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東アジア条約機構 台湾と尖閣を奪回せよ

作者: 鈴夜

架空戦記創作大会2015春 参加作品


と言いつつも説明文だけ

(山口多聞さんの有志企画参加作品である)

が 長門と大和が少し目立ってる


Ps

紀行文形式のため

誰一人喋らないです

西瀬戸フェリー

太陽

伊予造船で造船された貨客船である

全長150m約9000t

昭和49年5月に完成した


旅客定員672人

臨時積載旅客定員850人

最大積載トラック数125台

74式で計算すると 四台の積載が可能とされる

この船は、いつもは山口と愛媛と大分を結んでいたが


昭和50年12月20日、この貨客船は沖縄近海にいた

大和の後ろについて行きながら

貨客船には、国防陸軍兵士と海軍陸戦特化部隊を乗せて


理由は中華人民共和国が尖閣諸島奪還と台湾解放を唱え、日本と台湾に宣戦布告を突きつけたのだから


時はさかのぼり

昭和20年3月

大日本帝国は東京大空襲を受けても降伏はしなかったが

この空襲で、主要燃料備蓄基地が壊滅し燃料が断ち切られてしまった

これが原因で大和も動けなくなってしまい

沖縄や硫黄島も早急に連合軍の手に落ち

8月に広島と長崎に原爆が落とされ、日本は降伏した

ちなみに8月5日に大和は燃料調達が間に合い、佐世保への移動を始めていた最中で原爆の被害を免れた


その後残った戦艦は史実通り+大和だけになった

史実の世界では、多くの艦船が最終的に、解体や連合軍に接収され、新型爆弾の実験に使われたり、外国で活躍した

しかし、この世界では、空母をのぞき大部分が日本に残留された

空母の一部は復員船になったが最終的に解体された

ps 連合国との講和で空母の保有を禁じられたため(アメリカ主導)


その後、昭和22年5月3日

新日本国憲法公布

おおよそが史実通りだが、憲法9条には自衛権以外のいかなる交戦権を放棄すると明記された

帝国陸海軍は、陸上防衛隊、海上防衛隊 そして新日米安全保障条約後に航空防衛隊も発足した(同条約後 空母保有が認められる)

ついでに日本国になったときに左派勢力は一掃され、親米派が世襲した


無論、ソ連や南北朝鮮と中華人民共和国からは批判の声がでるも日本とGHQは黙認


海上防衛隊の艦船に関して

戦後に作られた艦船はひらがな表記とした 戦中、戦前生まれの場合はそのまま漢字とした

つまり 重雷装巡洋艦として活躍した北上(解体されたが)

その名を受け継いだ 戦後新造された護衛艦は 「きたかみ」と言うこと


1950年代(昭和25年から34年)

朝鮮統一の失敗、中国国民党の敗北による大陸脱出

により、アメリカは北東アジア条約機構(NEATO)を立案したが

韓国の日本除外発言により不成立に

アメリカと中華民国としては日本も入れたいつもりでいた

結果的に昭和47年になるまで話は進まなかった


昭和46年7月

米中関係改善せず

米中関係が改善しなかったのは、大統領が日本を先に訪問したためだった

日本では、大和と長門が改装を受けており

新型空母の造船(ずいかく、しょうかく、たいほう)があったりと 米国としては、日本を裏切れないとして日本に先に来国した


10月

中華人民共和国が日米の反対を押し切り国連に加盟

さらに中華民国を国連から追放し常任理事国になった(アルバニア決議)

イギリスは日米との関係を考慮にこの決議では棄権を宣言した

他国は史実通りの投票



昭和47年5月15日

東アジア条約機構発足

日米台+SEATOが統合した形のEATO(東アジア条約機構)が発足

原因はベトナム戦争でのアメリカ陣営の敗北だった

この時に、沖縄も日本に返還された

韓国は除外され、EATOの仮想敵国はソ連と中華人民共和国とした

韓国は米韓安全保障条約が生きているが

日本では、自衛権拡大行使を目的とした改憲政権が発足

言葉巧みに説得し

憲法上での集団的自衛権の行使が認められた(だが、法律で縛りを入れている)


この時に、防衛隊は国防軍に改称された

同日付けで緊急軍事輸送目的でのフェリーの徴用や高速道路の防衛庁の一言閉鎖が可能になった


この時から英米がインドを常任理事国にと言う話があがる


昭和49年5月23日 西瀬戸フェリーの太陽が完成し、旅客営業を開始

九州と四国を結ぶ船として活躍が期待された


昭和50年12月8日

ことは起こった

中華人民共和国が、台湾解放と尖閣諸島奪還を目的に旗を揚げた

常任理事国の印籠を片手に

開戦日を12月8日にしたのも太平洋戦争に会わせたからと言われている


翌9日には台湾政府は防衛部長と外務部長以外全員が人民解放軍に拘束されてしまう自体になった

事実上台湾が制圧されたことになる

尖閣諸島でも主力部隊が近くにいなかったために、解放軍に占領されてしまった


だが11日にEATOの反撃が始まった

11日未明にEATO軍事会議が行われ

日本に脱出した台湾軍と日本国防軍、米国極東軍在日、在比、ASEAN諸国連合軍からなる

台湾と尖閣奪還作戦が決定した

同日付けで、日本政府は緊急軍事輸送目的として複数のフェリーを徴用した

その内の一つが太陽だったのだ


EATO加盟国と中華人民共和国との戦いは15日に台湾上陸作戦から始まり

18日には台北を奪還、首脳全員が救助され、台湾市民全員に政府機能奪還を発表した

同じ頃

尖閣奪還作戦が始まり

大和と長門、駆逐艦や護衛艦が輸送艦を護衛するように、尖閣諸島に西進

太陽は、大和の後ろをついて行きながら

大正島に接岸

多くの兵士が上陸し

尖閣奪還に貢献した


戦争は23日 当時の日本国の皇太子殿下の誕生日に終結し

25日に講和の戦い

日中の間では、正式な国境の制定と戦費賠償のみ

台中の間では、台湾の独立容認、台湾復興のための賠償金請求で終わった


中華人民共和国が敗北した理由は、海軍の不足だとされた

EATOは空母の援護もあったため、中華人民解放軍を圧倒できたが

中華人民共和国は、ソ連から空母1隻のみの援軍だけだった


後に、中華人民共和国は空母等を中心とした海軍強化を急ぐことになったが

台湾奪還失敗により

内戦は必死と思われるだろう



終わり


ps

その後 太陽は翌年1月10日に徴用を解かれ、大分と愛媛を再度結んでいった

2000年にフィリピンの船舶会社に売却され 補修されながらも14年活躍したが

レイテ島近海で沈没 船長と日本時代からいた乗組員と共に沈んでいった

その後の調査の結果 沈没推定場所を調査した結果 戦艦武蔵が発見され

2016年 日本の総力を挙げ、引き上げに成功 どちらも航行能力を失っていたが、日本政府は、曳航を命じた


大和は1994年に記念艦になるも 2001年の911テロや中国大陸事変をうけ、警備艦として、活躍している


長門は1994年に山口県の長門市沖合で自沈処理された

老朽化が激しいためであり、最初は解体するつもりだったが 由来となった長門国の長門市に沈めた方がいいという話になり 長門市沖合で大和の砲撃により沈んでいった(実際に長門市が発足したのは昭和29年、戦艦長門より34歳年下 って親子レベルの年齢差)書いていてなんだが

これにより現役最年長は大和になっている

ps 途中で出てきた

きたかみは

おおいと共にその時は大湊で待機していた

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― 新着の感想 ―
[一言]  遅くなりました。参加ありがとうございます。
[一言] 設定だけで 物語としての読み物成分が少ないように感じました。 次回作の課題として 人物の登場、会話、情景の描写 とか加えてみてはどうでしょうか?
[一言] 戦記で巡っている者です。 話の流れを拝読しました。 架空の戦記で日本が強い展開が好物です。 有難うございした。
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