2章7節
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先の戦闘から場所を変えた先は、岩陰に囲まれたわずかな窪地だった。
火は焚かない。
冷えた空気と湿った土の匂いが、
ここがまだダンジョンの内部だと否応なく思い出させる。
三人は、短い休息を取りながら装備を整えていた。
沈黙を破ったのは、ツダだった。
「なあ、ユイ」
軽口めいた呼び方だが、声音は低い。
「確認しとくぞ」
ユイは、返事をしない。
弓の実体を確かめるように、静かに弦を撫でている。
「ここで死んだら、どうなる?」
ヤヒロが、息を詰める。
ユイは、淡々と答えた。
「……入口に戻る」
「……装備も、状態も」
「……全部、最初から」
ツダは頷いた。
「そうだ。つまり、やり直しだ」
「ここまで積み上げた探索も、位置取りも、人間の動きも」
「全部、白紙」
一拍。
「そして――」
視線を、ユイに向ける。
「それ、時間は待ってくれるか?」
ユイの指が、わずかに止まった。
「……待てない」
「だよな」
ツダは、乾いた笑いを漏らす。
「富士は長い」
「低層が短い分、中層と上層が地獄だ」
「一回死んで、やり直したら」
「次に山頂に届くのは、いつになる?」
答えは、出ない。
だからこそ、重い。
「……間に合わないかもしれない」
ユイが、ぽつりと呟いた。
ヤヒロが、息を飲む。
ツダは、畳みかける。
「しかも、上に行くほど人間も増える」
「情報も回る」
「次は、今朝みたいに様子見じゃ済まない」
「それでも――行くか?」
ユイは、顔を上げた。
迷いは、なかった。
「……行く」
「理由は?」
「死んだら、終わりだから」
短く、断定的な言葉。
「戻ってやり直す時間が、ない」
「だから、ここで進むしかない」
ツダは、しばらく黙っていた。
やがて、肩をすくめる。
「なるほど。覚悟ってやつだな」
「……うん」
「盗んだ時点で、戻れない」
ユイは静かに続けた。
「最初から、賭けだった」
ヤヒロの胸に、ずしりと重いものが落ちる。
ツダは立ち上がり、背中を向ける。
「分かった」
「じゃあ俺も、半端な保険は考えない」
「死なない前提で、上まで行く」
「その代わり――」
振り返らずに言う。
「途中で怖くなったから、やめます、はナシだ」
「……分かってる」
ユイは、弓を抱え直した。
夜明けが近い。
森の輪郭が、少しずつはっきりしていく。
ここで死ねば、最初から。
やり直しは、間に合わないかもしれない。
だからこそ。
ユイの決意は、
逃げ場のない場所で、静かに固まっていた。
「よし、じゃあ行くぞ」
ツダは、歩き出したがすぐに足を止めた。
「……そういや、言ってなかったな」
軽い調子。
だが、その場で立ち止まるのは、やはり珍しい。
「富士の上層にな」
振り返らずに、続ける。
「一人、知ってるやつがいる」
ヤヒロが眉を上げた。
「一人?」
「ああ。たった一人だ」
「以前、同じ現場を何度か踏んだ」
「腕はある。判断も早い」
少し間を置く。
「ただし、人付き合いは最悪だ」
焚き火が、ぱちりと弾けた。
「……冒険者?」
ユイの問いに、ツダは首を横に振る。
「今はもう、名乗ってない」
「呼ばれるのも、嫌がる」
「じゃあ、なんで」
「借りを作ったまま、消えたからだよ」
ツダは、肩をすくめた。
「俺の方がな」
一瞬、視線が揺れる。
「そいつは、他人を助けない」
「頼まれても、まず断る」
「それでも?」
ヤヒロが問う。
ツダは、珍しく真面目な目をした。
「ユイの事情を出せば、立ち止まる」
「理由があれば、動くこともある」
「ある、かもな……」
曖昧な言い方だった。
「ただし」
ツダは振り返り、二人を見る。
「条件はひとつだ」
「死なずに、上まで来ること」
「死んで戻ったら、意味がない」
「最初からやり直してる間に、状況は変わる」
ユイは、唇を噛んだ。
「……間に合わない」
「ああ」
ツダは即答する。
「だから、慎重に行く」
「無理はしないが、止まりもしない」
一拍置いて、付け加えた。
「ちなみにだが」
「そいつ、男の頼みは基本、聞かない」
ヤヒロが、思わず目を瞬いた。
ツダは、にやりとする。
「……察しろ」
焚き火の光が、モノクルに反射する。
それは、
逃げ道ではなく――
一度きりの賭けを示す光だった。
三人は、無言で頷いた。
――生きて、上へ行く。
それが、次の目的になった。




