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9.不器用な慰め

 ぼんやり立ったままの私の手を取り、エーリクは足早に歩き始めた。

 誰かと手を繋ぐなんて、いつぶりだろう。

 従者にエスコートしてもらう時は、彼らの腕に掴まるのがマナーだし、ここに降りて来てからは一度もないように思う。

 

 そういえば、イソラも決して触れてこなかった。

 まだ小さいアキラ姫の頭を撫でているところを見かけて以来、頑張れば私も……なんて期待してたけど、今になれば有り得ない話だと分かる。イソラが優しく親切なのは、私が一の姫の妹であり、女神様だからだ。

 決して年を取らない理を超えた生き物に、畏敬を持って接してくれていたんだ。


 エーリクは珍しく部屋の中までついてきた。

 湯浴みをどうするか尋ねにきた女官を、入口で追い払ってしまう。今日も泣くところを見物しようという腹づもりらしいけど、そうはいかない。


「エーリクも、帰っていいよ」

「姫様」

「今日は長いこと付き合わせてごめん。しばらく近侍を外すから、のんびりしてて」

「姫様!」

「それより、いい加減従者から外してあげないと可哀想か。エーリクも、もう二十五歳だもんね」


 エーリクより、まずはロンゲさんだ。彼なんて二十九歳になっている。まずい。このまま三十路に突入させてしまうのは、あまりにもむごすぎる。ワンコくんは、まだ大丈夫かな。本人はここが気に入ってるみたいだし、とりあえず彼にだけ残って貰って、皆を神殿から出そう。そうしよう。


 無意味な気休めも、いつもの嫌味も何も聞きたくない。

 思いつくままベラベラ喋った。呆れて立ち去ってしまえばいい。


 気を抜くと、アキラ姫の姿が浮かんできてしまう。

 

 ふわりとほころぶ白い花みたいな可愛い笑み。

 一度でいいから、私にもあんな顔を見せて欲しかったよ、アキラ姫。

 

 彼女は毎回手紙をとても喜んでいる、とイソラは言う。間が空くとイソラの方から催促される。何度か確認してみたけど、嫌われているわけではないらしい。手紙がないと困る、とも言っていた。安堵するのと同時に、ますます混乱した。喜んでいるのなら、なぜ返事をくれないんだろう。

 優秀なアキラ姫のことだから、新たな知識を授けることの出来ない私に苛立っているのかもしれない。

 

 次の女神は、いつ来るの?

 いつになったら私は女神様らしく、皆に期待されてる恩恵を与えられるの。

 苦しい。苦しくて惨めでどうしようもない。自分を肯定できる根拠がどこにもない。



「そんなにあの男が好きだったんですか」


 気づけばエーリクに、両手首を掴まれていた。


 いつの間にかソファーに座らされ、至近距離で顔を覗き込まれている。振りほどこうとしても、全く動かない。強く掴まれてるわけじゃないのに、これ、どうなってるの。

 鋭いアイスブルーの瞳に射抜かれ、ようやく我に返った。エーリクは何故かものすごく怒っていた。


「答えて下さい」


 考えていたのは、イソラではなくアキラ姫のことだったから、とっさに返事が出来なかった。


「……分からない」

「自分の気持ちなのに、分からないなんてことはないでしょう。また逃げるんですか?」


 また、という言葉に頭が熱くなる。


「また、って何。逃げてないでしょ。ちゃんとやってるでしょ!」

「分からないことはそのままに、出来ないことははなから諦め、一の姫の非礼を責めることもしない。それが逃げではなく、なんだと?」


 今回のは、今までで一番強烈だった。

 上手く隠せてたつもりの弱い部分をまっすぐに指摘され、息が上手く吸えなくなる。


「あ、アキラ姫は関係ない」

「女神である貴女の手紙を、故意に無視している。一度だって、返事をくれたことがありますか? 家庭教師殿だってそうだ。彼が、貴女の劣等感や孤独を理解しようとしたことが一度だってありましたか? 分かりやすい優しさを餌に、貴女を駆り立て、追い詰めているだけだ。どんなに蔑ろにしようと、貴女は気づかず、傷つかないと思っている」


 やめて。もうやめて!

 

 懸命にもがいて、エーリクの手を外そうとする。しゃにむに動かしたので、自分の拳が顎に当たって痛かった。ナイスアッパーだけど、惜しい。相手が違う。

 エーリクは私の手を離し、今度は体全体で押さえ込んできた。ソファーに押し倒される形になる。ただし色っぽさとは無縁の、格闘戦だ。鍛えられた硬い体に組み敷かれ、私は大声で叫んだ。


「離して! 離せっ!!」

「現状を認めろ。あいつらは、貴女の味方にはなりえない」


 エーリクは低い声で脅すように囁いてきた。

 心の奥でひっそりと息づいていた疑惑を、無理やり明るみに引きずり出される。悲しみが、怒りを伴って暴発した。


「偉そうに言わないでっ。あんただって、私を置いていく癖に! 私のこと、大嫌いな癖に!」


 泣きたくないのに、ボロボロ涙が溢れてくる。


「やっと泣いた」


 小さく呟き、エーリクはようやく私を解放してくれた。

 さっきまでの押さえ込みは何だったのかと思うくらい、丁寧な手つきでそっと体を起こされる。

 節くれた固い騎士の手で、エーリクはぼさぼさになった私の髪を撫でつけた。驚きすぎて、抵抗できない。この人、一体何考えてるの?

 ちらりと盗み見て、後悔した。

 

 エーリクの瞳はまっすぐに私を映していた。安堵に満ちた柔らかな眼差しに居た堪れなくなる。

 フン、と勢いよく顔を背け、そのままソファーの上で膝を抱えた。子供じみた真似をしてる自覚はあった。だけどどうしても止まらない。


「私が姫を置いていく? 馬鹿なことを言わないで下さい」

 

 エーリクは言いながら、私の顔を覗き込もうとする。

 これ以上心を乱されたくなくて、ぐるりと背中を向けた。右頬だけにあたるソファに涙の染みが出来ていく。


「こんなどうしようもない姫を、置いていけるわけがないでしょう。貴女が貴女でいる限り、私は傍にいます。何年でも。何十年でも」


 私が放った言葉の意味を、エーリクは正しく理解していた。

 何十年でも、という声の響きが意外に真摯で、泣きながら唇の端を曲げた。そんなこと出来る筈がない。


「……役立たずの女神にどこまで付き合う気? すぐにおじいさんになるよ。よぼよぼのおじいさんになっても、こき使われたいの?」


「お気の済むように。その代わり、年長者を馬鹿にした報いはきっちり受けて頂きます。姫様の嫌いな野菜でのフルコースを女官に頼みましょうか? それとも、また怖い話を聞かせて欲しいですか?」


 エーリクの本気が伝わってきて、いつもの嫌味より堪えた。

 熱い涙が次々に滴り落ちてくる。

 嗚咽を噛み殺す私の背中に、衝撃が走った。

 なんとエーリクまでソファーに横向きになり、更に私に寄りかかってきたのだ。ブーツに包まれた長い足は、肘掛の外に放り出したみたい。ぐぐっと背中に掛かる重みが増す。


 背中合わせに座ったエーリクは「で?」と聞いてきた。


「そんなにあの男が好きだったんですか」


 最初の質問に戻ってしまった。

 私も全体重を背中のエーリクにかけてやった。ビクともしないのが憎らしい。

 それでもほんの少しだけ嬉しいのは、「置いていかない」という言葉をエーリクが行動で示そうとしてると分かったから。

 誰かに怒りを抱き続けることは、私にはひどく難しいと実感した。感情の爆発は一瞬で、すぐに心は凪いでしまう。背中全体で感じる人のぬくもりに、ほっと全身の力が抜けた。


「本当に好きだったのかって聞かれたら、そんなの分からない。よく考えたらイソラのこと、何も知らないし。……顔は好みだったな。綺麗な顔してるよね。優しくて頭が良くて、声も素敵で」


 エーリクは馬鹿にしたように鼻で笑った。それから背中合わせのまま、こつん、と後頭部を合わせてくる。


「私の方が顔はいいですよ。姫様の目は節穴ですか」

「そういうこと口に出さないところも、カッコよかったの!」

「あいつも自分で思ってるはずですけどね。はいはい、口に出さない家庭教師殿、かっこいい」

「煽らないでよ」


 エーリクの憎まれ口に、思わず噴いてしまった。この人、ものすごい負けず嫌いだ。

 いつの間にか涙は乾いていた。



 私が落ち着いたのを見計らい、エーリクは女官を呼んだ。

 そのまま浴場へと連れて行かれ、いつものようにピカピカに磨かれる。泣きすぎて腫れた瞼にも、赤くなった顎にも気づかない振りで、女官たちは手際よく私の世話をした。


 寝巻き姿で部屋に戻ると、エーリクはまだ中にいた。

 ローテーブルの上に置かれてる香炉を手に取り、まじまじと眺めている。


「その香り、エーリクも気に入ったの?」


 後ろから声をかけると、ぎょっとしたように私を振り返った。

 人の気配に敏い護衛騎士様が、扉の開閉音に気づかないなんて。珍しく油断したな。


「すごくいい匂いでしょ。欲しいのなら、内緒で分けてあげようか」

「内緒で?」

「大司祭様は、女神様だけの為に作らせた特製のお香だから、他の人にあげたらダメだって」

「でしたら、是非」


 食い気味にせがまれ、お、おう、と腰が引ける。エーリクが何かを欲しがるなんて初めてだ。


「さっぱりして、気分もよくなったみたいですね。どうします? まだここにいた方がいいですか?」


 部屋に残っててくれたのは、私を心配したからみたい。あのエーリクが!

 明日は槍でも降るんじゃないだろうか。


 思い切り泣いてスッキリはした。

 だけどまだ、受けた痛みの余韻はあちこちでくすぶっている。一人になるのは怖かった。


「……お願いしてもいいですか」


 恐る恐る聞いてみる。

 また子供のようなことを言って。それだから貴女は云々。

 説教覚悟で口にしたんだけど、エーリクは当然といわんばかりの顔で頷いた。


「いえ。だと思いました。不寝番をしろとは仰らないのでしたよね? 私も汗を流して着替えて参ります」

「あ、はい」


 エーリクは香炉の近くの箱から、何本かお香を抜いてハンカチに包み、部屋を出て行った。

 急に静かになった部屋で、じっとエーリクの帰りを待つ。待っている間、エーリクに言われた言葉を思い返し、考えてみた。

 

 ――分からないことはそのままに、出来ないことははなから諦め、か。


 当たってるから、あんなに腹が立ったんだろうな。

 私ももっと自分の頭で考えないと。言われるがままに動くだけじゃ、きっとダメなんだ。


 

 騎士服からラフな上下に着替えて戻ってきたエーリクは、私がソファーで待っているのを見て、嫌そうに顔をしかめた。


「寝台に入っていて下さって良かったのに」

「眠ったら、困るから」

「意味が分かりかねます」

「エーリクが戻ってきたかどうか確かめたかったの」


 盛大なため息をつきながら、エーリクは私を寝台に放り込んだ。

 掛布を首までかけられ、ぐるぐる巻きにされる。よっぽど急いで湯浴みしてきたのか、エーリクの髪はまだ濡れていた。


「ちゃんと乾かさないと、風邪引くよ」

「はい。きちんと拭いてから寝ます」

「どこで寝るの?」

「ソファーをお借りしようかと」


 長さは十分にあるでっかいソファーだけど、寝返りは打てなさそう。大丈夫かな。

 

「ここで一緒に寝る? などと言わないで下さいね。襲いますよ」

「おやすみなさい」


 慌ててぎゅっと目をつぶる。

 エーリクがかすかに笑った気がしたけど、確認する勇気はなかった。急に変なことを言わないで欲しい。


 

 次の日、朝の支度をしにきた女官は、私とエーリクを見て真っ赤になった。

 何故かエーリクは私を抱き込んで寝ていたから。


 おい! ソファーで寝るんじゃなかったんかい!


 驚きすぎて声も出ない私に向かって、エーリクは人差し指を立てた。

 寝ぼけ眼の私と違って、エーリクはぱっちり覚醒している。女官が慌てて去っていったのを確認し、彼は小声で言った。


「確信が持てたら、後ほど説明します。大司祭殿にこのことを尋ねられたら、否定も肯定もせず向こうの話を聞いてください」


 どうやら、男の事情で私を抱きしめてたわけじゃないらしい。

 だけど言ってる意味は、さっぱりだ。


「……え?」

「大司祭殿がなんと仰ったか、きちんと覚えてきて欲しい。これは大事なことなんです」

「分かった。でもエーリクの説明が先だからね」


 分からないことを、もうそのまま流したりしない。

 私が釘をさすと、エーリクは嬉しそうに微笑んだ。


「約束します。なんせ、私はもう選んでしまったわけですから。貴女と一緒に沈むつもりはないので、覚悟して下さいね」

「エーリク……とりあえず、離れようか」


 こういう時は流されないんですね。

 エーリクはぶつぶつ言いながら、寝台を下りた。



 

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