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10.従者のお仕事

 エーリクが予想した通り、大司祭様はすぐにやって来た。

 女官から報告を受けたんだろう、皺だらけの温和な顔に喜色を浮かべて。神殿の最高責任者である大司祭様は多忙な方で、私と顔を合わせるのは月に一度の礼拝の時くらいだ。今日がその礼拝日なんだから、わざわざ部屋まで来なくても後で会えるのに。

 内心、首をかしげながら出迎える。


「この度は誠におめでとうございます」


 応接ソファーに向かい合って腰を下ろすと、大司祭様は開口一番そう言った。早くも言ってる意味が分からない。


「お体の加減はいかがですかな? お辛いようでしたら、本日の礼拝は私めが代理で執り行いますが」


 そこでようやく、男女の契りを交わしたのだと勘違いされてることに気づき、頬が熱くなった。体調はばっちりですよ。朝まで爆睡したからね!


「いえ……あの、なんて言うか。大丈夫です」


 すぐさま否定したいのを、グッと我慢する。

 私の感覚だと完全にセクハラなんだけど、こっちでは違うのかな。いくら大司祭様でも、踏み込みすぎじゃない? 女神様には羞恥心はないとでも?


「そのように赤くおなりになるとは。今代の女神様は大変初々しくていらっしゃる」


 ニコニコと相好を崩した大司祭様は、嬉しそうに続けた。


「ランツ様にも寿ぎを述べねばなりませんな。難攻不落の女神様のお心をようやく射止めたのですから」


 大司祭様の中で、まるっきり見当違いの壮大なラブストーリーが出来上がってる気がする。

 実際はそんな甘いものじゃない。エーリクは私を見捨てられないだけだ。飼ってるうちに情が湧いてきた的な……あ。それだとエーリクがご主人様ってことになってしまう。なし! 今のなし!


「そこまで喜ばれるとは思いませんでした」


 ずっと黙ってるのも怪しい気がして、当たり障りのない返事をした。

 大司祭様は、笑顔のまま首を振る。


「女神様のご懐妊が近づいたしるしでもありますのに、どうして喜ばずにいられましょう」


 かいにん……懐妊!?


 エーリクの言葉がなかったら、絶対叫んでいた。


「女神様の御子こそが次代の女神。神殿の者は皆、楽しみにしております。ですが、もちろん最も大切なのは女神様の御意志でございます。どうか今まで通り、お健やかにお過ごし下さいませ」


 大司祭様の爆弾発言には慣れたと思ってたけど、そんなことなかった。

 頭の中をマタニティドレスがぐるぐる回る。

 従者ってただのチヤホヤ要員じゃなかったんだ。そういえば、昔エーリクも種馬発言してたっけ。

 何故だかすっかり忘れていた。記憶力のなさに震えるのと同時に、このままでは駄目だと強く思う。本当に何も考えてこなかったんだ。改めて自分の能天気さを突きつけられた。

 

 ――『我が国に降臨される女神様は、先代の女神様が産んだ方だと決まっております。ですので、女神様のお母上は先代のミヤビ様で間違いありません』


 大司祭様の言葉が、まざまざと脳裏に蘇ってくる。

 次の女神をぼんやり待ったって、来るわけなかった。私が産むんだ。次のミヤビ様は、私の子供なんだ。こんな大切なことに、どうして気づけなかったんだろう。

 

 

 大司祭様とのやり取り全部、早くエーリクに打ち明けたい。話しながら、頭の中を整理したい。


 ところが彼は近侍をマッチョさんに押し付け、休暇を取っていた。

 貴族の子息とはいえ、一度神殿に上がった者は任期を終えるまで外に出られない決まりだ。女神付きの従者だって例外じゃない筈なんだけどね。とことん我が道を行くエーリクは、やって来た当初から神兵の目を盗んでは街に降りている。

 どこにも姿が見当たらないところをみると、今日も神殿を抜け出したんだろう。


「エーリクめ……」


 近侍としてエスコートしてくれていたマッチョさんが、ぎょっとしたように私の方を見た。


「ミヤビ様。ランツ殿に限って、事後逃亡はされないと思います。そんな無責任な男ではありません。ようやく想いを遂げられたのです。近侍を外れたのには、きっと理由があるはずです」


 事後逃亡。

 どうやら私とエーリクの話は、従者の皆にまで伝わってるらしい。ははは。忘却の呪いってどうやってかけるのかな。マッチョさんの中でも美談にされてるみたいだけど、相手はあのエーリクだよ? 目を覚まして欲しい。


「ごめん。声に出てた?」

「はい……どうかお心を安らかに」

「これから祝福を与える女神が、怖い顔してたらダメだよね。助言、ありがとう」


 お礼を言うと、マッチョさんは眩しげに目を細めた。

 小さな妹でも見るような優しい眼差しに気づき、胸がぎゅっと締め付けられる。

 逆ハーメンバーなんて心の中で呼んで、本当の私を見てくれないと決めつけて。頑なに距離を取っていた私を、いつからそんな目で見守ってくれていたの? 


 ああ、本当に何も。なんにも見えていなかった。

 私にだって、いた。女神としてだろうが何だろうが、私自身を心配してくれる人が、ちゃんといたんだ。


「後で皆に話がある。歓談室に集まってくれる?」

「仰せのままに」


 深く腰を折ったマッチョさんに小さく手を振り、祭礼の間に足を踏み入れた。

 

 壇上から見下ろせば、アキラ姫と彼女に影のように付き従うイソラが見える。姉をじっと見つめると、強い意志を宿した綺麗な瞳で見つめ返された。

 礼拝が終わるとすぐに、アキラ姫は立ち去ってしまう。背中に拒絶の文字を貼り付けて。

 こんなにも、姉が遠い。

 同じ苦しみを従者達に味合わせていた私に、彼女を責める資格はない。

 イソラが私を見て、軽く頭を下げる。それから急ぎ足で姉の後を追っていった。

 胸は不思議と痛まなかった。



 礼拝を終え、いつもの学習を済ませてから、歓談室に向かう。

 いつもは部屋で夕食をとるんだけど、今夜は従者の皆と食事をしたいと女官に伝えてあった。歓談室にはもう皆が揃っていて、私が入ってくるのを見ると一斉に席を立つ。

 そこにしれっとエーリクも混ざっていた。


「先に食べようか。冷めると勿体ないし」


 一体なんの話かと身構えていた皆は、ホッとしたように表情を緩めた。

 食事が始まると、途端に賑やかになる。どうやら普段もこんな感じで食事をとってるみたい。マッチョさんの鍛錬話も、ワンコくんが最近練習してるという魔法の話も、全部面白かった。つい声をあげて笑ってしまう。

 デザートはチョコレートケーキだった。これ、大好き。

 凝った装飾はいらないから、もっとボリュームが欲しい。名残おしく空いた皿を眺めてると、隣に座ったロンゲさんがそっと自分の分のケーキ皿を押して、私の皿と取り替えた。


「え……いいの?」

「物足りないのでしょう? 遠慮なさらずどうぞ」

「ありがとう!」


 満面の笑みを返し、艶々光るケーキをフォークで突き刺し、あーんと大きく口を開けたところで、皆の視線に気づいた。……あ、やっぱり良くないの、かな?


「ブッ」


 真っ先に笑ったのは、ワンコくんだった。その後、みんなが笑い出す。エーリクも拳を口に当て、肩を震わせていた。


「ごめんなさい。口にチョコつけたまま、あんまり幸せそうな顔なさるから」


 ワンコくんが笑いながら自分の唇の端を指差す。

 慌ててケーキを口に押し込み、咀嚼しながらナプキンで拭った。

 膨らんだ私の頬を見て、さらに皆が笑う。さすがにムッとすると、その表情がおかしいと言ってまた笑うものだから、私も諦めて一緒に笑った。


 主に私が笑われてばかりの夕食を終え、食後のお茶を飲む。

 円卓の雰囲気は和やかで、みんな思い思いに雑談していた。ゴホン、とひとつ咳払いすると、全員が姿勢を正し私の方に向き直った。


「この三年、名前すら聞こうとしない私によく仕えてくれました。今日は大切なお話があります」


 静まり返った部屋に、私の声だけが響く。


「皆、私の子供の父親候補として神殿にきたんだね。長い間無視してきたこと、本当にごめんなさい。女神として子供を産まなきゃいけないことも、実は今日自覚しました。本音をいうと、ものすごく怖いです。私の感覚では、もっと大人になってから好きな人と結ばれて、その結果生まれるのが子供だから」


 正直に打ち明け、丸テーブルを見回す。

 そんなこと分かってたと言わんばかりに、誰も動揺を見せない。


「皆のこと、良い人だと思います。だけど、好きとは違うんです。これからも私は、閨に呼んだり出来ないと思う。いつか義務でそうしなきゃいけなくなったら、すごく辛いし、もしかしたら恨んでしまうかも。貴方たちだって望んで従者になったわけじゃないのにね。皆の人生を、これ以上縛りたくありません。それぞれの幸せを探して欲しい。すでに三年も奪っておいて、今更何をと思うでしょうが、これが私の本音です」


 本当にごめんなさい。

 椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。

 こめかみを押さえるエーリクが視界の隅に映り、自分が情けなくなった。またがっかりされてしまった。エーリクの理想の女神には、どうやらなれそうにない。


「でしたら、私もお詫びせねばなりません」


 静寂を破って立ち上がったのは、ロンゲさんだった。


「ミヤビ様に捧げられた供物の身でありながら、何度も余所見をしてしまいました。女神様の従者という肩書きは非常に便利で、一つの華に縛られることなく楽しむことが出来るのです。従者としてあるまじき行動を、どうかお許し下さい」


 ……余所見って、何? 一つの華って、どういう意味?

 左隣の眼鏡さんに小声で尋ねると「彼は非常にモテるので、清い身を保たず遊びまわっているという意味でしょう」と返された。な、なんだと!


「僕もごめんなさい」「私もお詫びせねばなりません」「私もです」


 エーリクを除く3人が立ち上がる。

 ただひとり座ったままのエーリクは、すっかり頭を抱えている。

 どうやら皆、なびかない私に早々に見切りをつけ、思い思いに楽しいラブライフを送っていたようだ。悩んだ時間と罪悪感を返せと言いたい。


「しかし、一言弁解させて頂ければ」


 ものすごく悪い笑みを浮かべ、眼鏡さんはエーリクを見遣った。


「元はといえば、ここにいるエーリク・ランツ殿が、私どもに盛大な釘を刺したのです」


 いきなりのカミングアウトに、エーリクと私の声はぴったり重なった。


「え?」

「は!?」


 慌てて立ち上がり、「違う、それは――」と言いかけるエーリクの口を、隣のマッチョさんがすかさず塞ぐ。マッチョさんの二の腕の筋肉が大きく隆起した。あれじゃ動けないわ。

 ジタバタもがくエーリクを尻目に、眼鏡さんは続けた。


「ミヤビ様は自分が必ず落とすから、誰も手を出すなと。それはキツく言い含められまして。名門ランツ公爵家の御子息にそこまで言われ、頷かない者はいなかった、ということです」

「だから、それは!」


 ようやくマッチョさんの手から逃れたエーリクが、肩を上下させながら叫ぶ。


「それは?」


 ロンゲさんがここぞとばかりに問い返す。

 エーリクは忌々しげに舌打ちし、シルバーアッシュの髪をかきあげた。決してこちらを見ようとしない彼の視線は、テーブルの上の花瓶に固定されている。


「姫様と二人の時に、直接申し上げる」

「……かっこつけなんだから」


 ボソリとワンコくんが呟き、残りの三人が大きく頷いた。

 ちょっと待って。この流れでいくと、エーリクはずっと私のことが好きだったみた――いや、それはない。


 危うく流されるところだった。

 三年間のあれやこれを思い出し、グラリと揺れそうになる心を立て直す。

 人の顔を見る度、嫌味ばっかり投げつけて、泣かせようが知らんぷりで本読んで。

 それでずっと好きでしたとか、信じられるわけがない。なにか他に理由があるはずだ。


「ようやくランツ殿とミヤビ様が結ばれ、私たちもホッとしているのですよ」


 眼鏡さんは、眉間に皺を寄せた私と不機嫌そうなエーリクを交互に眺め、「結ばれたのですよね?」と念を押してくる。道理で美談になっているわけだ。この誤解はどうすればいいんだろう。

 エーリクとようやく目が合う。彼は小さく頷いた。


「えーっと。はい」


 私の締まらない返事に、四人は歓声をあげた。

 良かったですね~。長かったものな。よく頑張った、などという労いの声がエーリクに掛けられる。エーリクはますます渋い顔になった。

 渋い顔をしたいのは私の方だ。後できちんと説明して貰うからね。



「……ごめん。話を元に戻してもいいかな」


 お祝いムードでわいわい騒ぎ出す皆の注意を再び引く。

 全員が席に戻るのを見届け、お腹の底に力を込めた。ここからが本番だ。


「事情は分かりました。今の状況に不満はないということでいいですか?」


 無言のまま全員が首を縦に振る。


「では、これからも私の従者として神殿に残ってもいいという人は、手をあげて下さい。家に戻りたいという人は、個別に話を聞いて、一番良い方法で帰すと約束します。女神権限を最大に利用して、私が必ず守ります。だから、遠慮しないでちゃんと言って」


 皆、ここにいなきゃいけない事情があるみたいだった。困ってるのなら、助けになりたい。心を込めて話したつもりだったけど、結局全員が手をあげた。


「分かった。ありがとう」


 言えないことならしょうがない。言いたくなったら、いつでも聞くからね。

 そう付け加え、一人一人に名前を尋ねる。


 ロンゲさんは、ジョルジュ・カールステッドさんだった。感極まって跪こうとしてきたので「そういうのはなし!」と形の良いおでこを叩く。叩かれた額を押さえ、ジョルジュは嬉しそうに微笑んだ。性癖は足ペロペロだけじゃなさそう。

 眼鏡さんは、カミーユ・ロランさん。武芸は得意じゃないけど、歴史を紐解いたり戦略の本を読んだりするのは好きなんだって。本ばっかり読んでるから目が悪くなったのかな。

 ワンコくんは、フォルトゥニーノ・モンテンセンくん。舌を噛みそうな名前に苦戦してると「フォルでいいですよ」と言ってくれた。魔法が得意なんだって。可愛い見た目に反し、秀でているのは攻撃魔法だというから、人は見かけによらない。

 マッチョさんは、サイラス・カークさん。得意なのは、近距離の格闘戦らしい。素手が武器。うん、だと思った。


「では改めまして、よろしくお願いします!」


 自分に気合を入れるつもりで、精一杯大きな声を出す。

 

 ここから、またはじめよう。女神としてこの国の為に何が出来るのか、まだ分からない。

 だけど、もう逃げたりしない。帰りたいなんて、泣き言を言ったりしない。

 私が、この国の女神なんだから。


 従者全員が胸に手を当て、恭しく一礼した。


 


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