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16.終幕

 ポカンと開いてしまった口を慌てて引き結び、私は目の前の男を再び睨みつけた。

 これがイソラの手なのだろう。もう騙されない。

 

 「イソラはエーランドの手先なんでしょう!? 誤魔化そうたってそうはいかない」


 あんな奴を様付けで呼んでたなんて悔しくて堪らない。名前呼びすら口が腐りそうだ。

 それはイソラも同じ。

 おぞましい女神降臨の仕組みを知ってなお、それを受け入れていた奴らは全員同罪だ。今まで何人の『ミヤビ』が死んでいったんだろう。

 次は私? 私がダメなら、姉? 姉がダメならその娘? そんなの絶対に許さない。

 狂った連鎖は、今ここで断ち切らなければ。


 掴まれたままの右手を取り返す為、左手で思い切りイソラの胸元を殴りつけようとした。

 ところがイソラの方が一枚上手で、結局両手とも掴まれてしまう。負けじと掴み返し、全力で押した。階段から転がり落ちろ! その隙に、地下神殿に行って召喚の術式とやらを全部壊してやる。

 

 イソラは私の突撃を受け止めながら、「大司祭様の? 冗談はやめて下さい」などととぼけてきた。


「全ては我が主の思し召しのままにー、とかなんとか、言ってた! ちゃんと、聞いてたんだから、ねっ」


 文官の癖にどうしてこんなに強いの、こいつ。

 イソラは微動だにしない。息をきらし、ぜえぜえ言ってる私は完全に格下扱いだ。自分の無力さが情けなくて、憤死しそう。こんなことなら、サイラスの筋トレに付き合っておくんだった。


「早とちりは相変わらずですね。家庭教師として幾度か注意させて頂きましたが、治っていないようだ」


 イソラはそう言いながら、視線を私の背後に向ける。

 次の瞬間。

 イソラは私を押し返し、両手を振りほどいた。

 全体重をかけていた反動で、仰向けにひっくり返りそうになる。階段の角で頭をぶつけて死ぬのは嫌だ。目をつぶって背中を丸めた私を固い石階段から守ってくれたのは、エーリクだった。

 片膝をつき、かかえ込むようにして左腕で抱きとめてくれる。


「前にもこんなことがあったな、イソラ。二度は許さないと、あの後俺は言わなかったか?」

「エーリク!」


 私を探して走り回ったのだろう。髪はぐしゃぐしゃだし、汗はかいてるし、顔色は酷く悪い。

 それでも今まで見た中で、一番かっこよかった。エーリク。エーリク。良かった、無事だった!


「手を繋いだままだと、貴方に問答無用で斬られそうでしたので。それにしても、化物ですか……大型の猛獣で実験済みの薬だったんですよ」


 イソラはエーリクの攻撃を警戒し、数歩下がってそんなことを言った。


「生憎、薬には耐性があってね。アキラ姫には手出ししない。代わりにお前も、姫を見逃す。そういう協定だったな。破棄するつもりなら、ここで決着をつけてやる」


 エーリクは私を後ろに押しやると、すっくと立ち上がった。


「まさか。アキラ様の望みは、ミヤビ様をこの神殿から解放すること。彼女を悲しませるつもりはさらさらありません。逃がす為に拘束を解いたら、勘違いしたミヤビ様がいきなり殴りかかってきたのです」


 イソラを見据え、剣の柄に手をかけたままのエーリクが「そうなのですか?」と確認してくる。


「……そうです」


 言われてみれば確かにそうだ。だけど、どうにも釈然としない。


「そもそも、イソラがあんな言い方するから! イソラの主はエーランドなのかと思って、姉さんを裏切ったのかと思って――」

「ありえませんね。あの男は、私の敵です。もう何十年も前から」

「私はエスパーじゃない! 聞いてないことまで知るか!」


 どいつもこいつも、隠し事しやがって。

 察知できない私が悪いっていうの? ふざけるな。


「大体分かった。予定を狂わせて悪かったが、うちの姫はものすごく素直なんだ。人を疑うことを知らない」

「いえ、私も嫉妬してしまい、大人げないことを言いました。ミヤビ様、申し訳ありません」


 エーリクが剣から手を離すと、イソラも首を振る。

 

 嫉妬って……。

 イソラに抱いていた『余裕ある大人の男』イメージが音を立てて崩れていく。

 彼の本当の素顔は、アキラ姫にしか見せないのかもしれない。何はともあれ、主従(彼ら)の固い絆は健在だった。おぞましい顛末の中、それだけが救いだ。


「ミヤビ様のお怒りは百も承知。ですが、これだけは言わせて下さい。アキラ様はミヤビ様が憎いわけではありません。この神殿で次代の女神を孕めば、ミヤビ様は死ぬ。これ以上、女神が死ぬのは見たくない、とアキラ様は仰っていた。ミヤビ様とあからさまに距離を置いたのは、大司祭を油断させる為」


 ――『初手はいいんですけどね。フォルは詰めが甘い。誘い込むつもりなら、徹底的に油断させないと』

 

 カミーユの声が耳奥に蘇る。

 ……やっぱりアキラ姫はすごい。

 私と初めて会った幼い日から、こうなるように手を打ってきたってことだ。

 嫌われていたんじゃなかった。私を案じてくれていた。強ばった仮面のような冷たい表情は、姉の精一杯の鎧だったんだ。


「姫が、死ぬ?」


 エーリクは呆然とした声で呟き、それから地を這うような声で「全部吐け。隠すな、殺すぞ」とイソラを脅した。エーリクの全身に殺気がみなぎる。

 イソラはやれやれと言わんばかりに首を振り、早口で一部始終を説明した。


「そうだったのか……ようやく繋がった。まさか、そこまで腐っていたとは」

 

 女神交代の血なまぐさい真相にもエーリクは驚かず、納得したみたいに頷く。それから大きく息を吐き、更に念を押した。


「ここから出ても、姫の体に異変は起こらないんだな?」


 エーリクの手が、なにかを探すように動く。

 勘違いかもしれないけど、そっとその手を握ってみた。途端に、力強く握り返される。

 ほんの一瞬、エーリクと目があった。

 包み込むような温かい眼差しに、泣きたくなった。嘘だらけの世界で、エーリクだけは最後まで約束を守ろうとしてくれている。


「ええ。すでにミヤビ様の魂は定着してます。神殿から出れば、時が正常に流れ始めるだけ。身ごもられたとしても、術式と召喚陣がなければピオニーは発生しません。港から国外へ逃れるつもりなのでしょう? アキラ様はじきに神殿を制圧します。あの男のことは、アキラ様にお任せを。ここに残ればミヤビ様も無傷では済まない。早めに脱出されることをお勧めします」


 エーリクが動かない可能性を考慮し、アキラ姫は別動部隊を出したそうだ。

 秘密裏に私を保護しようとしたと聞かされ、エーリク達が彼らを殺さなくて本当に良かった、と胸をなで下ろした。危うく恩を仇で返すところだった。


「ああ。悪いが、このまま抜ける」


 エーリクは短く答え、階段を戻ろうとする。

 待って、ちょっと待って!


「召喚陣を破壊しなきゃ。それにジョルジュ達だって、あのままにしておけない。どんな理由があったにせよ、私がミレルの女神だった。開戦宣言書は私がサインしたんだよ。土壇場で自分だけ逃げるなんて出来ない」

「言うと思いました」


 イソラはふっと頬を緩め、教え子を諭すように口を開いた。


「神殿の闇は、私が必ず葬り去ります。ミヤビ様、もう十分ではありませんか。貴女は被害者だ。元いた世界を無理やり捨てさせられ、生きる場所を限られ、それでも懸命に女神役を務めてこられた。本来なら貴女にこそ、復讐の権利がある」


 復讐したくないわけじゃない。

 以前の世界での記憶がどこにもないから、思いが定まらないだけだ。私の人生の全ては、ここミレルの神殿にあった。

 大司祭は確かに憎い。この国の中枢システムも。絶対に許せないし、壊したい。だけどそれは今、姉さんが成し遂げようとしている。下手に手を出せば、邪魔になるだけだろう。

 俊巡する私に、イソラは微笑みかけた。

 いつもの完璧なそれじゃない、不器用な笑み。


「ですがミヤビ様の性格上、憎しみを抱き続けるのは難しいということも存じております。ですから、どうかお逃げ下さいと申しております。痛ましい犠牲は、貴女のお母様で終わりにして下さい」


 イソラの声を呼び水に、今までの日々が一気に蘇ってきた。

 出来損ないの自分を恥じたこと。せめてやれることはやろうと奮闘したこと。それでも毎日不安で堪らなかったこと。

 母が元の世界へ戻ったなんて、大嘘だった。

 私と同じ境遇だったのなら、母たちは最後まで何が起きてるか分からなかっただろう。産まれてくる子供を楽しみにしていた? それとも嫌だった? 確かめる術はなく、分かっているのは、彼女たちはただ一人の例外なく死んでしまったという事実だけ。堪えきれない涙が溢れてくる。


「今更、味方面か?」


 エーリクはイソラを睨みつけた。


「思ったことを口にしたまでですが」


 平然と答えたイソラに舌打ちすると、エーリクは私に向き直り、繋いでいない方の手を伸ばしてきた。涙で濡れた頬を、エーリクの武骨な指が優しく拭う。

 彼は身をかがめ、私の瞳をまっすぐに覗き込んできた。


「悔しいが、こいつの言うとおりだ。全てを水に流せとは言わない。貴女の気が済むまで、どんなことにだって付き合う。……好きだ。俺だって、貴女が好きなんだ。頼む、俺を選んでくれ」


 エーリクの真剣な告白に、ぐらぐらと決意が揺さぶられた。

 アイスブルーの精悍な瞳はひたむきな熱を帯び、私が頷くのをこいねがっている。


「……今までずっと頑張ってきた姉さんに、後始末まで押し付けるなんて、薄情な妹だね」

「そんなことない。アキラ姫は喜々として取り組むと思う。随分用意周到にこの時を待っていたみたいだしな。それに心配しなくても、彼女はこいつが支えるだろ」


 エーリクが親指でイソラを指す。

 イソラは盛大に顔をしかめ「もちろんそのつもりですが、人から言われると無性に腹が立ちますね」と言い返した。この二人、もしかしなくても仲が悪い。

 イソラはそのまま踵を返した。地下神殿へと降りていく彼の背中は、静かな決意に満ちていた。

 

 俺たちも行こう。

 エーリクは促し、私の手を引いた。


「急いで皆も逃がさなきゃ!」


 慌てて叫ぶと、エーリクは面白くなさそうな顔で「あいつらなら、簡易転移陣で送っといた」とだけ言う。


「送ったって、どこに?」

「実家の兄の部屋。前に会った時、保険として貰ったんだ。ランツ家はアキラ姫を支持してるから、あそこが一番安全だ。盛られた薬のこと、兄なら頼まなくても調べるだろうしな」


 そういえば、変わり者のお兄さんがいるって言ってたっけ。

 ランツ家が一の姫派だったことは初耳だ。でも、これでエーリクが悩んでいた理由が分かった。

 

 家か、私か。選択を迫られ、それでもエーリクは私を選んでくれたんだ。

 全てを捨てるのは、エーリクも同じなんだ。


「ねえ、エーリク」


 小走りで彼についていきながら、私は決意を伝える。


「いっぱい話をしようね。お互いに知ってること全部。私、これからはもう『そんなの知らなかった』なんて言いたくない!」

「仰せのままに」


 エーリクは微笑みながら、私の手を握り直した。

 指を絡め、同じ方向を目指して。ぐん、とスピードが上がる。

 私たちは、エーリクがいつも使っている秘密の抜け道を駆けた。

  

 

 神殿の外は、肌寒かった。

 ミレルに四季があることを、この世界にきて五年目で、私はようやく知った。





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