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14.ある護衛騎士の後悔(side:エーリク)

 諜報の真似事なんて引き受けるんじゃなかった。

 神殿側の裏をかいてやるつもりで乗り込んできたのに、絡め取られたのは自分の方だなんて、情けない話だ。


 ぐっすりと眠り込む二の姫を、恨めしく眺める。

 貴女がもっと女神らしかったら良かった。

 人の常識なんて軽く超えたところで、好きなように振舞う自由で傲慢な女神であれば、出口のない袋小路で苦しむ羽目にはならなかった。



 数年かけて集めた大司祭に関する情報と考察を子飼いの男に渡し、しばらく経ったある日。

 珍しく向こうから呼び出しを受け、神殿を抜け出した。いつもの待ち合わせ場所に現れたのは兄だった。彼の姿が視界に入った瞬間、深いため息が口から出てしまう。長い話になると予感した。

 ジョルジュに代わりを頼んできたものの、一刻も早く彼女の傍に戻りたい。

 ここ最近、大司祭が二の姫を構うことが増えた。あのクソじじいに、姫がまた何かされるんじゃないかと思うと、気が気じゃなかった。


「そろそろ潮時みたいだ。今のうちに戻っておいで、エーリク」

「俺は戻らない。伝わってないのか?」


 今まで通り、神殿は探る。だが、二の姫を害することだけは絶対に見過ごさないし、許さない。

 ランツ家にしてみれば、裏切りとも取れる書状を送ったのは二年も前のことだ。


「聞いてるよ。手紙を読んで、父上は唖然としてらした。いまだに半信半疑みたいだけどね。僕はお前が本気だと思ったから、ここまで来たんだ」


 兄は小さく笑みを浮かべ、首を傾げる。


「黒目黒髪の美女らしいね。西のカナン国では珍しくもない容姿だ。お前が望むなら、二の姫に似た女を探してきてあげる」

「いらない。外見だけ似てたって意味がない」

「……エーリク、女神は人じゃない。お前の相手にはならないよ」


 

 大人しそうな見た目だが、兄の本質は残酷だ。

 利になるかならないか。平気で天秤にかけ、ならないと思えばあっさり切り捨てる。情を排除した徹底的な合理主義が、兄の信条だった。

 そんな彼が夢中になったのは、薬物の研究。お陰で子供の頃はひどい目に合った。

 兄も俺も、灰銀色の髪をしている。もともとは二人共、淡い金色だった。「実験」と称し、怪しげな魔法薬を飲まされているうちに、髪の色が抜けてしまったのだ。このままでは殺される。いい加減にしろと怒鳴っても、兄は平然としていた。

 

 『嫌だな。致死量や後遺症のことはちゃんと考えてるってば。髪の色くらい安いだろう? 劇薬への耐性は、旧王家の血を引く僕らには必要だからね』

 

 完全に後付けの理由に舌打ちした。

 知りたいから、確かめる。兄は自分の欲望にどこまでも忠実なだけだ。国の衰退を憂う気持ちを、兄の特異性が後押しした。家を飛び出した理由の半分は、目の前の男だ。

 

 神殿に入ってから、再び兄と関わるようになった。

 二の姫の部屋で焚かれている香を送った時は、狂喜乱舞したらしい。


 『意識を混濁させる成分に、暗示にかかりやすくなる成分。分析かけたら、とっくに使用禁止になってるはずの薬物ばっかり出てきたよ! 痛み止めと抗うつ剤もかなりキツいものだ。こんなの吸って普通に過ごしてるなんて、女神は素晴らしい被検体だね。ぜひ、他にも試してもらいたいな』


 興奮しきった手紙を受け取った時は、兄も大司祭も、どうしてやろうかと思った。

 

 道理で女官を彼女の部屋に長居させないはずだ。

 分かってからは、匂いがそっくりな別の線香と取り替えてやった。

 いきなり薬を抜くと逆に危険かもしれないと、兄は緩和剤を送ってきた。そのまま二の姫に使うのは怖かったので、しばらく自分で試してから使うことにした。

 飴と称した緩和剤を渡すと、姫はいそいそと頬張り、嬉しそうに口の中で転がす。

 人を疑うことを知らない無防備さにもどかしくなると同時に、だからこそ俺が守らなければと強く思う。

 あんまり彼女が美味しそうに舐めるものだから、フォルにもねだられたことがあった。断ると、フォルは腹いせに他の従者にも話し、しばらく皆から「餌付け中」と揶揄された。


 二の姫の傍に侍ることを許された夢のような二年間が、脳裏に浮かんでは消えていく。


 彼女は懸命に机にはり付き、勉強していた。

 眉間に皺を寄せながらも、書類を読んでは資料と突き合わせていた。

 自分の下した決断が本当に正しいのか分からない。そう言って、顎に子供みたいな窪みを作っては、涙を堪えていた。

 寝台にもぐり込み、無邪気な笑みで他愛もない土産を眺めていた。

 枕に広がる艶やかな黒髪をこの手で乱したいと、幾度思ったか。


 知識を持たない不完全な女神、と初めは陰であざけっていた高位司祭の中にも、彼女のひたむきさを支持する者が増えている。

 このまま二の姫を中心として、歪んだ国を変えていけるのではないか。

 微かな希望を抱き始めた頃、イソラに声をかけられた。一の姫側につかないか、と。

 

 アキラ姫が独自に派閥を作っていることには、もちろん気づいていた。だがじきに他国の王子妃となる女だと、軽く見ていたのがいけなかった。

 いつの間にかランツ家も、一の姫を支持する側に回っていた。


 アキラ姫が目論んでいるのは、神殿を中心とした独裁政治の廃止だという。

 綺麗事を並べたって、つまるところ国の簒奪だ。女神になれなかった女神の娘が、実の妹から国を奪おうとしている。



「ここだけの話だけど、アキラ姫とあちらの王子の結婚は目くらましだよ。彼女の取引相手は、カイスベクファ国王陛下ご本人だ」


 兄の呟いた言葉に、息を呑む。

 そこまで話は進んでいたのか。食い入るように見つめると、彼は肩をすくめた。


「お前の渡してくれた情報も、家の判断に大いに役立った。神殿の腐敗は、もう自浄できないところまできている。国民には女神信仰がすっかり染み付いてるから、表立っては追い落とせないし、エーランド・ヘンネベリは蛇のように狡猾な男だ。女神の娘同士の対立に見せかけて、一気に壊すしかない。アキラ姫の輿入れまでに、家に戻るんだ。他の従者を見捨てられないのなら、彼らも説得すればいい。船が沈む前に逃げろ、ってね」

「父上は逆賊の反乱を許す気なのか!?」


 低い声で問い詰める。


「その文句は不適切かな。だって、もともとこの国は女神のものじゃなかっただろう?」


 兄は眉ひとつ動かさず、言い放った。


 このままいけば、見せしめに処刑されるのは当代女神と大司祭。一の姫は溜まりに溜まった国民の鬱憤を、二の姫にぶつける気だ。

 何がそれほどアキラ姫を駆り立てるのか、俺には分からなかった。彼女の方は盲目的なほど、姉を慕っているというのに。


「分かったよ。好きにすればいい」


 頑として頷かない俺を見て、呆れたように兄は言った。


「はい、お前に頼まれた調べ物。初代女神の記録は、当時の王の側近が残していた。封鎖されてる王城の家探しをするのは、ランツ家の名を使ってもなかなかの骨折りだった」


 兄が懐から取り出した記録の写しをひったくるように受け取り、目当ての部分をザッと読む。

 

 思った通り、初代女神は不老ではなかった。

 希望に過ぎなかった観測が当たり、喜びがこみ上げる。

 たぐいまれな知識だけが、初代ミヤビを女神たらしめていたようだ。彼女はあらゆるところへ足を運び、積極的に諸外国と交流を持とうとしたらしい。第一神殿から出てはならないという掟は、二代目以降に生じたもの。そして二代目から、女神は年を取らなくなっている。


 やはり女神交代には、なにか秘密があるのだ。

 その何かさえわかれば、二の姫を人に戻せるかもしれない。ただの女になった彼女を、神殿から連れ出し、迫っている危険から遠ざけることだって出来るかもしれない。

 

 彼女と共に生きられる可能性の出現に、いてもたってもいられなくなった。

 

 置いて行きたくない。俺だって、貴女をひとりにしたくない。

 俺の姫。今ではどれほど貴女に恋焦がれているか。



「頑張ったお兄様に、感謝の言葉はないの?」

「今までの実験で相殺しろよ。……けど、助かった」

「僕は、お前に死んで欲しくはないんだよ」


 兄はポツリとこぼすと、「これは餞別」と小さなガラス瓶を寄越した。それと、簡易転移陣の描かれた布。

 ガラス瓶の中身は知らないが、この手の布は幾度か目にしたことがある。座標を特定し、かつ近距離であれば一瞬で移動できる便利な品物だ。使い捨ての割にかなりの貴重品で、簡単には入手できないはずだった。


「あらゆる魔法を遮断する防御薬だよ。効果を発揮するのは一時間ってとこだけど、ないよりマシだろう? お前は剣は得意でも、魔法はからきしだったから。こっちの転移陣は、僕の部屋と繋げてある。気が変わったら、逃げておいで。神殿とうちの家なら、たぶんぎりぎり範囲内だ」


 俺が戻らないことを、兄は初めから予想していたらしい。

 でなければ、わざわざこんなものを作って持って来たりしない。無駄を嫌う兄らしからぬ準備の良さに、思わず笑ってしまった。


「いざという時、姫の守りになる。ありがとう」

「……やれやれ。お前が女神を護るのは勝手だけど、アキラ姫の邪魔はするなよ。ランツ家は一の姫についたってこと、忘れるな」


 男は女で身を滅ぼすっていうけど、本当だったな。

 そんな捨て台詞を吐いて、兄は去って行った。


 

 兄からの情報を受け、一の姫の拠点である第二神殿側を探ってみた。

 家の肩書きは大いに役立ってくれた。怪しげな動きはあちこちで見られる。アキラ姫の巧みな人心掌握術には舌を巻くしかない。あれでまだ十八とか信じられない。老獪すぎるだろ。兄に釘をさされるまでもなく、すでに覆せないところまで反逆の根は張り巡らされていた。

 

 腹をくくった俺は、他の従者におおまかな事情を打ち明け、決断を迫った。

 逃げるのなら止めないが、二の姫を手土産にするつもりなら斬る。そう口にした俺を、ジョルジュたちは笑い飛ばした。


「何を言い出すかと思えば。今更ですね」


 カミーユは眼鏡のつるを押し上げ、これみよがしな溜息をつく。


「そうですよ、エーリクさん。僕たちの目を、ボタンか何かだと思ってます? 脳みその代わりに、木屑が詰まってるとでも?」

「フォル。言い過ぎだ」


 童顔に似合わない毒舌を繰り出したフォルを窘め、サイラスが俺に向き直る。


「確かに私たちの家は大司祭派ですが、とっくに縁は切ってます。ミヤビ様の元に残ると決め、ミヤビ様直々に名前を聞いていただけたあの夜から、私たちはミヤビ様の忠実な犬なんです。たとえ大司祭が何を仕掛けてこようと、たとえこの国の全てがアキラ姫を支持しようと、私たちの主はミヤビ様ただお一人です」

「……信じていいんだな」


 念を押した俺の肩を、ジョルジュが拳で小突く。


「君一人のミヤビ様だと思うのは、いい加減止めて欲しいね。前から聞きたかったんだけど、どうして君だけミヤビ様を『姫様』呼びするんだい?」

「あ、それ僕も気になってました!」


 こぞって騒ぎ出す彼らのやかましさに、つい本音を漏らしてしまう。


「彼女の本当の名前じゃない。それは代々の女神の名だろ」


 言った後で、自分の幼い拘りが恥ずかしくなった。いい年して何を言ってるんだか。

 あっけに取られたジョルジュは俺を凝視し、「君だけが最初からミヤビ様を一人の女性扱いしてたってわけか。勝てないはずだ」としみじみ言った。純愛だ、すごい、などと良いように解釈する馬鹿共は放っておいた。



 

 アキラ姫は国境でカイスベクファ軍と合流すると、来た道を引き返す形で進軍を始めた。


 彼女が主体となって行った街道整備は、どうやらこの日の為の下準備だったらしい。

 『ミレルが衰退した原因の全ては今の神殿にある』

 もっともらしく主張するアキラ姫の声は、民を傍観へと追いやった。

 アキラ姫の国民人気が高かったこと、女神が神殿から決して出てこないことも、大司祭側には不利に働いた。ほとんどの領主が、これはカイスベクファの侵略ではなく内乱だと判断し、兵を動かさなかった。



「それは、本当のことなの?」


 一の姫蜂起の知らせに、二の姫は真っ青になった。

 慌てふためく大司祭に決断を迫られながら、信じられないといわんばかりの表情で俺たちを振り返る。


「本当にアキラ姫が? カイスベクファに人質に取られたんじゃなくて?」


 信頼していた姉の裏切りが、どうしても飲み込めないのだろう。

 頬を引き攣らせながら、何度も確認してくる。

 あまりの痛ましさに、俺以外の四人は顔を背けた。彼女が一の姫宛に報われない手紙を送り続けていたことは、従者全員が知っていたから。


「エーリク……そうなんだね? 姉さんが首謀者なんだね」

「残念ですが、そうです。彼らはすでにトヴァリセルを越えたとの情報が。首都へ攻め込んでくるのも時間の問題でしょう」


 これ以上隠しておくことは出来ない。

 縋るように見つめてくる彼女に頷くと、二の姫はか細い息を吐きながら額を押さえた。


「急がねば、甚大な被害が出てしまいます。女神様! どうかミレルに仇なす逆賊に、正義の鉄槌を!」


 大司祭の強い言葉に圧され、彼女は唇を震わせながら羽ペンを強く握り締める。

 従者全員が、うるさく吠える大司祭を睨みつけた。殺気混じりの視線には気づいている筈なのに、大司祭はまるでこの部屋に彼女だけしかいないように振舞っている。

 

 二の姫はパシン、と自分の頬を両手で叩くと、確かな筆跡で開戦宣言書にサインした。


「非戦闘民を巻き込むことは許しません。女性と子供を優先に、すぐに避難を始めさせて下さい。場所がないのなら、王城を開放して。彼らの目的は、私なんでしょう? 攻めてくるのなら神殿ここです。とにかく一日も早く、戦を収めないと。長引かせては絶対にダメ。アキラ姫と直接話すことが出来るよう、相手側と交渉して下さい」


 彼女はしっかりした口調で命じ、大司祭を執務室から追い立てた。

 

 日頃あんなに泣き虫なくせに、本当に辛い時、彼女は泣かない。

 黙って傷を隠し、無理やり笑うのだ。

 だが、今回は違った。


 確固とした意志の光が、強い憤りが、姫の瞳を煌めかせている。

 まるで黒曜石のようだ。場違いにも、一瞬見惚れた。

 

 彼女は書机から立ち上がると、窓際へ歩みより、カーテンを両手で開けた。


「――そんなに女神の座が欲しいのなら、早々にくれてやったのに」


 二の姫は、主の消えた第二神殿をまっすぐに見据えた。





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