前半
こごえそうな夜のくらやみの中で、ちいさなちいさな明かりが、弱々しく、点いたり消えたりをくりかえしていました。
それは、アンティーク雑貨をあつかっていたお店の中。人の気配というものはもうずいぶん前からありませんでした。
室内には、ほこりまみれになった雑貨や古い家具が、どれもひっそりと置かれてあります。
よどんだ空気と、眠ったままの思い出が疲れたように沈殿しているこの室内を、弱々しくもけんめいに照らし続けている一つの明かり。
それが部屋の天井から吊り下げられている電球のクウラでした。
お店には他にも明かりはいくつもありましたが、他の明かりたちは、もうとっくの昔に点かなくなっていました。
けれど、クウラだけが夜になると目を覚ますのです。
目を覚ましたクウラ。けれど、その光はまばたきをするかのように、パチッ……パチッ……と明滅をくりかえし、今にも消えてしまいそうでした。
「本当はずっと眠っていたい。二度と目覚めたくない」
けれど、毎日、夜になると目を覚ましてしまうのです。
「どうして目を覚ましてしまうのかしら」
クウラは自分の体をうらめしく思いました。そして、何年も見続けてきた室内の壁を、模様を、まどろんだ目で見つめました。
「お店の明かりがわたしだけになってしまってから、一体どれくらい経っているのかしら」
クウラは、せきこんで、パチッ……パチッ……と光ったり消えたりをまたくりかえしました。
「このお店も明るい笑い声であふれていたことがあったっけ」
お店はカフェも運営していた頃があり、暖炉も備えられていて、カップを手にくつろぐ人々をやさしく温めていたことを思い出しました。
クウラはその暖炉の火を遠目で見ていて、力強い火の輝きに憧れを抱いたものでした。
「ゴホ、ゴホ……」
クウラがせきこみ、お店の中も一緒に明るくなったり、暗くなったり。
「でも、いくら待っても、もう誰も帰ってこないのよね。どうしてこんな苦しいのに、いつも目を覚ましてしまうのかしら。わたしの役目は終わったんだもの。このまま、わたしがまた眠って、真っ暗になっても、誰も何も言わないわよね」
目を覚ましたばかりのクウラでしたが、そっと、また目を閉じました。
クウラが眠ってしまうと、お店はまた真っ暗闇に閉ざされました。
クウラの体にほこりがつもっていきます。わずかに開いている窓から真冬の冷たい風が入り込んできて、クウラの体はかたかたと割れそうな音を立てて震えました。
「寒い……」
眠っている間、クウラはうなされていました。
その時、暗くなっていた室内がほんのりと明るくなり、小さな歌声が響いてきました。
「……ポッポラポッポラ」
クウラの冷えた体がとくんとくんと温まっていきます。
その小さく優しい歌声に、クウラはそっと目を覚ました。
「この光は……何かしら……なんだかとっても懐かしいわ……。わたしの代わりに部屋を照らしてくれているのは……だれ、誰なの?」
クウラは吊り下げられている体をゆらゆらと揺らし、視線をさまよわせて、光の正体を確かめようとしました。
無垢材の三段チェストには真鍮製の手持ち燭台が置いてありました。そこに白い柱が一本立っていて、その芯にゆらゆら踊る小さな生き物が座っていました。
オレンジ色の体をしていて、中心はわずかに金色に輝いています。頭は角が生えているかのように、やや尖っていました。
「わたしのような電気の明かりとは違うわ……」
「電球さん、こんばんは、ぼく、ローソクの火のファイルって言います」
ファイルと名乗ったオレンジ色の光は、歌うのをやめて、丁寧に頭を下げてきました。
それからオレンジ色の体を左右にゆらゆら動かして、やさしい笑顔でクウラの返事をゆっくり待っていました。
「まあ、あなたは、あの暖炉の火と同じような、生きた灯りなのね。これはご丁寧にどうも。わたしは電球のクウラです」
久しぶりの会話。クウラも自分の体をパッと明るくさせて挨拶を返したものの、すぐにまた光は弱くなっていきます。
「ああ……光ることが……とても苦しい……」
「大丈夫です」
落ち込むクウラを、ファイルはそっとなでるように照らしてくれます。
「今はこうしてぼくが部屋を照らしてるから、クウラさんはゆっくり休んでて下さいね。ぼく、こんな小さい光なんですけどね、それでもちゃんと部屋を照らせるんです」
ファイルは、また「ポッポラポッポラ」と歌って、クウラの心を和ませてくれました。
「あぁ……とってもあたたかいわ」
クウラは安心して、光を弱めていけました。
誰かが代わりに部屋を照らしてくれるなんていつ振りのことでしょうか。
この家の主が暮らしていて、家が賑わっていた頃。その頃の暖炉の炎が懐かしく思えました。
「光に照らされるって、こんなに嬉しいことなのね」
ファイルの光に照らされて、クウラは自分の埃だらけの姿を眺めました。
暗くて狭い部屋の中で、何年もひとりで過ごしてきたのです。彼女がこのまま消えてしまえば、誰の記憶からも忘れさられてしまうのかもしれない。クウラが背負ってきた、この家で誰かが暮らしていたという思い出も、共に消えてしまうのかもしれない。
「でも、もう……いいのよね」
クウラはふっと力を抜きました。
「クウラさん、ぼく、あなたが元気になってくれるまで、ずっとここで光ってますよ」
ファイルの顔は、オレンジ色からぽうっと赤に変わっていました。
「ぼく、そのためにここに来たんです。ぼく、分かるんです、クウラさん、この家で暮らしていた人がとても大切にしてきんたんだって」
ファイルは赤くなった体を照れくさそうに揺らしました。
「クウラさんは、この家に眠っているたくさんの思い出を、最期の独りになってもちゃんと照らして守ってきてくれたんです。ぼく、あなたが元気になってくれるなら、あなただけを照らし続けたってかまいません」
「まあ……」
クウラは、ガラスでできた顔をほんのりと熱く光らせました。
「嬉しいわ、ありがとう」
今はひとりぼっちではありませんでした。側で温かな光で包んでくれる灯りがいてくれるのです。
「こんな埃まみれのわたしでも、大切に思ってくれるのが嬉しくて……」
「ぼく、あなたを見ていると、もっとあなたのことを温めたいって、力が湧くんです」
「ねえ、どうか、もっと近くに来てはくれないかしら。あなたの顔を……もっとよく見てみたいの……。ダメかしら……?」
クウラが問い掛けると、
「ぼく……」
明るかったファイルの声のトーンが落ちてしまいました。クウラから離れるようにして、さびしげに揺れました。
「あなたの側に行きたいけど……行けないんです」
「どうして?」
「ぼくの体は火でできているんです。触れればあなたの体を呑み込んで壊してしまう」
「まあ、壊すって……こんなに小さくてやさしい光なのに?」
「ぼくは誰かに触れれば、火事になってしまう。火事になると、ぼくの体が大きくなって、どんどん他のものを呑み込んで、壊していっちゃうんです。この家に残った大切な思い出も何もかも全部消してしまうんです。クウラさんがせっかく守ってきた思い出もすべて」
「…………」
クウラの明かりがパチパチと明滅しました。
「ぼくがぼくでなくなって、クウラさんもクウラさんでなくしてしまうから」
「とてもそんな怖いもののようには見えないわ。わたし、暖炉の火も知っているけれど、あれだって全然怖いものではなかったわ。ここに集まってた人々をやさしく温めていた」
「触れなければ大丈夫なんです。それに、ぼく、今はこんなに小さいから。でも、火はほんとはとても怖い存在なんです」
「そうなの……?」
「えぇ。クウラさんをやさしく照らすには、これからもずっと、このまま小さいままでいなくっちゃいけないんです」
「でも……」
「仕方ないんです」
ファイルはついにクウラに背を向けてしまいました。
「…………」
クウラは静かに息を吐きました。
確かに火は怖いと、昔、遠くから聞こえてきたラジオの声で聴いたことがあったような気がしました。
けれど、わたしの守ってきた家には、もう誰も帰ってこない。捨てられた思い出を守る必要もない。
ファイルなら部屋に閉じ込められた思い出を全て呑み込んで、外に解放してくれる気がしました。
この家を、お店を、守る必要ももうない。何が起きてもいい、ただ彼の光にじかに触れてみたい。
天井に吊るされているクウラは自分の方から近づいてみようと試みましたが、ゆらゆら揺れても、とても彼に届くことは叶いませんでした。
「ぼく、誰にも触れなければ、このままただの小さな明かりでいられるんです」
「でも、わたし、あなたに触れてみたいわ」
クウラは疲れているのをこらえて、一生懸命吊り下げられている体を揺らしてみました。
「だめですよ」
ファイルは体を縮ませて、クウラが近づくのを拒みました。
「あなたになら呑み込まれてもいいの。体をなくしてしまってもかまわないわ」
「だめです、だめなんです」
ファイルは何度も首を横に振りました。
「だめ」とは言っているファイルでしたが、縮ませていた火の体が、急にふっと大きくふくらみました。
壁から、しゅっと煙が上がりました。
火の影は、クウラを呑み込もうとしていました。
ファイルは懸命にこらえました。
「ぼくは、クウラさんの代わりに部屋を明るくする仕事を与えられたんです。その仕事がどうでもいいって思うくらい、クウラさんのためだけに光りたいって思います。美しく照らしたいって思うんです。けど、触れることだけはしちゃいけないんです」
「そう……なの……」
クウラは、あきらめて、体を揺らすのをやめました。
「ごめんなさい……」
ファイルが体を曲げて謝ると、
「…………」
クウラは何も返さずに、うつむいてしまいました。
二人は黙り込んでしまい、部屋はまたひっそりと静かになりました。
「…………」
ファイルが乗るローソクの柱が徐々に低くなっていきます。
「ごめんなさい、わたしのわがままだったわ。せっかくまた見ることができた生きた灯りだったから、もっとすぐ側で見つめたかった。あなたにじかに触れてみたかったの。暖炉があったあの頃はできなかったから」
クウラは目に涙を溜めて謝りました。
「ぼくだって……」
ファイルが口を開くと、窓のすきまから踊るような風が入り込んできました。
すると、ファイルの体がぐにゃりと形を変えました。
「ぼくだってクウラさんに触れたい」とファイルはまたつぶやきました。
入ってきたすきま風はファイルから離れ、部屋の中を自由気ままに飛び回っていました。
クウラはファイルと触れられる無邪気なその風をうらやましく思いました。
「ぼくだって、クウラさんに触れられたらきっとすごく幸せなんです。この家が笑顔で満たされていた頃のことを、きっと鮮明に思い出すことができると思うから。でも、あなたを壊してしまったら、この家に残された思い出も全部消えちゃうんです。臆病者だと思われたって構いません」
ファイルは、そう言ってからまた背を向けてしまいました。
「いいの。えぇ、いいのよ。わたし、あなたに照らされるだけで幸せなんだから」
クウラは潤んだ瞳を閉じて、ファイルの光に照らされる中、眠りに落ちました。
この安らぎがずっと続くと願って。




