシスだった。彼が従者ならどんなに良かったか。エーリクもある意味、私を特別扱いしない奇特な人だけど、イソラ様が甘いお菓子ならエーリクは塩漬けニシンの缶詰だ。
司祭は生涯を神殿に捧げる決まりだし、イソラ様は平民出身だから、そもそも女神の従者にはなれないんだけどね。
茶会が決まってからというもの、あんまり私が上機嫌なものだから、逆ハーメンバーも釣られてニコニコしてる。
ニコニコしながら距離を詰めてきたり、見廻りという名の夜這いをかけてこようとしたりするから、油断は出来ない。彼らの女神様好き好き大好き光線に耐えかねて、最近ではもっぱらエーリクを近侍にしている。
エーリクなら安全だから。
本人にはこれ以上なく嫌がられてるけど、そんなのお互い様だ。私だって、隙を見てはチクチク嫌味を言われるリスクを背負ってる。
当日、面倒くさそうな顔で迎えにきたエーリクは、女官たちが姿を見せると途端によそ行き顔に切り替えた。
これもいつものことだ。エーリクは人目があるところでは、『女神様信奉者』の仮面を決して外さない。
凛々しい面差しに甘い笑みを浮かべ、エーリクは優雅な仕草で腕を差し出した。
「お迎えに参りました、女神様。僭越ながら、お手をどうぞ」
「ありがとう、エーリク」
彼の腕に掴まり、部屋を出る。
出た瞬間、「今日は特に化粧が濃いようですが」と小声で文句をつけられた。
「え? そんなに塗られた覚えないけど――」
「アキラ様と愛しの家庭教師殿に会うからといって、あまり張り切られるのはどうかと」
「ち、違うわよ!」
図星をさされて真っ赤になってしまう。
瞳を潤ませた私をみて、エーリクは舌打ちした。
舌打ちだよ? どういうこと? われ、女神ぞ?
大きな広間みたいなところに、ポツンと長テーブルが用意されている。
すでに来ていたアキラちゃんとイソラ様は、私が入ってくるのを見て立ち上がり、一礼した。
部屋の隅には、衛兵と司祭様たちが控えている。
衆人環視の中のお茶会になるとは、思ってもみなかった。これじゃ、最初の謁見とあんまり変わらない。がっかりが表情に出てしまったみたいで、エーリクが私の背中を指でつつく。
指だよね? 剣の柄かと思ったわ、硬すぎて。
慌てて表情を取り繕い、女官の引いてくれた椅子に座る。
……めちゃくちゃ、遠い。
お誕生日席に一人隔離されてしまった。アキラちゃんと話そうと思うと叫ばないといけないくらい遠い。
なんとか彼女に近づきたくて、なけなしの知恵を振り絞る。結果、給仕をすればいいと思いついた。
「せっかくここまで来て貰ったんですもの。お茶を淹れますね!」
立ち上がり、女官が運んできたティーポットに触ろうとした瞬間、周りの空気が凍りついた。
とっさにエーリクの方を見ると、かろうじて真顔でいるものの頬が引きつっている。
あれ? もしかして、手づからお茶淹れるのって女神的にやっちゃダメなこと?
これは後から知ったんだけど、女神が給仕に携わることはイコール『周りを信じてません』という意味になるんだって。
道理で女官や司祭様たちが固まった筈だ。
「どうかそのままに。女神様のお手を煩わせるわけには参りません」
凍りついた空気をほどいてくれたのは、イソラ様だった。
静かに立ち上がり、神官服の裾を音をたてずに捌きながら、私に近づいてくる。
「女神様の為に特別なお茶をお淹れ致しましょう。おかけになってお待ちください」
それから自然なエスコートで私を椅子に戻した。
イソラ様は手際よく茶器を並べ、お茶の葉を配分し、変わった形の漉し器を使って別に準備された熱湯を注ぐ。するとどういう魔法なのか、カップの中に色とりどりの小花が浮き、くるくると舞い始めた。
目の前に差し出されたカップをわくわくしながら眺めていると、やがて泡のように消えてしまう。
これは私には淹れられないわ。
「ありがとうございます、イソラ様」
「どうか私のことは、イソラと。尊い御身にそのように呼ばれては、一司祭として立つ瀬がございません」
「……はい」
イソラ様はいつもより他人行儀な感じがした。今日は大勢の人がいるからかもしれない。
それとも、私が失敗したから?
すっかり悲しくなり、俯いてしまう。
そんな私を見て、イソラ様は小さな溜息をついた。
「怒ったわけではありませんよ、女神様。どうか心安らかにお茶を楽しまれますよう」
優しい声にハッと顔を上げると、穏やかな瞳とぶつかった。
イソラ様は、他の人とは違う。
『女神ミヤビ』ではなく、私自身を見てくれてるように思える。逆ハーメンバーのや他の司祭様たちみたいな狂信的な熱がないことに、いつも救われていた。
だけど、その日だけは少し寂しかった。完全に子供扱いだ。
ふと視線を一の姫に向ける。
まだ十三歳だというのに、アキラちゃんはピンと伸びた背筋をそのままに、美しい所作でお茶を飲んでいた。カップに添えられた小さな手が何とも愛らしい。体こそ幼いけど、振る舞いは私よりうんと大人だ。
結局お茶会の間中、私はアキラちゃんとイソラ様が言葉少なに会話するのを、遠くから見守ることになった。大声を出して会話に割り込むことは出来ない。
お誕生日席、許すまじ。
エーリクは、すっかりしょぼくれた私を流石に気の毒に思ったのか、何も言わず部屋まで送り届けてくれた。
今日気づいたことは二つ。
イソラ様は、アキラちゃんのことは「アキラ様」と呼んでいた。
彼女を見守るイソラ様の眼差しは、私へ向けるそれとは全く違った。イソラ様の主人は、アキラちゃんなんだ。彼が信頼を捧げている相手は、私じゃない。
胸がきゅうと音を立て、締め付けられる。
好みの顔だし、いい人だとは思ってたけど、まさかこんなに切ないなんて。
叶わない片恋に落ちていたことを、私は遅れて知った。




