ストーカー
また電柱の影から、あいつが見ている。
ここ最近、だれかの視線を感じることが何度かあった。最初は気のせいだと思っていたが、視線を感じるときに辺りを見回すと、決まって物陰から私を見ている男がいることに気がついた。中折れ帽を目深にかぶり、トレンチコートの襟を立てている、中年の男。それが、奴だった。
いわゆるストーカーというやつだろう。警察にも相談してみたが、具体的な解決策は何一つ示してくれなかった。最悪だ。
こうなっては最早、自分の身は自分で守るしかない。降りかかる火の粉は払わねばならぬ。私は今までだって、ずっとそうやって生きてきたのだ。
物心つかない内に母は亡くなり、父は私を捨てて消えた。施設に預けられてからはイジメの対象になったし、悪い男に騙されたこともあった。私はそれを、全て自分の力で乗り越えてきた。今までずっとひとりぼっちだったから。そうせざるを得なかったから。
「おい」
不意に、声をかけられた。振り向いてみると、例のストーカー男が私のすぐ後ろに立っていた。こいつ、いつの間に近づいて来たんだ。考え事をしていて、全然気付かなかった。
「なあ、あんた――」
返事が出来ないでいる私に構うことなく、男は言葉を続けて、皺だらけの手をこちらへ伸ばしてきた。反射的に身を引くが、男の手は無遠慮に、私の肩を力強く掴んできた。
やばい。ヤバイやばいヤバイ――!
咄嗟に私は護身用に持ち歩いていたナイフを取り出し、男の胸へと突き立てた。刃物が肉に食い込む重い感触が腕に響く。男は「うっ」と短くうめいた後、二、三歩よろめき、口と傷口から大量の血を流しだした。
「……あ、あんたが悪いんだからね! これは正当防衛なんだから!」
言い聞かせるように、大声で叫ぶ。それは自分の声とは思えないくらい、怯えていて、震えていた。
私は間違ってはいない。世の中、信じられる人間なんていないんだ。こいつもなにか、私にひどい事をしようとしていたに決まっている。やられる前にやる。非なんて、こっちにあるわけがない。
立っていることも出来なくなったのか、男は地面に力なく倒れた。血だまりに沈みながら、焦点の合わなくなった虚ろな瞳を私に向けてきた。
「……大きくなったな、真理子」
男はかすれた声で、弱々しく私の名前を呟いた。
「な、なんで私の名前……!」
「知って、いるさ、自分でつけた名前、だからな……。ずっと、心配していたんだ。施設に預けてから、元気でやっているのか、どうか。最近、やっと俺の方も生活が落ち着いてきたから、また一緒に暮らそうって、そう、言おうと、していたんだ……」
「……嘘、でしょ」
嘘に決まっている。だって、それじゃあ、私がストーカーと勘違いして刺してしまったこの人は、まさか……!
「――でも、それももう無理みたいだ……。すまない、真理、子……」
それを最後に、男はだらりと体を弛緩させ、言葉を発しなくなった。触ってみると、体が徐々に冷たくなっていくのが素人でも分かる。男は、死んでいた。
私はその場にへたりこんで、男――実の父の死体を前にして、弔うように、自分を呪うように、ただひたすら、声が枯れるまで泣き叫び続けた。
【了】
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