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プロローグ~蕾の中の黄昏~

 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 体がゆらゆら揺れる。

 ああ、あったかい。それにとってもいい匂い。

 これは、花の匂い? 

 植物独特の青い香りに、甘い芳香が入り混じり、私の身体を包んでいる。


 鼻をすん、と蠢かせ、鼻があることを知った。


 遠く向こうから、人の声がする。

 あれは、歌声?

 ううん、抑揚はあまりない。

 不思議な韻を踏み、一定のリズムで繰り返される聞きなれない言葉の羅列。


 耳をそばだて、耳があることを知った。


 手足はまだ動かない。

 自分が人の子であることは、かろうじて分かる。


 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 心地の良いこの温もりは、血。

 

 人の血はぬめりとしていて金気くさいはず。

 うろ覚えの知識を引っ張り出し、体感を否定する。

 それでも私の皮膚は頑なに、この温もりは血、と譲らなかった。



 私はなんという名だっただろう。

 性別は女だ。

 子供じゃないけど大人とも呼べない狭間の年だったような。十八、という数字が浮かぶ。

 そうだ、十八歳だ。

 

 家族がいて、友人がいて、平和な国に暮らしていた。

 世の中は便利で、暮らしに困ったことはなかった。好きなのは、テレビと音楽。

 車でのドライブは苦手。すぐに酔ってしまうから。通学電車も好きじゃない。

 知ってる限りの世界でいえば、良くもなく悪くもない立ち位置にいた気がする。

 チヤホヤされないかわりに、苛められたりもしない。

 好きな人はいたんだっけ?

 もっと特別な人になりたいと思ったことはあったような……。


 ――ダメだ


 思い出そうとするたびに、何を思い出そうとしていたのかさえ分からなくなる。浮かびそうになる記憶の断片はひらりとその身をかわし、虚空の海に溶けていく。


 ああ、眠い。

 きっとこれは夢だ。夢の中でもまだ眠いなんて、面白いけど。

 瞼がひくひくと動く。

 意識はぼんやり遠ざかっていった。


 

 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 体がゆらゆら揺れる。


 今度も目は開かない。

 体の感触は前よりしっかり分かった。

 温かい水の中、充満する花の芳香。

 つ、と手を動かし、自分の周りの壁を触ってみる。

 つるりとした清潔な固さが、指を押し返した。

 

 アロエ?


 ふと頭に浮かぶ。

 アロエってなんだっけ。……そうそう、植物だ。

 ××××××がよく鉢で育ててたアレ。

 切り傷とか火傷に効くんだよって言ってたアロエの葉っぱに似た感触。

 棘があったら怖いな。そうっと手をひっこめ、胸の前に戻す。

 

 そのときようやく、自分が裸だってことに気がついた。


 壁の外から絶え間なく聞こえてくる子守唄みたいな呪文が、一際大きくなる。

 

 ――あなたは女神

 ――あなたは我らの灯火

 ――過去は蕾に委ねてしまいなさい


 意味を持たなかった言葉の羅列が、次第にくっきりと頭の中で形作られていく。


 単調な子守唄のようだったそれが「祝詞のりと」だと、私は知った。

 

 ひたすら私を待ち望み、讃える祝詞に耳を傾けているうちに、再びまどろみが訪れる。

 自分が何者かなんて、どうでもいいことのように思えた。

 名前も思い出せないけど、どうでもいい。

 

 だって私は【女神】

 誰より、特別なんだもの。


 知らないうちに唇が微笑みを形作る。

 早く外に出たい。

 でもまだ、眠いから。もうちょっとだけ、待ってて。


 

 ふわり。

 ふわり。

 温かな光が点滅する。

 

 水音はもうしない。

 体がすっかり大きくなったのだ。

 追いついた、という言葉が浮かぶ。

 そう、ようやく追いついた。完成した。


 もぞもぞと身動ぎするだけで、周りの壁に手足が触れる。

 どうやら棘はないみたい。

 

 胎児のように丸めていた背中を伸ばし、私はゆっくり目を開けた。




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