2章14節
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急に境界喰らいが、止まった。
森と湖の境界で、
あれほど空間を歪めていた巨体が、ぴたりと動きを止める。
不自然なほどの静止。
「……来るぞ」
ツダの声が、低く落ちる。
次の瞬間だった。
分解が、始まった。
水面に沈んでいた下半身が、ほどけるように消える。
森に溶けていた背が、枝を引き剥がすように剥離する。
残ったのは――
人の輪郭。
だが、決して人ではない。
二本脚で、立ち上がる。
胴は人間に近い比率。
頭部は、鹿。
枝角が歪に絡み合い、
その奥に、濁った眼が二つ光る。
そして――
腕が、蛇だった。
二本の腕が、肘の位置から無数に分岐し、
太いもの、細いもの、節だらけのものが、
生き物のように蠢いている。
皮膚は鱗。
だが、ところどころに人の筋肉の名残がある。
「……ヒト型」
ユイが、かすかに息を吸う。
「あれが一番、まずい形態だ」
ツダが即答した。
「動きが早い。
判断が、人間寄りになる。
攻撃の選択肢も、倍以上だ」
その説明が終わる前に、
境界喰らいが――踏み込んだ。
音が、遅れて爆ぜる。
ドンッ。
衝撃が、地面を走る。
「来た!」
ヤヒロは盾を構える。
だが、
蛇の腕が、回り込む。
正面ではない。
横でもない。
背後でもない。
上と下から、同時に。
「――っ!」
盾で一方向を受ける。
だが、残りが来る。
切れ味上昇。
盾の縁で、蛇の胴を裂く。
しかし、
裂かれた蛇は、死なない。
裂けた先から、さらに細い蛇が溢れる。
「キリがねえ!」
ツダが前に出る。
槌が唸る。
打撃が、空間ごと叩き潰す。
一瞬、境界喰らいの動きが止まる。
その隙に――
ユイの矢。
だが、
ヒト型の境界喰らいは、避けた。
完全ではない。
肩を掠める。
それでも、
これまでの“必中”ではない。
「……見切られてる」
ユイが短く言う。
「こいつは、学習してるんだ」
境界喰らいが、首を傾ける。
鹿の頭が、
三人を順に“観察”する。
次の瞬間。
蛇の腕が、地面を叩いた。
ドン。
音。
音の衝撃波が、三方向に同時展開される。
「ヤヒロ!」
盾を構える。
衝撃波反転。
だが――
間に合わない。
三方向。
一方向しか返せない。
反転した音が、境界喰らいの胴を抉る。
だが、残りの音が――
ツダを、吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
岩に叩きつけられる。
ユイも、衝撃で体勢を崩す。
「ツダ!ユイ!」
ヤヒロが叫ぶ。
その隙を、逃さない。
境界喰らいが、ヤヒロを狙った。
蛇の腕が、絡みつく。
盾を、掴む。
いや――
引き剥がそうとしている。
「……っ、離せ!」
使い捨てる盾が、軋む。
食え、と。奪え、と。
だが、今は違う。
「今は……耐える!」
蛇が、締め上げる。
骨が、悲鳴を上げる。
幻痛が発動する。
境界喰らいの動きが、わずかに乱れる。
だが――
止まらない。
「ヤヒロ!」
ユイが、叫ぶ。
矢が飛ぶ。
関節。神経節。視覚器官。
だが、
蛇の腕が、矢を弾く。
「……間に合わない」
ユイの声が、揺れた。
ツダが、立ち上がろうとする。
だが、足が動かない。
「くそ……!」
境界喰らいが、鹿の頭を近づける。
濁った眼が、ヤヒロを覗き込む。
音が、集束する。
次の一撃は、確実に致命。
ヤヒロは、理解した。
ここが最大のピンチだ。
盾が、囁く。
まだだ。
まだ、使ってない。
衝撃波反転のクールタイムは
終わっている。
だが、相手も、それを読んでいる。
この次で、決まる。
生きるか。
喰われるか。
ヤヒロは、最後の賭けにでることにした。




