この事件の犯人はどうでもいい。問題はゆかりさんが今日食べたいケーキはどれだ?
面倒だ。
ため息が出る。
学生相談係を引き受けたのはあくまで交際相手のゆかりさんの前で学生に頼られる教員を演じたかっただけで、実際学生が悩もうが死のうが興味はない。
鷲尾鷲一の興味が向く相手はゆかりさんだけだ。
鷲尾一族の惚れっぽさと鷲一自身の行動力で、出会ったその日に勢いでプロポーズして「まずはお友だちから」なんて決まり文句で断られてしまったが、しつこく粘った甲斐があり、ようやく交際一ヶ月になる。
とは言っても食事が二度と映画が一度程度のデートしかできていないのが現状だ。
だから今日は一歩進んでゆかりさんの家にお邪魔してみようと思っていた。
有名音楽スクールの時間講師に採用されたと言う情報を得たからそのお祝いという名目だ。
サプライズでケーキを買っていこうと思っている。
ゆかりさんは甘いものが好きだが抹茶が苦手だ。他に苦手なものはあっただろうか?
とにかく鷲一はゆかりさんへのお土産を考えるので忙しかった。
それなのに。
「鷲尾先生! 大変です!」
寮母の佐藤さんに呼び出された。
間違っても鷲一は寮監ではない。あくまで学生相談係だ。学生生活での多少の悩みを聞く。
が、寮のことは管轄外だ。
しかしここで寮母を無下に扱ったなどとゆかりさんの耳に入っては困る。彼女に軽蔑されるようなことがあっては生きていけない。
鷲一はうんざりしながら男子寮へ向かった。
寮内はざわめきに満ちていた。
数名の学生が青ざめている。
「なにがありましたか?」
訊ねれば佐藤さんが困り果てた様子を見せた。
「それが、加藤くんが部屋で死んでいると……隣の部屋を使っている田崎くんが発見したそうです」
なぜそれを自分に言うのか。
鷲一はめまいを感じた。
本当に学生が亡くなったのであれば医者と警察が必要だろうに。呼ぶ相手を間違えている。
鷲一の本業は作曲家だ。片手間で准教授として教えているが間違っても死体を調べるような資格はない。
ため息が出る。
「警察に通報します。が、先にいたずらかどうか確認する必要がありますね。部屋はどちらですか?」
面倒事を起こしやがって。
学生のいたずらだったら三週間の奉仕活動を命じてやる。
そう意気込みながら案内されるままに加藤の部屋へ向かった。
ゆかりさんへの手土産はどこの店がいいだろう。
最近話題の『ワンダーフェアリー』か、外れなしの『エヴァの秘密』、それとも定番ではあるが『うさぎの巣穴』だろうか。
店選びから既にデキる男とそうではない男に篩い分けられる。ゆかりさんにダメな男判定されるわけにはいかない。
考えながら現場に向かう時点で田崎が挙動不審だ。落ち着かなさそうにそわそわとこちらを見ている。
なるほど。面倒なことになった。
鷲一はスマートフォンを取り出してゆかりさんにメッセージを送る。
今夜の予定は少し遅れてしまうかもしれません。
怒らせてしまうだろうか。そう考えると落ち着かない。
けれども可憐なゆかりさんのことだ。怒った姿もかわいらしいに決まっている。
ゆかりさんの顔を浮かべながら部屋に入るとずいぶんと散らかった部屋だった。所謂汚部屋と呼ぶほどではないが、入居してから片付けたことはあるのかと問い詰めたくなる程度には散らかっていると感じるのは鷲一が神経質であるというだけではないはずだ。
心理学部の三年、加藤太一。成績は……担当教員が嘆くほどではなかったはずだ。記憶に残っていない。記憶力に自信のある鷲一が覚えていない程度だ。そこまで酷い成績という噂も良い噂も耳にしていないと言うことだろう。
先程から挙動不審な田崎一は奨学生だったはずだ。確か今期の成績が落ちて奨学金の継続が危うかったはずだ。受け持ったことはないが資料くらいなら見たことがある。
倒れたペットボトル。脱ぎ散らかした服。散らばる小銭。積まれて放置されたノート類。テレビに接続されたままのゲーム機。
この部屋の主はだらしのない人間らしい。そして勉強そっちのけでゲーム三昧。
よく見るとパッケージが転がっている。有名RPGの最新作だ。
なるほど。
理解した。
「あー、田崎くん。ここらで美味しいケーキ屋さんはどこだと思う?」
加藤は既に死んでいる。凶器はあれだ。つまり焦る必要はない。先にゆかりさんへの手土産を選んでしまってもなんら問題はない。
「へ?」
田崎はなにを訊かれたのかわからないとでも言う目で鷲一を見た。
「話題の店といえばワンダーフェアリーだろう? デコレーションがかわいらしいと女性に人気のようだが、もちろん味も重要だ。見映えがよくて美味しいのはどの店だろう?」
「さ、さぁ? 自分甘いものは苦手で」
使えない。
鷲一はため息を吐く。
そんなだから現場に証拠を残しすぎるのだ。
「そう? じゃあ自首しておいで」
「へ?」
田崎はまたなにを言われたか理解していない様子だ。
「加藤くんを殺害したのは君だろう? 凶器はそこの靴下と小銭だ。靴下のなかに小銭を詰め込みこれで殴った。動機は……ゲームかな?」
興味はない。だが田崎が自首してくれれば一秒でも早くゆかりさんのもとへ行くことができる。記念日を台無しにするようなダメ男になるのだけは避けたい。
「な、なにを言って……」
田崎は動揺しつつも否定しようとしたが、鷲一がハンカチで靴下をつまみ上げた瞬間全てを諦めたように俯く。
「そうですよ。俺がやりました。加藤のやつ……試験前の大事な時期にゲーム実況とか言って毎日毎日大声で……しかも講義サボって……課題を写させろとか……」
田崎は震えている。悔しそうに唇を噛みながら。
しかし鷲一にはそんなことはどうでもいい。
問題は警察の取り調べを掻い潜ってケーキを買いに行くことができるかだ。
待て。まだ店が決まっていない。
ゆかりさんの好みはどの店だ?
抹茶が苦手ということは和風よりは洋風の方がいいのだろうか?
むしろ警察官に美味しいケーキ屋を訊いてみるべきか?
ゆかりさん好みの最高のケーキ屋探し。
この事件は迷宮入りしそうだ。
取り調べの警察官にしつこくケーキ屋を訊きまくった結果、呆れられこれ、以上関わりたくないと言わんばかりに解放された鷲一はランキングサイトを参考にケーキ屋を訪れた。
むしろ全ての店の全商品を用意すればいいのではないだろうか。しかしやり過ぎる男は嫌われるらしい。やはり最善の品を予測しなくては。
鷲一は葛藤の末『ワンダーフェアリー』の売れ筋商品を八種類購入し、ゆかりさんの家へ向かった。
ゆかりさんの家は高層マンションの一室で、防音設備がしっかりしている。自宅でピアノ教室も開いているので一人暮らしにしては部屋数が多い間取りだ。
なにより特徴的なのはピアノの数だろうか。楽器マニアの彼女は全部屋にピアノを置いている。レッスン用のグランドピアノを除けば全て電子ピアノなのだがメーカーごとにスピーカーの配置や鍵盤、再現しようとする音が違うだとかで拘りがあるらしい。
やはりもう少し真面目にピアノの練習をするべきだろうかなどと考えながらインターフォンを鳴らす。
「はーい」
柔らかくのんびりとした声がスピーカー越しに聞こえる。
「鷲尾です。こんばんは」
「今開けまーす」
声と共にぱたぱたとスリッパでゆったりと走る音が響いた。
癒やしだ。
今日もゆかりさんは最高だと思う。
天は鷲尾鷲一に万物を与えてしまった。容姿、才能、財力、頭脳。そして一番は運命の相手であるゆかりさんだ。
扉が開き柔らかな笑みを見せるゆかりさんが現れる。
「こんばんは。鷲一さん」
「こんばんは」
可憐だ。美しい。愛おしい。
言葉では表しきれない感情の数々が浮かび上がってくる。
音楽でも表現しきれない感情だ。
本人はあまり自覚していないようだがゆかりさんは美人だ。これはなにも鷲一の欲目だけではない。纏う柔らかな雰囲気が癒やし系で本人もフェミニンな装いを愛しているが、顔のパーツが素晴らしい配置なのだ。
単に整っているのとも違う。他者を癒やすというべきか、安心感を与える。きっと聖母はこんな顔をしていたのだろうと思える顔立ちなのだ。
そんなゆかりさんに鷲一は一目で落ちた。それまでの人生、完璧な自分に酔っていた鷲一が初めて思いどおりにならなかった相手。
今だってそうだ。彼女の反応ひとつひとつに一喜一憂してしまう。
手土産のケーキを渡す。たったそれだけの行為が健康診断よりも緊張してしまうのはゆかりさんが相手だから。
幻滅されたくない。彼女にとって理想の恋人になりたい。
「これ、よかったら。えっと、採用おめでとうございます」
手汗は大丈夫か。体臭は? 歯磨きもきちんと済ませてきたはずだが息は大丈夫だろうか。
柄にもなくがちがちに緊張していた。
「あ、ありがとうございます」
ケーキの箱を困ったように受け取るゆかりさんに驚く。
「ワンダーフェアリーのケーキは嫌いでしたか?」
「あ、いえ……好きです。でも……今日はたくさんいただいてしまって……」
どうぞと案内されたリビングのテーブルにさまざまなケーキ屋の箱が置かれている。
「こんなにたくさんどうしようかと」
なんてことだ。
みんなゆかりさんは甘いものが好きだと思ってお祝いのケーキを買ってきたのか。
「生徒さんたちからもいただいてしまって……明日のレッスンの学生さんに持っていこうかと」
「すみません。こんなにたくさんあるなんて思わず数種類買ってきてしまいました」
しかも同じ箱まである。きっと中身も被っているはずだ。
かっこわるい。
今の自分はとてつもなくかっこわるい。
鷲一はがっくしとへこむ。
「あの、お気持ちはとても嬉しいです。えっと、せっかく買ってきてくださいましたし、一緒に食べませんか?」
気遣いが天使かと思ってしまう。
今ならゆかりさんを題材に百曲は書けそうだ。
「ぜひ!」
思わず手を握ってしまう。
柔らかく滑らかな手だ。そしてこの細い指が繊細な音を紡ぐ。鷲一を魅了する手だ。
「お茶を淹れますね」
やんわりと。けれども確実に握り締めた手を拒絶された。
普通恋人ならこのくらいは許されるのではないのか?
難しい。難しすぎる。ゆかりさん。
どうしたらもっと自然なスキンシップをとれるだろうか。
他のなにを理解できなくてもいい。ゆかりさんの心を読み解く方法はないだろうか。
鷲一の頭の中は常にゆかりさんの反応を予測しようとし、失敗を繰り返しているのだった。




