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【第15話 お刺身を食べました】

 アメリカが設計した特殊牢獄は、カメレオン男でも壊せなかった。


 意識が戻ると大暴れしたが、やがて無駄だと悟って静かになった。ところがそのあと、牢獄の中で震え始めた。


 ブリーフィングルームでは議論が続いていた。


「そもそも、あれは異世界人なのか。魔物なのか」

「魔物であれば知能が低いはず。迎撃システムを破壊するような高度な行動はしないのでは」

「詩音さんを盾にしたという報告もあります。野生の魔物にそれができますか」


「ワタル、それは違うわよ」と詩音が割り込んだ。「盾にしたんじゃなくて、食べようとしたのよ」


「そうっすよ!あのトカゲ野郎は明らかに詩音さんを食おうとしてましたよね!」とタコ助が同調した。


 交渉人が牢獄の前で何度も語りかけたが、カメレオン男は震えたまま何のリアクションも見せなかった。交渉人の結論は「人の言葉が届いていない。魔物の可能性が高い」だった。


 議論は終わらない。


 来翔の胸ポケットで、ネーラが正解を囁いていた。


「カメレオンさんは牢獄が寒すぎて凍えてるんだよ。トカゲ人類は寒さが大嫌いなの。このままじゃ冬眠して話もできなくなるよ。暖房をつければすぐ元気になるんだけど」


 来翔はそっとクロガネ幕僚長に話しかけた。


「クロガネさん、カメレオン男は爬虫類なので寒さに弱いんじゃないでしょうか。暖房を入れてみては。このままでは冬眠状態に陥って、対話どころじゃなくなると思いますが」


 クロガネが目を見開いた。


「なるほど!爬虫類は寒さに弱い!さすが来翔さん。誰か今すぐ牢獄の暖房を入れろ!」


 隊員が走った。暖房が入ると、数分でカメレオン男の震えが止まった。やがて、体に落ち着きが戻ってきた。



 ◆



 来翔はネーラに頼んだ。


「ネーラ、カメレオン男に話しかけてみてくれないか」


 ネーラが胸ポケットから飛び出して、牢獄の柵越しに異世界語で語りかけた。


『カメレオンさん、このままじゃ毒ガスで殺されるんだよ』


『なぜ、フェアリーがここにいる』


『私はXXX国の盗賊一味に連れてこられたの』


『俺はその盗賊団を追っている賞金稼ぎだ。奴らはどこにいる』


『わからないの……少し前まではこの島の対面の江差って街にいたんだけど、ある日突然消えちゃって。私は置き去りにされて、この来翔に拾ってもらったの』


『そうか。無駄足だったのか』


『カメレオンさんも日本人の仲間になれば助かるよ』


『……俺は人を喰うんだぞ。餌と仲間になれだと。お前は蜂蜜と仲間になれるのか』


『あ、そうか……でも仲間にならないと毒ガスで死んじゃうんだよ』


『俺は賞金稼ぎだ。命は捨てている。ここで死んでも後悔はない』


『そこまで覚悟を決めてるなら私からは何も言えないけど……コチラの世界には美味しい食べ物も綺麗な景色もあるんだよ』


『ハハハ。フェアリーにはわからんと思うが、トカゲ人類にとって美味いのは人の料理ではない。生だ。生の血肉をそのまま食べる。それがトカゲ人類だ』


『それがね、この日本という国なら、トカゲ人類も美味しく食べられる食べ物があるんだよ。カメレオンさんはお刺身って知ってる?この国の人も魚もお肉も生で食べちゃうの』


『なんだと。人が生で食べるだと。嘘だ。そんなことが人にできるわけがない』


『ちょっと待っててよ。来翔にお刺身を食べるのをここで見せてあげるから』



 ◆



 来翔はネーラの依頼をワタルに伝えた。


 ワタルは二秒考えてから「わかりました」と言い、奥尻の岸壁へルアー竿を持って歩き出した。来翔もついていくと、ワタルが教えながら来翔にもルアー竿を渡した。


「来翔さん、ひたすら投げてください。最低二百投ですよ」


「こんな偽物で本当に釣れるんですか。ワームはまだ虫っぽいですけど、スプーンはただの金属の板ですよ」


「来翔さんだってただの木ベラで敵を倒してるじゃないですか。この世には『え?なんで?』っていうことがまだまだたくさんあるんですよ」


 緊迫状態の島の岸壁で、二人がのんびりルアー竿を振っていると、タコ助がやってきた。


「ワタルさん!まだ敵が潜んでる可能性があるんですよ?こんなオッサンにルアーフィッシングを教えてる暇があるなら探索に出てくださいよ!」


「ごめんごめん。今はワタル班の休憩タイムだからリフレッシュだよ」


 タコ助は言い返す言葉を失って、バギーで走り去っていった。タコ助の姿が見えなくなると、ワタルが来翔に囁いた。


「詩音班の皆さんはクソ真面目ですね」


「そりゃそうですよ。僕とワタルさんくらいですよ。一戸建てが欲しいって理由だけでハンターになったのは」


「確かに!」


 二人は笑いながら竿を振り続けた。


 やがてワタルの竿が大きくしなった。


 旬のブリだった。十キロはある。ワタルは牢獄の前でブリを捌き始めた。剣を扱う手つきと同じ確かさで、包丁がブリを一閃一閃していく。あっという間に見事な刺身が皿に並んだ。


 ワタルと来翔と自衛隊員たちが、牢獄の前でブリの刺身を美味そうに食べ始めた。


 カメレオン男が目を見開いた。


 自衛隊員が刺身を一切れ、牢獄の中に差し入れた。カメレオン男が恐る恐る受け取り、一口食べた。


『……美味い』


 ネーラが牢獄の柵越しに囁いた。


『その黒い液体に付けるともっと美味しいんだよ』


 カメレオン男が醤油に刺身を浸けて食べた。


『うまっ!なんだこれは!なぜ液体に付けた方が美味いのだ』


『私にもわかんない。でも、この国の人は必ずお刺身を黒い液体に付けてから食べるの。緑のぐちゅぐちゅは辛いから私は食べられないけど、黒い液体だけなら私も大好きなの』


『そうか……最後の晩餐にしては上出来だ。礼を言う、フェアリー』


 刺身が全部なくなった。


『カメレオンさん、他に仲間は?』


『ゲートをくぐったときにこちら側が寒すぎて、仲間は引き返した。島には俺一人しか上陸できなかった。安心しろ。刺身の礼だ。嘘は言わない』


『わかった。ありがとう、カメレオンさん』


 ネーラはすぐに来翔に通訳し、来翔がワタルに伝え、ワタルがクロガネ幕僚長に相談した。


「俺と来翔さんの判断では、カメレオン男は敵じゃないと思います。島に潜伏して数日、誰も殺していない。奪ってもいない。迎撃システムは先に攻撃されたから壊しただけ。それで処刑するほどの悪人でしょうか」


 クロガネ幕僚長は長い間、黙っていた。


 刺身を一切れずつ丁寧に食べていたカメレオン男の様子が頭から離れなかった。あれは理性のある生き物の食べ方だった。


「……判断に困りますね。しかし、彼がこちら側に付くのは難しい」


「はい。牢獄の寒さだけでも限界でした。これから奥尻は雪が積もります。彼では生きていけない。ゲートの前まで連れて行くのはどうでしょう。今の彼なら帰ると思います。俺と来翔さんが責任を持って連れていきます」


 クロガネは静かに頭を下げた。


「お任せします」


 ネーラが胸ポケットから飛び出して牢獄まで飛んでいった。


『カメレオンさん!ゲートに帰るなら無罪放免だって!よかったね!』


『なんと……俺は帰れるのか』


『来翔に感謝してよね!来翔は最高の異世界ハンターなんだから!』


『異世界ハンターの来翔か……その名を俺の皮に刻もう。脱皮する度にその名を思い出そう』



 ◆



 カメレオン男の輸送は速やかに行われた。詩音班が守りを固める中、ワタルと来翔とカメレオン男がボートに乗り、鍋釣岩の前へと向かった。


 来翔にとって、初めての鍋釣岩だった。


 リングの穴の向こうには、青みがかった草原が広がっている。異世界の匂いがした。空気が違う。来翔は胸ポケットのネーラに小声で話しかけた。


「ネーラ、帰らなくても良いのか」


 ネーラがプクっと膨れた。


「もう!私が来翔から離れるわけないでしょ!」


 来翔はそっと胸ポケットを手で抑えた。


 ワタルがカメレオン男に向かって言った。言葉は通じないとわかった上で。


「さあ、もう行っていいですよ」


 カメレオン男はワタルと来翔とネーラへ向かって、別れを告げるように言った。


『φτος!』


 ゲートをくぐり、あちら側の大地に立ったカメレオン男が振り返った。もう一度。


『φτος!』


 そして、草原の彼方へ歩き去っていった。


 ゲート開通以来、初の異世界側との平和的な交渉が成立した瞬間だった。



 ◆



 この出来事は美談としてすぐに広まった。


 ワタルとクロガネ幕僚長は日本政府から勲章を授与され、ノーベル平和賞の最有力候補として名前が挙がった。特集番組が連日放送され、来年度の教科書に「トカゲと勇者」という物語として掲載されることも決まった。


 ワタルはたちまち時の人になった。


 各地のイベントや式典に次々と招かれ、ハンター業務が激減した。ワタルが動かなければ来翔の孫請け仕事も来ない。来翔の仕事もぐっと減った。


 だが来翔は焦らなかった。ネーラから聞いた話が頭にあった。仲間が寒さで引き返したと、カメレオン男は言っていた。トカゲ人類が今のXXX国のゲートを支配しているなら、冬の間は誰も来られない。ワタルも同じことを理解しているから、冬の間は堂々とイベントに出ている。油断ではなく、確信だ。


 それを知っているのは、来翔とワタルとネーラだけだった。



 ◆



 江差は真冬になった。


 来翔とネーラにとって初めての北海道の雪だった。


 庭が広い分、雪かきが大変だった。来翔がスコップで雪をかいていると、ネーラが妖精サイズの木製スコップを両手で持って、自分の周りの雪をせっせとかいている。


「庭が広いから雪かきが大変だよな」


「良いじゃん!雪かきは良い運動になるよ!」


 ネーラは雪を丸め、自分サイズの小さなかまくらを作り始めた。来翔はそれを横目で見ながら、スコップを動かし続けた。


「ネーラ、何か欲しいものはないか」


「どうしたの?突然」


「気にするな。欲しいものを教えてくれないか」


 来週に迫るクリスマスイブに向けて、さりげなく聞いたつもりだった。


 ネーラは少し考えてから答えた。


「う〜ん……インコ!」


「は?」


「インコ!インコが欲しい!」


 来翔はスコップを止めた。


 靴下に収まるものか、手のひらに収まるものを想定していた。アクセサリーとか、お菓子とか、新しいペットボトルのキャップとか、そういう話だと思っていた。


(サンタは生き物でも配るのか……)


 ネーラはかまくらの入り口に「インコ」とカタカナで書いた雪の看板を立てて、満足そうにしていた。クリスマスという文化も、靴下にプレゼントを入れるという習慣も、ネーラには何も関係ない。ただ純粋に、欲しいものを聞かれたから答えただけだ。


 来翔は雪かきを再開しながら、インコについて考え始めた。


 ネーラより大きいな。


 ネーラが乗れるな。


 一緒に飛べるな。


 ……悪くないかもしれない。


 江差の冬の空に、来翔とネーラのやりとりが白い息となって溶けていった。




 




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