【第1話 移住支援】
来翔は十八歳で地元の工場に就職してから、ずっと同じ仕事をし続けていた。
広島にある米沢木工作業所。板を削り、切り出し、形にする。毎日毎日、同じ機械の前に立って、同じ作業をする。それが来翔には合っていた。向いていた。木くずの匂いも、機械の振動も、加工を終えた材の手触りも、二十年近くかけて体に馴染んでいた。
だが、百均の台頭は木製品の市場を静かに、そして確実に殺していった。
米沢木工作業所が倒産したのは、来翔が三十八歳の秋のことだった。
初めて足を踏み入れたハローワークは、蛍光灯が白々と明るくて、妙に落ち着かない場所だった。失業保険の手続きと並行して転職活動も始めたが、面接のたびに「三十八歳ですと……」という顔をされた。声には出さなくても、画面の向こうでも、担当者の目がそう語っていた。
そんなある日、ハローワークの担当職員が一枚のチラシを取り出して来翔の前に置いた。
「来翔さん、北海道への移住支援、というのをご存知ですか」
知らなかった。いや、正確には、知ってはいた。奥尻島に異世界のゲートが開いて、侵略者が上陸してくる——そういうニュースはテレビで何度も見ていた。だが、遠い北の孤島の話だった。広島に住む来翔には、天気予報の台風情報ほどにも切実ではなかった。
職員が説明を続ける。
「江差町や瀬棚町など、奥尻島に面した沿岸の市町村では、移住者に土地と一戸建てを無償提供しています。さらに、国からの委託業務——つまりハンター業務を請け負う間は、課税なし。広島からの引越し費用も、武装にかかる費用も、全額国が負担します」
来翔はしばらく黙って、チラシを見ていた。
土地付き一戸建て、無償。
三十八歳で持ち家。それが、この国では今や北の最前線に移住することで手に入る。
「……どのあたりが対象なんですか」
「上ノ国町、江差町、乙部町、瀬棚町、このあたりが対象になっています」
来翔はその場でスマートフォンを取り出し、地図アプリを開いた。
◆
その日の夜から、来翔はネットにへばりついた。
上ノ国町の人口は何人か。スーパーはあるか。病院は。冬の積雪はどのくらいか。江差町と上ノ国町と乙部町と瀬棚町を行ったり来たりしながら、Googleのストリートビューで何度も道路を歩き回った。
(江差町はコンビニもあるじゃないか。意外と普通の街だな)
人口は五千人ほど。道南では小さな方だが、少なくとも廃村ではない。函館まで車で二時間弱。悪くない。いや、正直に言えば、木工の仕事で暮らし続けることを考えたら、これ以上の条件は今の来翔には出てこない。
翌週には移住の手続きを終えていた。
◆
引越し当日、来翔が連れて行かれたのは最寄りの自衛隊基地だった。
格納庫の中に、国産輸送機C-2が一機、悠然と待ち構えていた。横に並んだ2トントラックから、作業服の隊員たちが来翔の段ボール箱を次々と機内へ積み込んでいく。
(俺の荷物だけのために、この飛行機を……?)
来翔は自分の段ボール箱の少なさと、輸送機の巨大さの対比を前にして、しばらく立ち尽くした。隊員に促されて搭乗タラップを上ると、機内はがらんとしていて、来翔の荷物だけが貨物スペースに収まっていた。国の予算というのは、どうやって動いているのかさっぱりわからない。
離陸から一時間ちょっとで函館空港に着いた。
そこから2トントラックの助手席に乗り換えて、江差町を目指して走り出す。函館市街を抜けてしばらく走ると、やがて国道277号線に入った。
山だった。
延々と、山だった。センターラインの消えかかった峠道が続き、民家もコンビニも看板も消えた。フロントガラスに映るのは、針葉樹の斜面と、その間から覗く曇り空だけだ。
「先程の北斗市からはずっと山の中ですけど……もしかして、江差ってかなりド田舎ですか」
運転手がハンドルを握ったまま笑う。
「ハハハ!北海道じゃ街と街の間はこんなもんですよ。本州から来た人は大体ここで不安になりますね。でも江差は上ノ国や乙部に比べたらずっと都会です。コンビニもちゃんとあります。車さえあれば函館まで二時間かからないくらいですから、生活には困りませんよ」
来翔は「そうですか」と答えながら、窓の外を眺め続けた。
(本当に何もない……)
それでも、やがて建物がちらほら現れ始め、コンビニの看板が見えてきた頃には、素直にほっとした。田舎町には違いないが、人の気配がある。それだけで十分だと思えた。
◆
用意されていた一戸建てを見て、来翔は玄関先でしばらく固まった。
でかい。
庭も広い。木造二階建てで、外壁は真新しい。中へ入ると、ソファも、冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、全部新品だった。モデルハウスに迷い込んだような気分だった。
(こんな家、一人で住んだら掃除だけで週末が終わるじゃないか……)
隊員たちが手際よく荷物を搬入し終えると、一人の中年男性と部下が室内に残った。
「来翔さん、広島から来ていただいてありがとうございます。奥尻方面特別迎撃基地の島兵幕僚長、クロガネです。あなたたちハンターへの元請けという立場になります」
クロガネは五十代くらいの、いかにも自衛隊の幹部らしい、背筋の伸びた男だった。テーブルに置いたスーツケースを開くと、中には44オートマグと弾丸が入っていた。
「こちら、ご注文の銃とホルスターです」
「ありがとうございます」と来翔は手に取りながら、少し恐縮した顔で答えた。「本当にこれで良かったんでしょうか。もっと良い銃があったんじゃ……」
「む。なぜオートマグを?正直なところ、少々古い銃ですが」
「小学生の頃に、これと同じエアガンを持ってたんです。なんか、形が好きで……昔は最強の銃って聞いてたもんですから」
クロガネは一瞬だけ目を丸くして、それから口元を緩めた。
「ハハハ。そういう理由でしたか。確かに昔は最強でしたが、今はもっと優れた銃がいくらでもあります。交換しますか?」
「いや……なんか、これがいいです」
クロガネの部下、サワダ士長が庭へと先導する。来翔が後に続くと、塀の手前に土が小山のように盛り上げてある。
「来翔さん、とりあえず撃ってみてください。型は古いですが、反動はかなり大きいです。慣れるまで時間がかかると思いますが、弾は最寄りの自衛隊詰所に申し出れば無料で出ます。なるべく早く、慣れてください」
来翔は言われた通り、土の小山へ向けて引き金を引いた。
衝撃が、肩の奥まで突き抜けた。
「痛ってえ……っ」
思わず銃を持つ手を押さえた。肩が脱臼するかと思った。サワダが笑顔で言う。
「女性自衛官でも、これより強力な銃を扱ってますよ。練習あるのみです!」
「……わかりました」
室内に戻ると、クロガネが一枚のカードを差し出した。
「これがハンターの身分証です。タッチ決済もできます。委託業務に関する購入品——車、武装、燃料費、その他もろもろ——はこのカードで支払ってください。個人的な買い物はレジで弾かれますので、分けて会計しなくても大丈夫です」
カードを受け取った来翔は、表面に刻まれた文字を確認した。
【C-Class】
「来翔さんは広島の適性検査でC判定でした。C-Classの主な役割は援護射撃と後方支援です。異世界人との直接戦闘はほぼないと思っていてください。直接戦えるのはB-Classからになります」
クロガネが続ける。
「もし現場でA-ClassやB-Classのハンターが倒された場合は——助けようとしないで、速やかに撤退してください。誰かが失敗を報告しなければならない。それがC-Classの最も重要な仕事です。生きて帰って、報告する。それだけを覚えておいてください」
来翔は静かに繰り返した。
「逃げ切る。報告する」
「そうです」
必要な説明を終えると、クロガネとサワダは庭に停まっていたAH-64Dアパッチに乗り込んで、奥尻基地へと飛び去っていった。攻撃ヘリのローター音が遠ざかり、静けさが戻ってくると、来翔はテーブルの44オートマグを眺めながら、ようやく現実というものを実感し始めていた。
(本当に、俺、ここに来たんだな)
◆
翌日、来翔はハンターカードを握りしめて、近くの中古車販売店の扉を開けた。
小さな個人経営の店だった。店主が「何をお探しですか」と訊いてきたので、来翔は店の奥に停めてある一台を指差した。
「あれ、いくらですか」
SUZUKIのKeiワークス、6型。丸みのある小さなボディが、来翔の目に止まった。値段は軽自動車として妥当な水準だった。ハンターカードで買えるのだから、もっと高い車を選んでも何も問題はなかった。だが、来翔にはそういう発想がなかった。工場で働いていた頃から乗っていた車と同じくらいの大きさのものが、なんとなく落ち着いた。
「これで」
数日後に車が届いた。
来翔は早速、海岸線を走ってみた。江差町、上ノ国町、乙部町を巡るように走ると、どこもひどく平和だった。商店街に人が歩き、漁港に船が浮かび、道の駅の駐車場に観光客らしき車が停まっている。これのどこが最前線なのか、少し判断が難しい。
(こんなに平和なら、仕事が回ってこないんじゃないか)
などと考えながらも、海岸線に立ち並ぶトーチカと、MAZ-543ミサイル発射トラックの列が視界に入るたびに、ああやっぱりここはそういう場所なのだと気が引き締まった。
夕方前、来翔はラッキーピエロ江差入口前店に立ち寄った。
カツ丼とラキポテを頼んで、会計でハンターカードを差し出した。そのとき、レジに立っていた若い女の子が、カードをじっと見てから顔を上げた。
「ハ、ハンターの方ですか!?」
「……まあ、一応」
「凄い……!お仕事、頑張ってください!」
来翔は少し照れながら答えた。
「数日前に移住してきたばかりで。まだ初仕事も何もしてないんだけど」
「それでも、凄いです」と女の子は言った。声が、少しだけ落ちた。「私の学校の生徒にも、亡くなった子が何人かいて……県外からわざわざ来てくれるハンターの方には、本当に感謝しかないんです」
来翔は、なんと答えればいいかわからなくて、ただ「そうか」とだけ言った。
(住む家が貰えるから来た、なんて言えるわけがない)
照れ笑いのまま、カツ丼とラキポテを受け取って店を出た。
◆
夕飯を食べ終えた後、来翔は庭に出た。
オートマグを手に取り、土の小山に向けて撃つ。
反動で肩が痛い。また撃つ。また痛い。
夕方のレジの子は、亡くなった同級生の話を、当たり前のことのように話した。怒りでも悲しみでもなく、ただそれが日常として染み付いた口調で。
来翔はもう一度、引き金を引いた。
(俺が来たのは、家が貰えるからだ。それは本当のことだ)
でも今は、少しだけ違う気持ちが混ざっている。
(守れるようにならないといけない。少なくとも、逃げないでいられるくらいには)
銃声が、夜の庭に響いていた。
今回、来翔が最初に選んだ銃は44オートマグでした。
1970年代に「世界最強の拳銃だ!」みたいなノリで登場したロマン銃です。
なお、現実では
「デカい」
「重い」
「反動が痛い」
「弾が高い」
「壊れやすい」
という、だいぶ困った銃として有名です。
でも男子は、こういう“欠点だらけなのに妙にカッコいい機械”が大好きなんですよね。
来翔も完全にそのタイプです。
性能ではなく「昔エアガン持ってたから好き」で選んでます。
ちなみに作中で出てきた北海道江差町は、実在する港町です。
ニシン漁で栄えた歴史があり、道南の中ではかなり「ちゃんと街」です。
ただし、函館から向かうと途中で本当に山しかなくなるので、初見だと「俺は今どこへ連れて行かれてるんだ……?」ってなります。
あと、ラッキーピエロも実在します。
函館周辺にしかほぼ存在しない謎のローカルチェーンです。
観光客は「ハンバーガー屋」と思って入りますが、
・カレー
・オムライス
・焼きそば
・カツ丼
・ラーメン
・デカ盛り
などが普通に出てきます。
もはや「ラッキーピエロ」というジャンルの店です。
作者が初めて入った時は、 「ハンバーガー屋なのに、なんで海苔弁が人気なんだ……?」 と軽く混乱しました。
でも美味いです。悔しいくらい美味いです。
次回から、いよいよ来翔の“逃げる仕事”が始まります。




