後半
クウラが眠っている間、ファイルのローソクの柱はどんどん小さくなっていきます。
「ああ……」と、ファイルは頭を下げて寂しげに笑いました。
「クウラさん、ぼく、消えるまでずっとあなたを照らし続けますよ。この家の主が先にいなくなってしまっても、ずっと独りでこの家の思い出を守ってきたんですから。だから、今はゆっくり休んでください」
ファイルは精一杯頭の先を傾けて、クウラにほんのわずか近づいてみました。
「ほんの少し近づけば、ほんの少しだけ温かくなるだろうから。こんなことしかできないけれど、どうか元気になってください」
体をそっと揺らします。壁がまたしゅっと音を立て、かすかな煙が上がりました。ファイルはオレンジの体を細くして、白い涙をいくつもこぼしました。
ローソクのの柱がポタッポタッとまた低くなっていきます。
「一緒にいられる時間がどんどん少なくなってくなぁ。ぼく、ほんの少しだけど分かるんだよ、暖炉がこの部屋を温めていた頃のことを。暖炉の火とローソクの火、形は全然違うけど、同じマッチ箱から生まれた火なんだ。せっかくここに戻ってこれたのに、こんな短い間だけしかいられないなんて」
悲しみが膨らんでくると、消えたくないという思いも手放せなくなってきます。
「いやだよ……ずっと側にいたいよ……! クウラさん、あなたに触れれば、ぼくが消えることもなくなるのだろうけど」
壁がまたしゅっと音を立てて、灰色の煙が上がります。
「でも、それじゃあ、ぼくは火事を起こして、あなたを失ってしまう。この部屋に残された思い出が全部なくなっちゃう。この家からこれから生まれてくる未来がなくなっちゃう。ぼくはここでじっとしていなくちゃ。じっと自分が消えていくのを待たなくちゃ」
ファイルは体をぎゅっと縮めました。
「我慢すること……それがぼくの……」
その時、部屋を自由気ままに飛び回っていた風が、体を震わせているファイルに再び体を寄せてきました。
ファイルの体がゆらゆらと大きく揺れます。
「あっ、だめだよ、ぼくの体を揺らさないで」
「ねえねえ、あのね」
風は泣いているファイルの角をそっとつつきました。
「あたしがほんの少しだけ力をかしてあげよっか」
「何かしてくれるの?」
ファイルは泣き顔をそのまま風に向けました。
「うん。あたし、昔からこのお店の、この部屋の明かりが好きだったからね。にぎわっていた頃もよく来ていたのよ、あたし」
「でも、この体を大きくして、すべて燃やしてしまうのはダメなんだ」
「分かってるわよ。火事にしちゃだめなんでしょ。あたしだってそれはいや」
「じゃあ」
「ほら、ちょうど電球の佳人は眠ってるじゃない」
「うん、ゆっくり休んでくれてる。ぼくの灯りで元気になってくれると、すごく嬉しい。元気を取り戻して笑顔で部屋を照らしているクウラさんを見てみたい。でも、その時には、ぼくはもう……」
「だからね、あなたが消えてしまう前に、ここじゃない、もっと明るい場所で二人が手を取り合えるようにしてあげようかなぁ、なんて思ってね」
「クウラさんと触れ合えるの?」
「そう、二人だけに特別よ。でもね、目を覚ました時には、あの人はあなたのことをもう覚えていないかもしれない。それでも、いいかしら?」
「うん。ぼくなんて消えてしまえば誰からも忘れられてしまうもの」
「そうね。まあ、わたしは忘れないけど。じゃ、やるわよ」
風は部屋の隅から隅まで飛び回り、両手を高くあげて難しそうな呪文を叫びました。
◎
辺りの光景はたちまち水の中のような世界。ファイルは火ではなく、水の中をふわふわと昇っていく泡に変わっていました。
そしてすぐ隣にはもう一つの泡が並んでただよっていました。
「あら? ここはどこなのかしら」
その声はクウラのものでした。
「夢を見ることなんて、もうないと思っていたのに」
「クウラさん、ぼくたち水の中を漂う泡になってますよ」
「ほんとう。あら、その声。あなた、もしかして、ファイルさんなのかしら?」
「そうです、ぼく、ファイルなんです。ぼくたち、水の世界で泡になったみたいですね」
「泡になっても、あなたはわたしをやさしく照らしてくれるのね」
確かに、ファイルの体は水の中でも輝いていて、クウラを美しく照らしていました。
ファイルの体は、クウラに引き寄せられていきます。
「クウラさん、逆ですよ、あなたがずっとぼくを照らしてきてくれたんです」
「わたしはほとんど光を失っていたのよ。あなたを照らせることなんてそんなこと……」
「あの家の中であなたはたくさんのものを照らしてくれてたんですよ。ほら、ぼくたち、今なら触れることだってできるんですよ」
ファイルはクウラに近づいていき、そして二人は手をつなぐことができました。
「ほんとうに、触れられたわ」
二つの輝きが一つに重なります。
突然、水が渦を巻いて、泡となった二人を上昇させていきます。
辺りの光景が水の世界から別のものへと変わりました。
「ここは」
懐かしい部屋の中を、光の泡となっている二人は漂っていました。
まだ埃をかぶっていない、美しいアンティーク家具や雑貨であふれています。
そして室内を夕陽が照らしてくれています。
「ここは、昔の」
クウラは目を輝かせて、部屋の中を見回しました。
「あれは!」
若かりし日のお店の主。クウラははっきり思い出せます。夫婦の二人でした。
女性の手には、電球が一つ。
そして、男性の手には、手持ち燭台が。
ローソクのちいさな灯りが、女性の持つ電球をやさしく照らしています。
「この明かりが、このお店を照らす最初の明かりになるのね」
「うん、そうだよ。さあ、ぼくが照らしているから、取り付けて」
「そっか……」
ファイルはこんな素敵な魔法を起こしてくれたあの風に感謝しながら深く頷きました。
「ファイルさん、あなた、もしかして」
「これがクウラさんが守ってきた大切な思い出なんです」
「あなたは、この家の最初の灯りだった」
「あなたは、この家の最初の明かりだった」
電球が取り付けられると、手持ち燭台のローソクの火は、ふっと静かに眠るように消されました。
その時、夫婦二人が何かに気づいたようにして、顔を上げました。
彼らには二つの光の泡が見えているのか、優しく笑うと、
「この家の思い出を、私たちの幸せを、ここまで守ってきてくれてありがとう」と言いました。
「あぁ……」
クウラはとめだなくあふれでてくるものが涙だと分かりました。
「私たちの最初の灯り・明かり」
「そして、最期の明かり・灯りに、やっとお礼を言えることができたよ」
ありがとう。
あなたが私を照らしてくれた。
あなたが私を照らしてくれた。
いつまでも、
愛してる。
二人の笑顔と共に部屋の光景が消えていきます。
二つの光の泡も上昇していきます。
最初の灯りで、最初の明かり。
あなたを照らせて、幸せでした。
あの頃、いつも側にいてくれてありがとう。
ありがとう、愛した人……
◎
目を覚ましたクウラがいたのは、古びたお店の中ではありませんでした。
置き忘れられていたアンティークの品々は一切なくなり、新しい家具や電化製品が置かれてありました。そして、どの壁も真新しいものに変わっていました。
クウラの体は埃が払われ、磨かれていました。
にぎやかな笑い声が近くで聞こえてきます。
「ここは、どこなのかしら。わたしが今まで見てきたものは何だったのかしら」
部屋を照らしているのは、大きな蛍光灯の白い明かりでした。
「新しい光だわ。この家からまた新たな生活と幸せが生まれていくのね」
確かに蛍光灯の明かりは室内のすべてのものを照らしていましたが、けれども、クウラを温めてくれる光ではありませんでした。
真夜中、天井の大きな蛍光灯が消されると、電球のクウラの明かりが点けられました。
不思議でした。疲れを全く感じることなく部屋を照らすことができるのです。
「私も新しい役目をもらえたのね。これからの未来を照らしていけるのね」
健やかな気持ちで光れるのは嬉しいはずなのに、起きているのは自分だけです。誰を照らしていいのか分からず、戸惑い、自分だけが暗闇に取り残されたような気持になってしまいました。
「わたしは、これからまた独りで光っていくのかしら……」
その時、真っ白な壁に、かすかに焦げた跡を見つけました。
クウラが照らすまでは、そこは真新しい壁だったはず。
けれど、焦げた跡は、クウラに向かってひそやかに伸びていました。
「ああ……あれは、わたしを照らしてくれていた灯り……」
照らしてくれていたのが誰だったのか、はっきりと思い出すことはできません。
ただ、その小さな灯りの跡を、抱きしめるように、しっかり照らしました。
「温かい灯り……。
あなたは、ちゃんとここにいてくれた」
明日の光がやってくる中、クウラの光は静かに静かに消えていきました。
おわり




