4.無自覚の代償
こっちの電気は私の知ってるものと少し違う。
静電気と雷魔法をミックスしたみたいな、不思議な灯りだ。よく見てみると、線香花火みたいな細かな火花がランプの中で時々散ってる。
「ジオマジョルカといいます。数代前の女神様の教えにより普及したものです」とイソラ様は教えてくれた。
どうやらこの国で女神様が崇められるのは、常に新しい知識をもたらしてくれるからみたい。
どうしよう、科学的教養なんて持ってない。
たとえば飛行機の飛ぶ仕組みを教えて下さい、とか言われても「両翼の下側っぽいところにエンジンがあるからみたいです」くらいのざっくり説明しか出来ない。エンジンの原理について追求されたら完全にアウトだ。
私には重責すぎる。
慌てて申告したんだけど、イソラ様は「まずは読み書きです。代々の女神様が残してきた知識の書を読めるようになれば、当代女神様の知識との擦り合せもできるでしょう」と動じなかった。
そんなゆるふわな感じでいいんだろうか?
心配になって大司祭様にも聞いてみた。似たような返事しか返ってこなかった。
従者5人に引き合わされた日の夜。
寝台にもぐり込み、ふかふかのマクラの上に頭を乗せたところまではいつもと同じだった。
ランプを消した後も足元が見えるよう、中庭側の入口のカーテンは開けたままにしてある。ガラス扉越しに差し込む仄白い月光を眺めながら微睡んでいくのが、私の入眠のやり方だ。
光の加減でマーブル模様に見える絨毯をうつらうつら眺めていると、突然長い人影が伸びてきた。一気に目が覚める。
神殿に住んでいるのは、身元の確かな司祭と女官だけ。女神の居住区は特に厳重に守りの呪をかけていると、大司祭様は言ってたのに。
守りの呪いとは何だったのか。セキリュティの甘さに物申さずにはいられない。
ガラス扉は、あっけなく開いた。
そういえば、鍵かけたっけ? ……覚えがない。危機管理が甘いのは私の方だった。
震える手を伸ばし、水晶球に触れる。
いつもならすぐに女官が姿を見せるのに、今夜に限って何の反応もない。
どうしよう、もうすぐそこまで来てるよ。
物盗り目的なら、寝たふりをしてやり過ごせないこともないだろうけど、暗殺者だったら一巻の終わりだよね。女神は不老とは聞いたけど、不死とは言ってなかった。やばい。どうしよう――
「女神さま」
「…………」
息を殺して、掛布の中で身を丸める。
女神さまは寝てます。だから帰ってください。
「起きていらっしゃるのでしょう? 焦らしておられるのですか、愛しい我が女神よ」
ちょっと待って。この声、ロンゲさんだ。
そう言えば昼間、チラチラ寝台見てたっけ。さっそく夜這いか。夜這いにきたのか、危険人物め!
勢いよく起き上がり、文句を言ってやろうと声の主に向き直る。
柔らかそうな生地のシャツにゆったりしたズボン姿のロンゲさんは、私の姿を見ると瞳を潤ませ、ほう、と熱い息を吐いた。
「化粧を落としてなお、それほど艶やかでいらっしゃるとは。まるで夜の女王だ。貴女の美しさに、どうにかなってしまいそうです」
派手顔で悪かったですね。どうせ、すっぴんでも濃い顔ですよ。
「こんな時間にこんなところで、何をしてるんですか?」
確信はあったけど、一応聞いてみる。
内緒話がしたいだけ、とかだったら自意識過剰すみませんって謝ろう。
「どうお答えするのが正解なのですか? 女神様。哀れな下僕にご教示ください」
甘いアルトの声で囁きながら、ロンゲさんは寝台のすぐ傍まで近づき、片膝をついた。
「昼間はあれほど無邪気に喜んで下さったではありませんか。お寂しかったのでしょう? ……ああ、なんと甘そうな。ご心配なく。閨での技には長けております。女神様を傷つけるような真似は決して致しません」
大司祭様がそんな話を? 下僕って何?
閨での技とか気持ち悪いこと言っちゃってるし、このまま寝台にいるのは危険な気がする。とりあえず応接ソファーの方に場所を移そう。
「貴女がピオニーから姿を現した時、あの場に私も居合わせたのですよ、女神様」
陶酔しきった表情で私を見上げ、ロンゲさんは聞いてもない回想を独白し始めた。
「幾重にも重なった柔らかな薄桃色の花弁が膨らみ、外側からじわじわと開花していく様は、神秘的で綺麗でした。ですが、中から現れた貴女の方が何倍も美しかった。艶やかな黒髪が白い肩にかかっていました。あなたはゆっくり瞼を開いて、そう。今みたいに濡れた瞳で私をご覧になったのです」
見てないです。気のせいです。
今、目が濡れてるとしたら、会ったばかりの名前も知らない男に寝入りばなを起こされたからです。
「あの、向こうで話を聞きますから――」
とにかくここから離れたい。
寝台から両足を下ろそうとしたところで、私は固まった。
ロンゲさんが跪いたまま、私の右足を両手で掬うように持ち上げたからだ。
金糸のような髪に淡い水色の瞳。整った造作と相まって、まるで王子様。知らない人が見たら、絵になるワンシーンなのかもしれない。
知らない人が見たらね! 当事者的にはホラーだよ。
よく知らない男にいきなり触られたら、大抵の女は怖がると思う。金縛りにあったみたいに体が動かない。
「どうか、ご慈悲を。貴女を慰める特権を、私に許すと仰って下さい」
しかも触るだけじゃ物足りなかったのか、ロンゲさんは私のつま先に唇を落とした。
いや、はっきり言おう。舐めやがりました。
金縛りが解け、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
「許しません! やめて、離してっ!」
両足をバタつかせ、必死に抵抗する。あっけに取られたロンゲさんは、私のキックをまともに喰らった。
「誰か! 誰か、きて!!」
やってきたのは、女官ではなくエーリク・ランツさんだった。
廊下側の扉が音を立てて開かれ、騎士服姿のエーリクさんが現れる。彼は無言のまま歩いてくると、私に蹴られて動揺してるロンゲさんの襟首を無造作に掴んだ。
何が起こったのか分からないうちに、ロンゲさんは廊下へ放り出されていた。あまりに鮮やかな撃退っぷりに、大きく目を見張る。
「これでよろしいでしょうか、二の姫様」
エーリクさんは素早く扉を締め、内鍵をかけてから、こちらを振り返った。あっけに取られて動けないでいる私を見て、眉をひそめる。
「今度は私を誘惑しようというのですか?」
エーリクさんの視線は、あられもなくむき出しになった私の太ももに刺さっている。
「そんなわけないでしょ!」
暴れた時にめくれ上がったらしいナイトドレスの裾を、慌てて引っ張り下ろした。
「やけに早かったけど、あなた、どこにいたの?」
「私の名はエーリクです、姫様」
お前が名前を聞いたんだろう、と言わんばかりの冷たい表情に、ごくりと息を飲む。
もしかしなくても、こちらの護衛騎士さんは私のことが好きじゃないみたい。
「どこにいたの、エーリク」
渋々言い直してみる。
エーリクは、首をわずかに傾けることで廊下側の扉を指し示した。
「恐れ多くも女神様に気に入られたのだから、すぐに侍ることが出来るよう不寝番をしろと申し付けられました。ですので、扉の外で待機しておりました」
不寝番って……。
なにもかもが初耳で、げんなりしてしまう。
こうなったら、夜更かし覚悟で全部聞き出してやろう。
幸いエーリクは、他の人みたいに私と会話することを恐れてないみたいだし。
嫌がってはいるみたいだけど、そこはもうスルーだ。仕事の一環だと諦めて下さい。
「エーリク、そこに座って」
「それはご命令ですか?」
エーリクの形のいい唇が、嫌悪に歪められる。
「命令っていえば聞いてくれるのなら、そうよ」
「仰せのままに、姫様」
ひんやりした声で答えると、エーリクはつかつかと歩いてきて、応接ソファーに腰を下ろした。いかにも不本意そうな態度が、いっそ新鮮だ。
私も今度こそ立ち上がり、裸足のままソファーへ移動した。向かい合わせに座ろうとしたところで、エーリクが上着を脱ぎ始める。
ぎょっとした私にしかめっ面を返し、エーリクは脱いだ上着を投げつけてきた。
「恐れながら、透けております。姫様」
「全然恐れてないよね!?」
そういえばこの寝巻き、かなり薄手なんだった。
ガウンは見たことがない。湯浴みした後は朝までずっと一人だし、不自由を感じたこともなかった。
投げられた上着は一回り以上大きい。
ぶかぶかでも無いよりマシだろう。ありがたく借りることにした。袖からかろうじて出た指で、前を着物のようにかき合せる。
「さっきの長い髪の人が言ってたんだけど、下僕ってなに? 下僕だと夜這いが許されるわけ?」
「……まさか、最後まで聞いておられなかったのですか?」
逆に問い返される。
しょうがなく頷くと、エーリクは信じられないものを見るかのような目で、私をまじまじと見つめた。
「だって、半年も軟禁状態だったんだよ。外の世界に触れていいって言葉で、頭の中がいっぱいになっちゃって」
「軟禁とは物騒なことをおっしゃいますね。神殿にいるのは二の姫様の本意ではないように聞こえます」
エーリクは目を細めた。
薄暗い宵闇の中、アイスブルーの瞳だけがやけにくっきりと見える。
「そういうわけじゃないけど……大司祭様に言いつける?」
恐る恐る聞いてみると、エーリクは少しだけ雰囲気を和らげた。
「いいえ。ここだけの話にしろとおっしゃるなら、誰にも漏らしません」
「よかった!」
ホッとして思わず笑顔になってしまう。
エーリクは再び不機嫌そうな顔に戻ってしまった。
なんだろう。笑うなってことかな。
「不寝番なんていらない。他の従者さんにも伝えて欲しいです。断れない命令ってわけじゃないんだよね?」
「私どもでは物足りないというわけですか」
「どうしてそうなる」
ロンゲさんもだったけど、基本的に話が通じない。
好きでもない男を取っ替え引っ替えする趣味はない、ってだけの話なのに。
「二の姫様は昼間、私たちを『下僕として好きに扱え』と言われ、喜んでおられた。その後、わざと私にだけ名を尋ね、皆を刺激し、寵愛を競わせようとされました。カールステッドが思い切った行動に出たのも、姫様の挑発行為の結果でしょう……哀れなものです」
カールステッドっていうのは、ロンゲさんのことみたい。
さっきの足ペロペロは私のせいだって言いたいの?
夜中勝手に忍んできて、足を舐めるような奴の責任まで取れって?
「勘違いさせたんなら悪かったけど、そんなつもりなかったよ。人を下僕扱いして喜ぶ趣味は持ってません」
「残酷な女神様。それは本当ですか? それとも、無垢に振舞われるのも手管の一つなのですか?」
エーリクはいきなり雰囲気をガラリと変えた。
音もたてずに立ち上がり、私の隣へ回ってくる。拳二つ分の距離を開けて座り、ソファーの背面に腕を乗せた。
「教えて下さい。本当の貴女を、知りたいのです」
凛々しい瞳を甘く煌めかせ、見惚れてしまいそうなくらい魅力的な笑みを浮かべた騎士様がそこにはいた。不機嫌顔とのあまりのギャップに驚いてしまう。
エーリクは笑みを浮かべたままシルバーアッシュの髪をかきあげ、私をじっと見つめてくる。アイスブルーの綺麗な瞳に、黒髪の女が映った。
照れの入り混じった恥ずかしさに頬が熱くなる。
三秒と持たなかった。
ウロウロと視線を彷徨わせはじめた私を見て、エーリクはプッと噴き出した。
「なっ! か、からかったんですか!?」
「すみません。ですが……」
口元を拳で押さえ、なんとか笑いを噛み殺そうとするものの、エーリクの肩は小刻みに揺れている。
これだから見た目に自信がある男は。ケッと言いたいのを堪え、落ち着くのを待ってあげた。ようやく笑いをおさめてエーリクは言った。
「言動や見た目から、てっきり男を弄ぶのが趣味なのかと。どうやら私たちの勘違いだったらしい」
それであんなに警戒されてたのか。誤解が解けたはいいけど、微妙に馬鹿にされてる気がする。
それでも何だか嬉しくなった自分に気づき、すぐに無性に悲しくなった。悪口にも喜べるなんて、普通の精神状態じゃない。
お世話してくれる女官たちは目すら合わせようとせず、軽い挨拶にも恐れ多いと怯える。
大司祭様は優しいけど忙しいみたいでちょっとしか話せないし、イソラ様は親切だけど教師と教え子という明確な線引きを感じる。アキラちゃんとはあれから全く会えていない。
女神様、女神様と崇められてはいるけど、こんなにも孤独だ。
寂しさを飼い慣らすことが出来ず、誰かの感情のおこぼれを待ってばかりの自分にやるせなさがこみ上げてくる。弾みでぽろりと涙が溢れた。
流石のエーリクも驚いたみたいだった。
「泣くようなことですか」慌てながら、ハンカチを貸してくれた。今度は投げつけず、手に持たせてくれる。
「エーリクが酷いこと言うからだよ」
わざと嘯ぶくと、エーリクはフンと鼻を鳴らした。
「ちやほやして欲しいのでしたら、他を当たって下さい」
「そんなに嫌なのに、なんで神殿にきたの」
子供みたいな態度に呆れながら、思わず聞いてしまう。
「家長に命じられれば、しがない次男坊は言うことを聞くしかないんです。たとえそれが、新しい女神の種馬になれという命でもね」
びっくりしすぎて、鼻水出るかと思った。
女神様的に、いや、女として涙はよくても鼻水はダメな気がする。
種馬って……そうか。エーリクは神殿に売られちゃったんだな。
それっきりエーリクは自分の話はしてくれなかったけど、私の質問には色々答えてくれた。
代々の女神は多くの従者を持ち、公然の愛人としてきたこと。
女神の従者に選ばれると、多くの手当が支払われ、家の名誉にもなること。
ちなみにエーリクは二十二歳。眼鏡さんが二十五歳、マッチョさんは二十四歳、ワンコくんが二十歳。そしてロンゲさんが二十六歳で最年長なんだって。
一番お兄さんなのに、なにやってるんですが、ロンゲさん。
いや、一番年上だからこそ、先陣を切ったのかな。そんな年功序列は嫌だ。
どうやら私は、エ―リク以外のメンバーには概ね好評らしい。
「胸が大きいとか、腰が細いとか、手足が長いとか。要するにいい体してるって褒めてましたよ、皆」
全く嬉しくない好評をありがとう。
絶対にあの四人とは二人きりにならないようにしよう、と心に刻んだ。