処方箋は「拳」です。~夜勤明けの聖女は定時で帰りたい~
【プロローグ:最悪のタイミング】
その日、ハルカは限界を超えていた。
大学病院の混合病棟、夜勤明けの16時間労働。急変対応とナースコールの嵐。ようやく申し送りを終え、院内のコンビニで「自分への報酬」としてストロング系チューハイと半額のパスタを購入。
「帰って飲む、そして寝る、それ以外は一切認めない……」
そう唱えながら、病院の通用口でタイムカードを切ろうとした瞬間、足元に魔法陣が輝いた。
「おお! 成功だ! 伝説の聖女様がお越しになられたぞ!」
目を開けると、そこは豪華絢爛な王宮。膝をついて涙を流す老人(王)と、キラキラした甲冑を着た無能そうな男たちがいた。
ハルカの手には、タイムカードとコンビニ袋。
彼女の脳内で、何かが「ブチッ」と音を立てて弾けた。
【第一章:王宮崩壊のインフォームドコンセント】
「……ここ、どこ?」
「ここはルミナス王国! 我々は魔王の脅威から世界を救うべく、古の儀式であなたを召喚——」
「説明、省いていいわ。要するに、『無許可の強制連行』かつ『無報酬の24時間拘束業務』ってことで合ってる?」
ハルカの声は、冷え切った手術室よりも冷たかった。
「聖女様、何を仰る! 世界を救えば、富も名声も——」
「その『富』とやらを今すぐ現金でよこせ。あと帰りのタクシー代もだ。できないなら、今すぐお前を『要介護5』に認定してやる」
王が呆然としていると、空気を読まない騎士団長ゼノスが剣を抜いて前に出た。
「無礼だぞ、女! 王の前でその態度は——」
「ちょっと、金属音立てないで! ナースコールより頭に響くのよ!!」
ハルカは手にしていたコンビニ袋をフルスイング。遠心力の乗ったストロング缶が、ゼノスの甲冑の隙間——顎の先端を的確にぶち抜いた。
「ぎゃふんっ!?」
脳揺れを起こして崩れ落ちるゼノス。ハルカはその背中に素早く膝を乗せると、一切の無駄がない手つきで彼の腕を背中に回し、完璧な「拘束体制」に入った。
「はーい静かに。暴れると肩関節脱臼するわよ! ほら、夜勤帯に急変患者のベッドから落ちそうになって暴れるじいさんより筋力ないんだから無理しないで!」
「あ、痛い痛い痛い! 離せ! なんだこの女、魔法も使わずに……!ぎゃあああ指曲がる!!」
「騒がない。はい、深呼吸して〜。すって〜、はいて〜(ギチギチギチ)」
「ひぃぁあああああ(落)」
「これ、暴れる患者を3人がかりで制圧するときの『基本のキ』なのよ。脱がしにくい甲冑着てくれてありがとね、持ち手が多くて固定しやすいわ」
一瞬で沈黙した騎士団長を見て、残りの近衛兵たちが一斉に血の気を引かせた。
ハルカはゼノスの背中の上で立ち上がると、胸のネームプレートをピカッと光らせ、王宮全体を見下ろした。
「さて。次は誰が私の『残業時間』を増やしてくれるのかしら?」
こうして、伝説の聖女召喚は「王宮制圧事件」へと瞬時に化けたのだった
【第二章:地獄のトリアージと爆速5S活動】
騎士団長ゼノスを15秒で沈めたハルカは、床でピクピクしている騎士たちを見下ろし、ハッと息をのんだ。
暴力への恐怖……ではなく、「現場の劣悪すぎる環境」に対する職業病的な嫌悪感からだ。
「ちょっと……何よこの王宮。足の踏み場もないじゃない! 羊皮紙は散らかってるし、危険物の剣は裸で放置、そこの大臣は書類の山に埋もれてる! 5Sが全くできてないわ!!」
ハルカは落ちていた槍を拾うと、床をガンガンと叩いて叫んだ。
「全員整列! 今からこの王宮の『5S活動』を開始する! 従わない奴は全員トリアージ『赤(重症)』にしてベッドに縛り付けるわよ!」
【1. 整理(Seiri):不要なものの破棄】
「まず『整理』! いらないものは捨てる!」
ハルカは王宮の壁に飾られた豪華な絵画や、意味不明な巨大壺を片っ端から叩き割り始めた。
「邪魔! 通路の動線確保の妨げ! 救命処置のストレッチャーが通れないでしょ!」
「ああっ、我が国の国宝がぁぁ!」と泣き叫ぶ財務大臣を、ハルカは鋭い眼光で黙らせる。
「命と骨董品、どっちが大事なの!? 邪魔なものは全部破棄!」
【2. 整頓(Seiton):配置の最適化】
「次は『整頓』! 物の定位置を決めなさい!」
散乱していた魔導書や作戦書をカテゴリ別に分類させ、棚にはテプラの代わりにマジックでデカデカとラベルを貼らせた。
「『剣』は武器庫! 廊下に立てかけない! 足引っかけて転倒・骨折したら労災降りるの!?」
「ろ、労災……?」
【3. 清掃(Seisou):ゴミなし・ピカピカ】
「『清掃』! 国王、遊んでないでモップを持ってきなさい!」
玉座で震えていた国王に雑巾とバケツを叩きつける。
「いい? 医療現場も王宮も基本は衛生! 埃一つ落とすな! 雑巾がけは下半身のスクワットだと思ってやりなさい!」
国王は泣きながら玉座の周りを全力で水拭きし始めた。
【4. 清潔(Seiketsu):衛生管理の徹底】
「そして『清潔』! そのギラギラした甲冑とヒラヒラのドレスを脱げ!」
ハルカは騎士や文官たちの服を引っぺがし、予備のシンプルな作業着に着替えさせた。
「甲冑は重くて肩こるし、感染症の温床! 全員、爪を切れ! 手洗いは30秒以上! アルコール消毒液を城の入り口に10個設置しなさい!」
【5. 躾(Shitsuke):ルールの定着】
「最後に『躾』! 今言ったことを毎日徹底すること!」
ハルカは王宮の巨大な壁画を白く塗りつぶし、黒マジックで『定時退勤・5S徹底・報連相の遵守』と巨大な標語を書き殴った。
「いい? 5Sができない組織に、世界なんて救えるわけがないでしょ! 魔王軍が攻めてくる前に、まず自分たちの職場環境を整えなさい!」
わずか2時間後。
ゴミ一つ落ちておらず、すべての備品が完璧にラベル化され、無駄な装飾が削ぎ落とされて「野戦病院」のように効率化された王宮が完成していた。
ピカピカに磨かれた床の真ん中で、作業着を着た国王と騎士たちが、ハルカの前で綺麗に正座していた。
「……よし。これでようやく『スタートライン』よ」
ハルカは満足げに頷き、ストロング缶のプシュッという音を王宮内に響かせたのだった。
【第三章:魔王軍、爆速で『お祈り(物理的成仏)』される】
王宮の5S改革が完了した頃、ついに魔王軍の幹部・破壊公爵アイゼンが数千の軍勢を率いて王都に迫った。
「ハハハ! 聖女が現れたと聞いたが、女一人で何ができる! 我が軍の力を見よ!」
巨大な斧を振り下ろすアイゼン。しかし、ハルカの目は死んでいた。
彼女はポケットから栄養ドリンクを一気飲みすると、音速でアイゼンの超至近距離に潜り込んだ。
「あんたのせいで、私の休日がどんどん遠ざかってるんだけど?」
「な、何を——」
「『即効性制圧術・頸椎1番狙い』!!」
魔法ではない。解剖学的に最も効率的な打撃。
アイゼンの巨体が宙を舞い、城壁にめり込む。ハルカは動けなくなったアイゼンの胸の上で両手を優しく重ね、組ませた。
そう、まるで棺の中で眠る◯体のように。
「な、何をする……!?」
「静かにしなさい。……今からあんたを、一番安らかな場所へ送ってあげるから(物理)」
ハルカは聖母のような微笑みを浮かべながら、胸の前で組み合わされたアイゼンの手に、自分の手を添えて成仏の構えをとらせた。
「はい、深呼吸して〜。すって〜、はいて〜……『即効麻酔拳・自律神経シャットダウン』」
ドスッ!!
ツボを的確に突かれたアイゼンの目がクルッと裏返る。
白目をむき、安らかな顔で「すやぁ……」と意識を飛ばすアイゼン。胸の上で手を組んだその姿は、どこからどう見ても「完璧にお祈りされた(昇天した)◯体」そのものだった。
「ひぃぁああらあぁあ!? アイゼン様が『お祈り』されて成仏したー!?」
「聖女じゃない! あれは死神だ!!」
後ろで見ていた幹部たちがパニックを起こす中、ハルカは返り血(※栄養ドリンクの飲みこぼし)をぬぐい、静かに次の幹部を指さした。
「次はあんたよ。……大丈夫、痛くしないわ。一瞬で『天国(爆睡)』を見せてあげる。手、胸の前で組みなさい。早くお祈りの姿勢をとれ!!」
「いやだぁぁぁ! まだ生きたい! 眠りたくない!」
「逃げるな! 睡眠不足は免疫力を下げるって言ってるでしょ!!」
自ら胸の前で手を組み、必死にお祈りしながら逃走する魔王軍。
ハルカは逃げ遅れた幹部たちを片っ端から捕まえ、胸の前で手を組ませては「お祈り(即効麻酔拳)」で次々と安らかな眠りへと落としていった。
10分後。
城門の前には、胸の前で綺麗に手を組み、安らかな寝顔で転がる魔王軍幹部たちの山。
ハルカはそれを見下ろし、パンパンと手を払った。
「よし。全員『爆睡』完了。これでしばらくは静かになるわね」
こうして魔王軍は、一枚の刃も交えることなく、聖女ハルカの圧倒的な物理によって強制的に「お祈り(物理的成仏)」させられ、全滅したのだった。
【エピローグ:消えたストロング缶と真の勝利】
数ヶ月後、ルミナス王国は一変していた。
国民は皆、規則正しい生活を送り、王宮では「挨拶・清掃・時間厳守」が徹底された。
国王は毎日、ハルカに「今日の目標」を提出し、達成できないと夜通し説教を受ける日々。
ついに、魔王軍と王国の魔導士たちが協力し(ハルカが怖すぎて結託した)、元の世界へ戻るゲートが完成した。
「聖女様! ついに、ついに戻れます!」
涙を流して喜ぶ国王たち。それは別れを惜しむ涙ではなく、「ようやくこの鬼上司が去ってくれる」という解放の喜びだった。
「ふん、ようやくね。タイムカードの残業代、この国の金貨でしっかり精算させてもらったわよ」
ハルカは大量の金貨が入ったカバンを肩にかけ、ゲートへと歩み寄る。
「あ、最後に一つ。……私が去ったからって、5S活動をサボったら、また召喚されに来るから。その時は、この国全体を『更地』にしてから再建するわよ」
「「「「絶対にいたしません!!!!」」」」
王宮に響き渡る、かつてないほど揃った返事。
ハルカは満足げに頷き、ゲートの向こうへと消えていった。
ゲートをくぐり、眩い光が収まった瞬間。
ハルカの視界に飛び込んできたのは、見慣れた病院の通用口と、目の前にあるタイムカード打刻機だった。
ピッ。
軽やかな音とともにタイムカードが排出される。印字された時刻は、彼女がカードを差し込んだまさにその瞬間のまま。
異世界で過ごした怒涛の数ヶ月間。
王宮を制圧し、全員に5S活動を叩き込み、魔王軍をトリアージしたあの壮絶な業務の日々——それが現実世界では「ゼロ秒」。1分たりとも残業代がつかないという衝撃の事実。
「……は?」
ハルカは呆然と立ち尽くした。
だが、それ以上に彼女を絶望させたのは、手に下げたコンビニ袋の軽さだった。
「待って……私のストロング缶は!?」
そうだ。召喚された直後、イキってきた騎士団長ゼノスの顔面に投げつけ、王宮の5S改革が完了した時に「やってられないわよ!」と異世界でとっくに開けて飲み干してしまっていたのだ。
「あっちで飲んじゃったから、手元にあるわけないじゃない……っ!」
帰宅して冷えたチューハイを飲むことだけを糧に16時間夜勤を耐え抜いたというのに、手元にあるのは異世界で開けられた空の袋のみ(パスタも異世界で食った)。
ハルカは膝から崩れ落ちそうになった——が、ずっしりと肩に食い込むカバンの重みで正気に戻った。
中に入っているのは、異世界の王宮から正当な「超過勤務手当」としてぶんどってきた、本物の純金貨がギッシリ詰まった袋。
「……そうよ。泣いてる場合じゃないわ」
ハルカは目にも留まらない速さでカバンを抱え直すと、病院の目の前にある24時間営業の高級スーパーへと猛ダッシュした。
「一番高いプレミアムビール、ケースで! あと特上の刺身盛り合わせと、一番高い缶つまも全部!!」
金貨を換金する前だというのに、カード決済で迷わず豪遊の買い出しを敢行。
両手にズシリと重い「最高の報酬」を抱え、自宅のマンションへ滑り込んだ。
エアコンを18度に設定し、シャワーを爆速で浴び、パジャマに着替える。
冷えたグラスに注がれた黄金色の泡立つビール。
「はぁー……お疲れ、私!」
プシュッ!!!!
部屋いっぱいに響き渡る、今度こそ本当の勝利の音。
ハルカは一気にビールを喉に流し込み、
「くうぅぅぅっ!」と声を上げた。
異世界を救った最強の聖女は、こうしてただの「夜勤明けを全力で満喫する爆睡ナース」へと戻り、ふかふかのベッドへとダイブしていったのだった。
(完)




