1章8節
毎日17:30投稿
装備を揃えたのは、退職日前だった。
最後の給料日。
ヤヒロは会社の購買所で、これまで一度も手を伸ばさなかった棚を見ていた。
革鎧一式。
胴、腕、脚、簡易の首当て。
すべてコモン。
質は悪く、縫製も甘い。
だが――
「……今までは、盾だけでよかったからな」
会社のローテでは、前に出て、受けて死ぬ。
それが役割だった。
防具は“生き残る意思”の表明であり、
それは、あの場所では不要なものだった。
だから、いつもジャージを着ているだけで事足りたのだ。
革装備をまとめて購入し、
購買所の職員に怪訝な顔をされる。
だが、何も言われない。
ここでは、誰が何を買おうと関心を持たれない。
それが、会社だった。
ソロ冒険者として登録を済ませた翌朝。
ヤヒロは、別の転移門前に立っていた。
――習志野駐屯地ダンジョン。
ここは、
かつてヤヒロが企業パーティの一員として潜っていた練馬とは、
空気がまるで違う。
規模はやや小さいが、冒険者の出入りは少なくない。
また、出てくるモンスターも練馬と比べて多様で、
浅層でも油断できないと聞いている。
入口付近には、
企業所属のほか、練馬よりもソロ、少人数パーティが多い印象だ。
そして――
一目で“場数が違う”と分かる連中が混じっている。
視線が、鋭い。
装備を見る目。
立ち方を見る目。
単独か、群れかを見極める目。
「……なるほど」
ヤヒロは、深く息を吐いた。
ここは、
狩場であり、
同時に、人間同士の観測場でもある。
革装備を身につけ、背中にはバックパックを背負う。
念のため、習志野ギルドで購入したポーションも何本か持ち込む。
武器は、
一年ぶりに前線で使う――「使い捨てる盾」。
掌に伝わる重みが、
妙に心強かった。
「……行くか」
誰の許可も要らない。
ヤヒロは一人で、転移門をくぐった。
湿った空気に低い天井。
足音が反響する石床。
浅層。
出てくるのは、
スライム、
コボルト、
たまにゴブリン。
どれも、単体なら脅威にならない。
ヤヒロは、
無理に前へ出ない。
気配を殺し、
足音を抑え、
他の冒険者の動線を避ける。
会社にいたころ、
“前に出る役”として染み付いた観察癖が、
今はそのまま索敵能力として生きていた。
見慣れた敵。
だが、空気が違う。
静かすぎる。
足音が多く、
気配が、あちこちに散っている。
「……モンスターだけじゃないな」
盾で受け、盾で殴る。
一撃で潰れるスライム。
二撃で倒れるコボルト。
ゴブリンには少々手こずるものの、倒すことができた。
革装備のおかげで、
被弾しても致命傷にはならない。
――生き残れる。
その実感が、確かにあった。
そして、浅層の奥。
初めての宝箱を見つけた。
中から現れたのは、鉄製の短槍。
刃に刻まれた、淡い紋様。
レア装備だ。
「……当たりだ!」
初潜入で、初めての成果。
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
その直後だった。
「止まれ」
背後から、男の声がした。
足音が三つ。
振り返ると、鉄装備の冒険者が三人。
全員、武器を抜いている。
「一人か」
「浅層で、随分いいもん拾ったな」
視線が、
ヤヒロの手元――短槍に注がれている。
その瞬間、理解した。
ここでは、
モンスターを倒して手に入れたものは、
帰還するまでは必ずしも“自分のもの”ではない。
「悪く思うなよ」
「どうせ、また戻ってくればいいだろ?」
軽い調子の言葉。
だが、間合いは詰めてくる。
――奪う気だ。
ヤヒロは、ゆっくりと盾を構えた。
何百回もの死に戻り。
何千回も受け続けた衝撃。
体が、覚えている。
「……来い」
一人が踏み込む。
ここは、
会社のローテじゃない。
逃げ道も、
後ろで守ってくれる仲間もいない。
だが――
使い捨てでも、
捨てられる側でもない。
このダンジョンは、
生き延びた者のものだ。
ヤヒロは、
初めて“個人として”前に出た。




