2章8節
毎日17:30投稿
三人は再び歩き始めた。
朝の森は、昼よりも静かで、
だからこそ――音が、よく通る。
「……また、来る」
ユイが、低く言った。
踏みしめる音。
枝を踏み折る音。
意図的に、隠そうともしない足取り。
「数は?」
ヤヒロが、盾を構えたまま問う。
「……三。人間」
ツダが、モノクル越しに森を見る。
「しかも、慣れてる」
「さっきのオークロード戦、見てたやつらだろ」
——狙いは、疲弊したところ。
理屈は分かる。
だからこそ、腹が立った。
影が、動いた。
最初の一人は、正面から来た。
剣を抜き、ためらいなく距離を詰めてくる。
「行くぞ!」
叫びと同時に、踏み込み。
——速い。
ヤヒロは反射で盾を前に出す。
ガンッ!と盾に衝撃。
腕に痺れが走るが、なんとか受け止めた。
次の瞬間、横から気配。
「左!」
ツダの声。
ヤヒロが体を捻る。
刃が、肩口をかすめた。
血が、にじむ。
「チッ」
相手は笑っていた。
——人を斬ることに、慣れている笑い。
ユイの矢が飛ぶ。
見える矢。
撃たれた瞬間、その場に留まり——
数秒後。
音もなく、太腿を貫いた。
「ぐっ!?」
一人が崩れる。
だが、残り二人は止まらない。
「殺せ!」
叫び声。
その言葉が、ヤヒロの胸に突き刺さる。
——殺せ。
モンスター相手とは、違う。
相手は考えていて、
恐怖も感じていて、
それでも、ここにいる。
剣が、再び振り下ろされる。
ヤヒロは、盾を振る。
衝撃波反転。
完全反転に成功し、叩きつけられた衝撃が、そのまま返る。
相手の体が、木に叩きつけられた。
だが——
まだ、生きている。
咳き込み、立ち上がろうとする。
目が合った。
そこには、恐怖があった。
「や、やめ——」
声が、出た。
——逃げればいい。
そう思った。
だが、背後。
もう一人が、剣を構えて走ってくる。
間に合わない。
ヤヒロは、考える前に動いていた。
盾を、横から——
切った。
切れ味上昇の特性。
盾の縁が、喉を裂く。
温かいものが、手にかかる。
音が、止まる。
男は、何か言おうとして——
泡を吐き、崩れ落ちた。
倒れる音。
それだけ。
世界が、静かになった。
「……ヤヒロ」
いつの間にか、最後の一人にとどめを刺していたツダの声。
聞こえているのに、遠い。
足元に、横たわる身体。
——死体。
モンスターと、同じ形をしていない。
装備があって、
顔があって、
生きていた痕跡が、はっきり残っている。
喉が、詰まる。
「……俺は」
声が、震えた。
「今……」
言葉に、ならない。
ユイが、近づいてくる。
矢を構えたまま、低く言う。
「……選択肢、なかった」
慰めではない。
事実の確認。
ツダも、頷いた。
「ここは、そういう場所だ」
「躊躇ったら、次はこっちが死ぬ」
ヤヒロは、拳を握る。
震えが、止まらない。
戻れない。
一線を、越えた。
倒れた男の身体が、光を帯び始めた。
最初は、血の縁が淡く輝く。
次に、輪郭がぼやけ、
最後には――細かな光の粒へと分解されていく。
音はない。
呻きも、断末魔も、もう存在しない。
ただ、処理されるように、消えた。
「……」
ヤヒロは、その場から動けなかった。
さっきまで、確かに“人だった”ものが、
数秒で、痕跡すら残さず消える。
床に残ったのは、
小さな袋と、金属音。
ドロップ。
ツダが、ためらいなく拾い上げた。
「……はいはい、確認な」
中身を見て、鼻で笑う。
「コモン剣かよ」
「こっちは革鎧。しかもコモンのボロ。売っても二束三文だな」
「今回の襲撃は、収穫の悪い奴らの悪あがきってところか」
淡々とした声。
価値の話。
さっきまで命だったものが、
いまは“換金対象”に成り下がっている。
ユイも、もう一人の襲撃者の消失を確認し、
落ちたものを一瞥する。
「……期待外れ」
それだけ。
光が消えた場所に、興味を残していない。
ヤヒロの胃が、きしんだ。
「……平気、なのか」
思わず、口に出た。
二人は、同時にこちらを見る。
ツダは肩をすくめた。
「平気っていうか……」
「まあ、今さらだな」
ユイは、少しだけ考えてから答える。
「……慣れる」
短い言葉。
否定でも、肯定でもない。
ただの事実。
ヤヒロは、自分の手を見る。
さっき、喉を切った手。
もう、血はついていない。
光と一緒に、きれいに消えた。
——何も、残らない。
罪悪感も、重みも、
世界の側には。
「……俺も」
声が、かすれた。
「そのうち、こうなるのか?」
光が消え、
価値のないドロップだけが残り、
それを“処理”する側に。
ツダは、少しだけ真面目な顔になった。
「なるよ」
即答だった。
「慣れないまま進める奴は、死ぬ」
「慣れたくないって思い続ける奴も、死ぬ」
視線を、森に戻す。
「だから、選べ」
「慣れるか、折れるかだ」
ユイは、何も言わない。
ただ、矢を拾い、
次の襲撃に備えていた。
ヤヒロは、深く息を吸う。
怖かった。
殺したことよりも、
“次はもっと何も感じなくなるかもしれない”ことが。
だが。
それでも。
目を閉じ、息を整える。
「……進むしか、ないんだな」
誰に言うでもなく。
森は、何も答えない。
ただ、
次の足音が、
どこかで生まれるのを、待っているだけだった。
光の粒は、もう残っていない。




