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13.決別

 私が女神業を頑張れば頑張るほど、大司祭様の表情は曇っていった。

 

 『女神様のお手を煩わせる己の至らなさが身に染みるのです』


 そう言って白髪混じりの眉を下げながら、私を政務から遠ざけようとする。

 信仰心の厚い大司祭様には耐えられない所業なのかもしれない。それでも、ミレルの困窮を一度知ってしまえば、見て見ぬ振りは出来なかった。

 

 神殿にいる人達って、みんなどこか浮世離れしてる。だから苦しんでる民の声が届かないのかな。私も同じだった。一年中花が咲いてて、身奇麗な女官がお世話してくれて、決まったことの繰り返しで一日が終わっていく、幸せで狭い世界。それは放っておくと、どんどん現実から乖離していく。

 

 仕事が減ったのか、大司祭様は以前より私の傍にいることが増えた。

 従者以外の人間が私に近づこうとすると、すぐに寄ってきて目を光らせる。

 精力的に外交の仕事をしているらしいアキラ姫と話す場を設けたくても、大司祭様ブロックのせいでなかなか実現出来なかった。

 私とアキラ姫が接点を持つと、自分の地位が揺らぎそうで不安なのだろうか。三人で協力する道だってある筈なのに、大司祭様は頑なだった。


 

 アキラ姫へ


 これで何十通目の手紙になるかな? 

 ひと月に一度の割合で出しているので、全部合わせたらかなりの量になるのではないでしょうか。

 半分日記みたいになってるこの手紙、アキラ姫に読んで貰えたらいいなと思うけど、読まれたら恥ずかしいな、とも思います。変だよね。

 カイスベクファとの外交、それに貴族院への出席。ここから出られない私の代わりに、沢山の公務をこなしていると聞きました。女神の娘としての責務を、嫁ぐその日までしっかり果たそうとしてるアキラ姫を誇りに思います。これからも一緒に、この国を豊かにしていきたい。離れていても、協力は出来ると信じています。

 カイスベクファへの輿入れまで半年を切ったからかな。最近、無性に寂しいです。

 いつか、会いたいです。会って沢山お話したいです。


 

「これ、いつものお手紙。イソラ、よろしくね」

「はい。確かに承りました。アキラ様も喜ばれます」


 そう言うイソラの方がよほど嬉しそうだ。手紙を受け取り、いそいそと退出する背中を見送る。

 これから第二神殿へ手紙を届けに行くのだろう。アキラ姫に会う前のイソラは幸せそうだから、すぐに分かる。扉が閉まるのとほぼ同時に、エーリクが不満げに眉をひそめた。


「まだあの男に心を残していらっしゃるのですか。いい加減諦めたらどうです」

「まさか! 何年前の話よ」

「ほんの二年前ですね」

「あの時も言ったでしょ。本当に好きだったのかなんて分からないって」


 イソラに憧れを抱いたのは、アキラ姫の側近だったからだ。彼らの確かな信頼関係が羨ましかった。自分には縁がないと思い込んでいたから、余計に。


「顔が好みだと仰ってました」

「やけに絡むなぁ」


 エーリクをまじまじと見上げる。

 もうじき二十七になる彼は、誰もが振り返らずにはいられない美青年だ。すっかり幼さが抜け、凛々しさに説得力が出てきたって感じ。引き締まった長身も、整った男らしい面差しも、全てが魅力的なのに、拗ねた表情が全てを台無しにしている。


「エーリクの方がかっこいいよ」

「……とってつけたような世辞はいりません」

「自分で言ってたくせに」


 背伸びをし、きゅっと高い鼻をつまんでやる。心底嫌そうな顔になったエーリクは、それでも私の手を振り払おうとはしなかった。一方的に気が済んだので、彼を連れて執務室を出た。


「手紙だって、書くのをやめればいいのです。どうせ返事は来ないのですから」


 エーリクはまだブツブツ言っている。


「ねえ、エーリク。アキラ姫って、言いたいことはズバッと言ってくるタイプだと思わない?」


 エーリクは急に何を言い出すんだ、といわんばかりの訝しげな視線を寄越した。

 実際に会話したことは、数えるほどしかない。だけどその度、アキラ姫は遠慮なく正論を述べてきた。


「私の手紙が本当に迷惑なら、アキラ姫はこう言うと思う。『このような暇があるのでしたら、もっとしっかりご公務に励まれては如何です?』」

「それはそうですが……」


 私の物真似は全く似てなかったらしく、エーリクは渋面を崩さない。


「それに、私が見てない時は、こっちを見てるんだよ、アキラ姫」

「気づいていらっしゃいましたか」

「視界の端には映ってるからね。何か言いたそうな、苦しそうな顔して、でもいざ目が合うとサッと強気な仮面を被ってこっちを見返すの。心底嫌われてるわけじゃないと思う。何か理由があるんだよ。その理由を、いつか知れたらいいなと思う」


 だから、彼女と私を繋ぐ細い糸を、私からは断ち切りたくない。

 そう締めくくると、エーリクは呆れたように黙り込んだ。

 馬鹿みたいに姉を慕う私が理解できないんだろう。確かに客観的に見てみれば、どうなの? って話だ。それでも私は、初めて会った時からアキラ姫が好きだった。



「そうだ、今晩のお土産はなに?」


 重くなった空気をどうにかしたくて、話題を変える。


 週に一度、お忍びで街に降りる彼がお土産を持ってきてくれるようになったのは、一緒の部屋で休むようになってからだ。

 ソファーで寝ていたエーリクが次第に疲れを貯めていくのを見かね、自分の寝台に招くようになった頃。エーリクは寝台に入る際に、ちょっとしたお土産を渡してくれるようになった。

 一番初めのお土産は、絵本だった。凝った仕掛けの美麗な絵本を私はひと目で気に入った。それからもエーリクは、神殿にはないものを探しては持ってきてくれる。


自鳴琴オルゴールです。姫様の好みそうな旋律だったので」

「わぁ、夜が楽しみ!」


 思わず声が高くなる。

 通りかかった司祭様の耳に入ったのか、ぎょっとした顔で見られた。彼はそそくさと俯き加減で足を早めて行ってしまう。しまった。

 誤解を招くような言い方は止めろって叱られると思ったのに、エーリクは何故か満足そうだった。


 

 食事と湯浴みを済ませた後、いつものように寝台の真ん中にクッションを並べ、防波堤を作る。

 これはエーリクが提案してきた「けじめの境界線」だ。

 エーリク側から侵すことは決して出来ない鉄壁の防御ライン、らしい。ただのクッションだけど。

 並べ終えてから、ゴロンと寝そべる。それから同じく身体を横たえたエーリクの方を向いた。エーリクは私に小さな箱を寄越すと、すぐに仰向けになってしまう。

 

 待ちきれない思いで箱のネジを巻き、蓋を開けた。

 開けた途端、さやかなメロディが流れてくる。箱の中のお姫様が、曲に合わせてくるくる踊り始めた。視覚魔法もかかっているみたいで、お姫様の周りに花吹雪が舞い、やがて白い花の冠を形作ると、お姫様の頭にふわりと乗る。


「いい音……すっごく素敵」


 うっとりしながら蓋を閉め、またネジを巻いて蓋を開け、を繰り返す。

 何回も続けてやると壊れちゃうかな。名残惜しいけど、眺めるのを止めて枕の下にしまいこんだ。お礼を言おうとエーリクを見れば、ばっちり目が合う。

 やけに幸せそうな顔をしていたエーリクは、私の視線に気づくと、慌てて表情を引き締めた。


「ありがとう、エーリク」

「こんな子供騙しの品物を喜ぶのは、姫様くらいです」

「そうかな」

「宝石や装飾品には興味がないのでしょう?」


 エーリクにしてみれば、買ってあげる甲斐がないのかもしれない。うーん、と考え込み、本音を口にした。


「興味は普通にあるけど、私って見た目が派手でしょ。宝石つけると、悪の女王感が増すんだよね。それが嫌なの」


 エーリクは一瞬きょとんとした後、くつくつと肩を震わせ始めた。


「確かに正装すると、いっそうあでやかにはなられますが、悪の女王だなんてことは――」


 笑いながら擁護されたって、ちっとも嬉しくない。


「このオルゴールのお姫様みたいに、花の冠が似合う子になりたかった。ほら、アキラ姫みたいな」


 アキラ姫なら、どんなにゴテゴテした宝石をつけても似合いそうだ。清楚で汚れなき乙女感、つよい。


「私は似合うと思います。野の花は、貴女にぴったりですよ」


 さりげなくこき下ろし、エーリクは何を想像したのかふんわり微笑んだ。

 きつめの凛々しい顔が、一気に和らぐ。こんな風に可愛らしく笑う彼を独占できるのは自分だけなのだと思うと、ほの暗い喜びがこみ上げてくる。

 エーリクは私の従者だ。今はまだ、私だけの。


「ねえ、寝るまでエーリクの話を聞かせて。剣の大会で優勝した後の続き」

「私の話なんて聞いて楽しいですか?」


 疑り深く目を細めるエーリクに「楽しいよ」と言い返す。


「私は神殿ここしか知らないから、色んな土地の話を聞くの面白いし、少年時代のエーリクのこともっと知りたいし」

「……これで自覚なしなんだから、手に負えない」


 ため息混じりの愚痴をこぼし、エーリクはそれでも話の続きを聞かせてくれた。心地よい低音が紡ぐ、やんちゃな少年の冒険譚は、優しい眠りを運んでくる。

 目を閉じてしばらくすると、エーリクの声が止み、衣擦れの音が聞こえてきた。

 エーリクはいつも、私に背中を向けて寝る。

 言い知れない淋しさに胸の内側を引っ掻かれながら、私も壁側に寝返りを打った。



 

 

 そんな毎日を繰り返した結果、私はあっけなくエーリクに落ちてしまった。


「エーリクのこと好きだよ」


 勇気を出して告白した私を、エーリクは拒んだ。

 

 彼は性格にちょっと難はあるけど、頭はいいし、機転は効くし、頼もしくて責任感が強い。毎日毎晩一緒にいて、世話を焼かれて、好きにならない方がおかしいってくらいにはいい男だ。

 エーリクだって、私に好意を仄めかすような態度をちらちら見せていた。

 同情が友情に進化したのかもしれない。もしかしたら、本人も気づかないうちにグレードアップして愛情に育ったのかも。

 今思うと、馬鹿な期待をしてしまった。


「お気持ちを返すことは出来ません。どうか私を試さないで下さい」


 エーリクは苦痛に歪んだ表情で私に乞い願った。

 少しずつ育んでいた恋情が、あっけなく潰された瞬間だった。


 即答で拒否しなくてもよくない? 

 それだけでもかなりショックだったのに、更にエーリクは、かといって他の従者を好きになってはダメだと言い出した。彼は白い狼ではなく、聖獣ユニコーンだったのか。乙女の純潔絶対守るぜオーラがとにかくすごい。

 いつかは女神として娘を成さなきゃいけないんだよ、と説明する私に、エーリクはそんなことはない、と譲らなかった。


「姫様は若く、しかも年を取りません。貴女以外の女神などいらない」

 

 新たな知識をもたらせない不完全な女神わたしに、次代を呼ぶなというの?

 

 このまま永遠に女神業をやれなんて、ほんと残酷なことを言う。私を置いていつかは逝ってしまうくせに。イソラといい、エーリクといい、私はとことん恋愛運がない。

 

 いずれはエーリク以外の従者との間に子供を設けなくてはいけないだろう。頭では分かってるものの、なかなか踏み切れないでいた。それに子供を産んだら、元の世界へ帰らなければならない。諸々の覚悟が出来るまで、もうしばらく待って欲しい。

 

 

 

 中庭から見上げる夕焼けは美しかった。

 力強い赤銅色が、薄紫と群青色で大胆に塗り替えられていく。自然の色は濁らない。刻々と姿を変えていく夕暮れ空は、ここではないどこかを思い起こさせた。


「女神様。ここにおられましたか」


 大司祭様がやってきて、収穫祭の式典について話し始めた。

 打ち合わせを済ませた後、「いよいよですな」と大司祭様は視線をあげた。

 第二神殿のバルコニーには、アキラ姫とイソラが出てきている。寄り添う彼らを思わせぶりに眺め、大司祭様は首を振った。


「収穫祭の次は一の姫様の輿入れです。イソラもそろそろ身を弁えねば」

「……一緒には行けないですもんね」


 独り言のように漏らしてしまった戯言を、大司祭様は聞き逃さなかった。


「イソラは司祭です。あの者の全ては、この神殿に捧げられておるのです」


 温和な大司祭様の口から出たとは思えないくらい、その声は奇妙な熱に満ちていた。一人だけ抜けることなど許さない、と言わんばかりの凄みに、私は息を飲んだ。

 エーリクはまだ帰ってきていない。急に出かけてしまったのだ。鳥肌の立った二の腕を摩り、心細さを堪える。

 見るものをぞっとさせる狂気の光は、すぐに消えた。大司祭様はおっとりと微笑み、私の背をやさしく押した。


「そろそろ中へお戻り下さい。冷えてしまっては大変です」


 ぎこちなく頷き、踵を返す。

 すっかり薄闇色に塗り替えられた空には、無数の星が煌き始めていた。



 

 収穫祭が終わり、アキラ姫の輿入れが近づくにつれ、エーリクは黙り込むことが増えた。

 物思いに耽ったり、何かを言いかけては口を噤んでしまったり。それは従者の皆も同じで、どこかピリピリしている。一人除け者にされてる気がして面白くない。


「言いたいことがあるなら言ってよ。最近、しょっちゅう神殿を抜け出してるみたいだけど、家の方で何かあった? 皆とコソコソ話してるのも知ってるんだからね」


 その夜、私はとうとう我慢しきれず、寝台に入る前にエーリクを問い詰めた。

 エーリクはきつく唇を引き結び、苦しげに自分のシャツの胸元を掴む。なにがそんなにエーリクを追い詰めているのか、見当もつかなかった。


「……姫様。私は女神ではなく貴女に忠誠を誓いました。貴女の安全と命を最優先に守ると決めたんです」

「それは知ってる」


エーリクは激しく頭を振り、挑むような眼差しで私を見据えた。


「貴女は分かっていない。俺は、この国の名が変わろうが神殿が滅びようが、貴女さえ無事ならそれでいいと言ってるんだ」


 突然のカミングアウトに、ポカンと口が開いてしまう。

 国の名前が変わる? 神殿が滅びる? 

 そんな危機的な状況にはない筈だ。たとえにしたって、物騒過ぎる。


「なにそれ。やめてよ、縁起でもない。エーリク、一体どうしたの」

「馬鹿だろう? こんな筈じゃなかった。時期がきたら、さっさと引き上げようと思ってた。……俺は家を捨てきれない。あいつら全員、すぐにでも排除した方がいいとも思う。だけど何かひとつだけ選べと言われたら、それはとっくに貴女なんだ」


 エーリクは苦しげに吐き捨てると、いきなり両手を伸ばし、私を抱きしめた。


「どうあっても、俺は貴女を失いたくない……っ!」


 今まで決して私に触れようとしなかったエーリクの突然の抱擁に、泣きたいほどの歓喜がこみ上げてくる。ずっと焦がれていた固い腕の中に、私はいた。そっと背中に手を回すと、エーリクは微かに身震いした。


「女神交代の仕組みさえ、解けていれば。今すぐ貴女をここから連れ出せるのに」


 掠れた声が吐息と共に耳朶を打つ。


「お願い、エーリク。ちゃんと説明して。一体、何が起こってるの?」


 彼の胸に額を押しつけ、懇願した。

 私だけが事の真相から遠ざけられている。それは分かった。

 籠の鳥の私は、彼の真意を調べる術さえ持っていない。エーリクの熱烈な告白に対する喜びを、不安と苛立ちが塗りつぶしていく。

 

 エーリクは油の切れた人形みたいなぎこちなさで私の肩を掴み、自分から引き剥がした。

 肩に手を置いたまま私の顔を覗き込み、唇をへの字に曲げて下手くそな笑みを浮かべる。


「言ったでしょう? 私は貴女の安全を最優先すると。……お心を乱して申し訳ありませんでした」


 エーリクは元のエーリクに戻り、優しく私を寝台へ横たえた。

 手際よくクッションを並べ、私に掛布をかぶせ、上からぽん、ぽんとまるで子供をあやすみたいに叩く。

 

 エーリクの過激な忠誠心がどこからくるものなのか。それすら分からなかった。私への恋だったら良かった。それなら彼は、私を決して離さなかっただろう。

 一度抱きしめられてしまえば、埋まらない距離が更に切なくなる。


「そこまで言うなら、どうして私の気持ちを受け入れてくれないの?」


 涙混じりに問いかける。

 エーリクは長い溜息をつき、「貴女と離れたくないからです」と言った。




 エーリクの真意を突き止められないうちに、アキラ姫の婚礼日がやってきた。


 赤い婚礼衣装姿のアキラ姫が、しずしずと壇上へあがってくる。大司祭様を脇に従え、しきたり通りに祝福を授けた。

 白は女神と大司祭の禁色。今日を限りに女神の娘ではなくなる姉は、真っ赤なドレスを身にまとっていた。これほど接近するのは、久しぶりだった。すっかり大人になったアキラ姫は、私より年上に見えた。


 儀礼に則った言葉のやり取りを終えると、アキラ姫は振り返りもせず、祭礼の間を出て行く。

 

 これで、終わり?

 これでもう、二度と会えないの?


 焦燥感に急き立てられる。

 大司祭様が参列した貴族の挨拶を受けている隙をついて、続きの間へと姉を追った。

 

「待って、姉さん!」


 とっさに出た呼びかけに、自分でも驚いた。

 アキラ姫はスッと表情を消し、こちらへ向き直る。彼女は軽く手を振り、傍付きの女官を先に行かせてしまった。じきに大司祭様と従者の皆が私を追ってくるだろう。

 二人きりになれるのは、これが最後なのだと悟った。


「これは女神様。まだ、なにか?」


 アキラ姫の冷ややかな笑みに気圧されそうになるのを、グッと堪える。


「これでいいの? イソラのこと、このままで本当にいいの?」


 言いたいことは沢山あるはずなのに、真っ先に浮かんだのは仲睦まじく寄り添う二人の姿だった。イソラの幸せそうな笑みが脳裏をちらつく。

 どうしようもないことを口にした自覚はあった。これから姉は人の妻になるのだ。

 それでも、ほんの少しでいいからイソラを惜しんで欲しかった。

 

「この後に及んで、まだそのような甘いことを仰るなんて」


 アキラ姫は呆れたように眉をあげ、唐突に話題を変えた。


「ねえ、ミヤビ様。……私は神殿の生け垣が嫌いです」


 アキラ姫の周囲の温度が、一気に下がる。

 いつも大げさなくらいへりくだった態度で私に接していた姉の本気を、私はこの時初めて見た。

 一言一句に込められた怨嗟に近い怒りが、空気を震わせ、私を圧倒する。初めて名前で呼ばれたことすら、頭から吹っ飛んだ。


「数代前の女神様は好んだかも知れませんが、庭師達に手間ばかりかけて、特に益もなく、周囲の栄養を吸い上げて他の植物を枯らせるばかり。好んだ本人にも忘れ去られて、ずっと蔓延り続けたまま。あんなもの、大っ嫌いです」


 単なる好みの話じゃない。これは喩え話だ。

 

 生垣が示すものは、なに? 

 アキラ姫が忌み嫌っているものは、一体なんなの?


 問い返そうとした私の後ろから、複数の足音が聞こえてくる。

 アキラ姫は私の背後にちらりと目をやると、まるで舞台の幕を引く女優のような物腰で、恭しく一礼した。完璧な所作と大輪の薔薇のような笑みに、声が出せなくなる。

 血のように赤いドレスの裾を翻し、アキラ姫は神殿から出て行った。



 嫁いだはずの姉が反旗を翻し、カイスベクファの大軍を率いて神殿へ舞い戻ったのは、それから僅か半月後のことだった。

 





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