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3.護衛騎士 エーリク・ランツ

 姉である一の姫に引き合わされた後くらいから、日中の眠気はなくなった。

 ホッとするのと同時に暇になる。

 女神って、ただ神殿にいるだけでご利益があるものなんだろうか。やることないのも結構辛い。娯楽らしい娯楽がないんだよ。

 それとなく頼んでみたら、女官が読み物を持ってきてくれた。神殿で流行りの恋愛小説なんだって。女神様と側仕えの青年達の恋物語らしい。逆ハーものか。実際に巻き込まれたらものすごく気疲れしそうだけど、読む分には好きだ。

 ワクワクしながらページをめくり、期待した分がっかりした。

 

 ……読めない。


 言葉に不自由しないから、読み書きも出来るもんだと勝手に思ってた。うわー。まじか。

 正直に申告して本を返すと、女官は残念そうな顔で頭を下げ、部屋を出て行ってしまった。

 あれ? がっかりされたのはむしろ私?


 女官が報告をあげたのか、次の日大司祭様がイソラ司祭を伴って私の部屋を訪れた。

 

「女神様。ご機嫌はいかがですかな」

「最近はすっかり体調がいいです。ちょっと暇になってきました」


 隠してもしょうがない。女官に言ったのと同じ台詞を口にする。

 大司祭様は孫でも見るような優しい目つきで、うんうん、と頷いた。


「では、少しずつ女神様としてのお仕事をして頂いてもよろしいでしょうか。これから何をするかは、こちらのイソラが説明します」

「あ、はい」


 イソラ様は学問の教え方が上手いらしく、アキラちゃんはすごく優秀なんだそうだ。だから、私のことも受け持たせることにしたみたい。

 読み書きが出来ないこと、この分じゃバレてるな。

 

 イソラ様に視線を向けると、穏やかな微笑みが返ってきた。

 やっぱりカッコいい! 静かな物腰も、思慮深そうなところも、薄味イケメンな顔も何もかもがドストライクだ。内心ガッツポーズを決めながら、神妙な表情をこしらえる。


「イソラ様、よろしくお願いします」

「勿体ないお言葉。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。女神様」


 わあ、初めて声を聞いたけど、声まで素敵とかこれ何のご褒美ですか、神様! 

 って私も一応女神様か。字さえ読めない寝てばっかりの女神様だけどね。ははっ……つらい。


「一の姫はお元気ですか? 今日は何か言ってました?」


 彼に教わることになって嬉しい理由は他にもある。イソラ様と一緒にいたら、アキラちゃんの話が聞けるかもしれないのだ。

 大司祭様は、あんまりアキラちゃんの話をしてくれない。もっと会いたいとお願いしても「女神様と一の姫様では立場が違います」の一点張り。

 大司祭様から見たらままごとのような関係かもしれない。でも私にとってアキラちゃんは、その存在を知った時から大切な家族であり、心の支えだった。右も左も分からない異世界に垂らされた蜘蛛の糸。

 先代ミヤビ様は、私が降臨したことで天界へ帰ってしまった。まだまだ甘えたい年頃だろうに、言ってみれば私のせいで彼女は母親を失った。埋め合わせにはならないだろうけど、少しでも慰められたらいいなと思う。まあ、私もぶっちゃけ寂しいので、ウィンウィンの関係を狙いたいわけです。


「お健やかに過ごしていらっしゃいます。今日は、女神様に挨拶を言付かってきました」


 イソラ様は優しく答えてくれた。

 正直物足りない答えだけど、今は大司祭様もいる。あんまり突っ込んだことは聞かない方がいいみたい。

 大司祭様は私とイソラ様のやり取りを眺め、満足そうに顎をさすっていた。


「では、私は公務がございますのでこれにて御前を失礼致します。イソラ」

「はい」

「兼ねてからのように」

「万事心得てございます」


 大司祭様に目配せされ、イソラ様は恭しく腰を折った。

 神殿にいる司祭たちは皆、独身だ。大司祭様の養子の一人がイソラ様だと聞いたのに、親子っぽい親密さはどこにもない。

 

 二人きりになったのを見計らい、さっそくイソラ様に尋ねてみた。


「イソラ様は、神殿に来る前はどちらに?」


 そんなに変な質問じゃないと思ったのに、イソラ様は訝しげに私を凝視した。……そんなに見つめられたら、穴が空きそうなんですが。


「ここから遠く離れた村の神殿に。そこから中央神殿に推挙され、こちらに参りました」

「へえ。優秀だったんですね!」

「いえ、この髪のおかげです」


 ほろ苦い笑みを浮かべてイソラ様は自分の前髪をひょいと摘む。

 そういえば、ここで見かける司祭様たちって全員黒目黒髪だ。大司祭様は白髪だけど、昔は黒髪だったって言ってたし、何かあるのかな。


「歴代の女神様は皆、黒髪と黒目を持っておられます。ですので、ここミレル神聖国で黒髪の男児は栄誉とされ、司祭となる道が優遇されるのです」

「へえ~」


 私、さっきから「へぇ」しか言ってない。

 女神がこれでいいのか。

 だけど、本当に何も知らないからしょうがない。女神になった時に、知識も自動でインストされたら良かったのに。知識どころか魔法も使えないし、何のスキルもチートもなしなんてハードモード過ぎるよ。


 しょぼくれた私をみて、イソラ様は不思議そうに首をかしげた。


「どうされました?」

「いや……私、なんにも知らないなって」


 するとイソラ様は、目元を和ませ「大丈夫です」と力強く言い切ってくれた。


「女神様は、その存在自体が国民の希望なのです。もちろん、知らないことを知っていくことも必要ですが、一番大切なのは御身を大切に、心安らかに過ごされることですよ」

「イソラ様……」


 見た目だけじゃなくて励まし方までイケメンだ、この人。

 俄然やる気が出てきた!


 まずは読み書きから習うことになったんだけど、やる気だけじゃダメなのか、なかなか集中出来ない。

 気づけばぼんやりと、イソラ様を眺めてしまう。

 香炉からたゆたう香りがドレスにもすっかり焚き込められ、羽ペンを動かす度にふわりと薫った。このお香、精神安定には大いに役立ってるんだけど、集中力アップには効かないみたい。

 ミミズがのたくったようにしか見えないミレル公用語は、手強かった。



 イソラ先生の読み書きレッスンが始まってひと月。

 ようやく、簡単な言葉なら書けるようになってきた。複雑な文法を使った長文とかはまだ全然読めないし、書けないんだけどね。

 

『アキラちゃんへ こんにちは わたしはげんきです あなたはげんきですか? あいたいです』


 何回も書き直して、一番上手くかけた手紙をイソラ様に渡す。


「これは?」

「アキラちゃんに渡して貰えますか? 大司祭様はあまりいい顔をされないので、内緒で」


 一の姫様付きの教師であるイソラ様なら、願いを聞き届けてくれる気がした。

 思った通り、イソラ様は「分かりました」と頷き、神官服の袂に手紙を入れてくれた。


「なんて言ってたか、また教えて下さいね」

「もちろんです。女神様のお心遣いにさぞ感謝されることでしょう」


 感謝されたいんじゃなくって、仲良くなりたいんだけど……。

 それってそんなに難しいことなのかな。


 神殿の人たちはものすごく過保護で、私は自分の部屋と、部屋続きの中庭しか知らない。

 しかも例の水晶球が感知するのか、中庭に出るとすぐに女官がやってきて、遠くから私を見守るのだ。

 息が! 詰まる!


 これって監禁とどう違うの?

 不満を感じ始めてきたタイミングで、再び大司祭様がやってきた。

 今度は、五人の男を引き連れて。


 

 広いと思っていた自室が、彼らのせいでいきなり狭くなる。

 そのうちの一人はちらりと寝台に目をやり、やけに色っぽい笑みを浮かべた。

 要注意人物発見。心のメモに『ロンゲは危険』と書き込む。金色の長髪を一つに結っていて、顔立ち自体はすごく整ってる。自分の容姿に自信がありそう。女の子を子猫ちゃんとか呼んでそう。

 

 大司祭様が言った「選りすぐりの」という枕詞は嘘じゃないと分かった。

 分かったけど、ガツガツ肉食系はちょっとご遠慮願いたい。


「女神様が降臨されて半年になりますな。そろそろ、外の世界に触れてみるのは如何でしょう。こちらで従者を用意させて頂きました。この者たちは本日より、女神様の下僕しもべでございます。いかようにもなさって下さい」


 大司祭様の言葉の前半部分に気を取られ、残り半分は上の空で聞いてしまった。

 

 ――そっか、もう半年か


 この半年、私がしたことといったら、読み書きの手習いと月に一度の礼拝。以上。

 話し相手は、一日置きにやってくるイソラ様と礼拝の時に顔を合わせる大司祭様だけ。女官はもちろん、祭礼の間で見かける他の司祭や貴族っぽい人たちだって、絶対に近づいてこない。

 『話すな危険』の張り紙でもついてんのかな。

 愚痴をこぼそうにも相手がいない。アキラちゃんにも会えないし、手紙の返事は一通も貰えないし、完全に詰んでいた。そんなぼっちな日々がようやく終りを告げる。


「やった!」


 私は思わず声をあげて手を叩いてしまった。

 

 大司祭様の後ろにいた、小柄で可愛らしい男の子がポッと頬を染める。

 ロンゲさんは「やれやれ」という顔をしたし、眼鏡をかけた賢そうなイケメンとがっちりしたマッチョイケメンは、何度も瞬きを繰り返した。動じなかったのは騎士風イケメンただ一人だった。

 

 大司祭様は私の突拍子もない返事に慣れているので、通常運転だ。


「よほど鬱屈が貯まっておられたご様子。大変申し訳ございません」

「いえ、あの、大丈夫です。でもこれで、どこでも好きなところへ出かけられるんですよね?」


 勢い込んで尋ねてみると、大司祭様は困惑したように首をかしげる。


「どこでも、というわけには参りませんが、神殿の中でしたらある程度ご自由になさって下さい」

「従者が一緒なら、神殿の外に出かけてもいいですか?」

「大変申し訳ありません。女神様はここ第一神殿(ラファトフェ)を離れてはならぬ決まりでございます」


 ええ~。

 そんなの初耳だ。

 やだやだ、聞いてない。床に寝転び、盛大に駄々をこねたいのを必死に我慢する。人としても女神的にもそこまでは堕ちたくない。


 だけど、一旦湧き上がった不満はすぐには引っ込んでくれなかった。

 ここにいる間ずっと、籠の鳥に甘んじなきゃいけないのなら、いっそ帰りたい。


 そう思った瞬間、こめかみに電流に似た痛みが走った。まるで戒めみたい。

 不吉な連想と断続的な苦痛に顔が歪む。

 私の表情の変化に素早く気づき、動いたのは大司祭様だった。彼が小声で何かを唱えた途端、痛みは和らいでいった。


「女神様、どうか心をお鎮め下さい。これも全ては、尊い御身を護る為にございます。世俗の澱は、聖なる女神様にとっては毒なのです」

「……分かりました」


 素直に頷くと、完全に痛みは消える。

 女神としての責務を放棄しようとしたから、頭が痛くなったのかな。こわい。恩恵しょぼいのに罰則だけ完備とか、そんなの聞いてない。


 無性に泣きたくなってきた。

 きゅっと唇を噛み締め、俯いていると、大司祭様がやけに明るい声で五人を紹介し始めた。それまで直立不動の姿勢を崩さなかった彼らも、ようやく動き始める。


「初めまして、女神様。お傍に侍る栄誉を賜り、恐悦至極にございます」

「美しき女神様。お願いですから、そのように悲しげな顔をなさらないで下さい」

「僕に出来ることなら何でもします! 何でも仰って下さいね」

「我が愛しき女神よ。どうか顔をあげておくれ」


 女神に対して許しなく名を名乗ることは、大司祭を除き、誰にも許されていない。

 これはイソラ様との授業で教えて貰ったことだ。

 私に直接問われるか、大司祭様に名を告げてもらうかの二択しかないんだって。

 

 大司祭様はそれぞれの肩書きと出自だけ紹介し、名前は言わなかった。気に入ったら自分で聞いてね、ってことなのかもしれない。

 しょうがないので、紹介された順にあだ名をつけて覚えることにした。

 

 眼鏡さん、マッチョさん、ワンコくん、ロンゲさん。

 

 それぞれ名のある貴族の子息みたい。

 ミレル神聖国は、初代ミヤビ様が降臨するまで王政を敷いていたから、神殿が政治の頂点に立つようになってからも、貴族制度は残ってるんだって。一の姫、二の姫呼びにも当時の名残がある。

 

 最後まで動かず立っていた男に目を向ける。視線がかちあっても、彼だけは黙ったままだ。

 何の気なしに「あなたは?」と聞いてしまった。


 部屋の空気が一気に殺気立つ。

 しまった、と思った時には、もう遅かった。

 私は五人の従者のうち、一人にだけ名前を聞いてしまったのだ。


「お言葉を賜りましたことに感謝致します。エーリク・ランツと申します」


 引き締まった長身に、意志の強そうな眉。切れ長の瞳はアイスブルーで、短めの髪は灰銀色シルバーアッシュだった。全体的に色素が薄くて、白い狼みたい。護衛騎士というだけあって強そうだし、見た目も大変凛々しい。

 申し分のない貴公子ではあるけど、これっぽっちも嬉しそうには見えない。

 むしろ、他の四人から射殺されそうな視線を向けられ、迷惑そうだった。


「おお。女神様はランツ様をお気に召しましたか」


 大司祭様ひとりが、満足げに頷いている。


「ランツ家といえば、名門中の名門。ご本人も、武芸だけでなく語学も堪能だとか。流石は女神様、大した慧眼をお持ちでいらっしゃる」


 今更違うとも言い出せない雰囲気で、私は曖昧に微笑んでみせた。


 ああ~、失敗した!

 なんでこの人だけ黙ってるのかな? って思っただけなのに!




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