2章6節
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朝の霧は、夜よりも厄介だった。
湿った空気が肺にまとわりつき、音の輪郭を曖昧にする。
視界は悪く、距離感も狂う。
ヤヒロは、盾を抱えたまま周囲を見渡していた。
森は静かだった。
富士中層特有の、湿った土と針葉樹の匂い。
視界は悪く、月光は枝葉に遮られて地面まで届かない。
――静かすぎる。
モンスターの気配がない。
だが、それが逆に不自然だった。
やがて、その違和感が、形になる。
ズン。
森の奥で重い足音が三つ、同時に響いた。
地面が、沈む。
次の瞬間、霧を割って現れたのは――
オークロード。
「しかも三体かよ」
一体でも中層の脅威。
それが、隊列を組んでいる。
「……来たな」
目を覚ましたツダが低く言う。
オークロードは、単なる巨体ではない。
武器を持ち、戦いを知っている。
「正面来るぞ!」
ヤヒロが盾を構え、一歩前に出る。
正面の一体が、長柄斧を振りかぶる。
強い衝撃。
腕が痺れる。
反転は、まだ使う時ではない。
右横。
別の一体が、突進。
ツダが前に出て、槌を叩き込む。
「っ……硬ぇな!」
だが、止まらない。
背後から、重い足音。
三体目。
挟まれた。
「ユイ!」
返事はない。
しかし、空中で止まる矢。
ユイの弓が鳴った直後、
魔素矢が二本、宙に静止したまま数秒。
そして、次の瞬間――
オークロードの膝が、砕けた。
さらに、肩に手首へと次々と打ち続ける。
ユイは、完全に気配を消している。
「グォォッ!?」
オークロードたちは、怒号を上げる。
森が、揺れる。
ヤヒロは、盾で斧を受け、体を押し返す。
一歩。
また一歩。
追い詰められながらも、耐える。
「今だ!」
ツダが叫ぶ。
ヤヒロは、盾を叩きつけた。
衝撃波反転。
両柄斧の威力が、そのまま返る。
オークロードの腕が、ありえない方向に曲がった。
そこへ――
矢。
眉間。
一体目が、崩れ落ちる。
残り二体。
だが――
その瞬間だった。
ヒュン。
鋭い音。
ヤヒロの頬を、何かが掠めた。
「……人間だ!」
ツダが即座に判断する。
霧の奥。
二つの気配。
両手剣と、短剣。
おそらく、先ほどヤヒロの頬を掠めたのは投擲武器だったのだろう。
完全に、狙っていた動き。
オークロードを当て馬にした。
「くそ、性格悪ぃな……!」
ツダが舌打ちする。
人間の一人が、木陰から飛び出す。
短剣使い。
狙いは、ヤヒロだ。
盾の動きを見ている。
だが。
盾は、防ぐためだけのものじゃない。
ヤヒロは、踏み込んだ。
盾の縁で、相手の腕を叩く。
骨が鳴る。
「がっ――!」
もう一人。
両手剣使い。
だが、抜かれた刃はヤヒロまで届かない。
途中で、空中に縫い止められたように止まり、
数秒後、跳ね返される。
ユイだ。
必中。
肩を貫かれ、両手剣使いが転がる。
「……深追いするな」
ツダの声。
残ったオークロードが、まだ立っている。
瀕死だが、危険だ。
三人は、一気に距離を詰める。
最後は、ヤヒロ。
盾で、喉を切り裂いた。
オークロードが倒れる。
森に、静寂が戻る。
だが――
人間二人は、まだ生きている。
血を流しながら、後退していく。
「撤退だな」
ツダが言う。
「追わない。どうせ罠を張っているだろうしな」
「今は、情報のほうが大事だ」
三人は、即座に移動を開始した。
霧の中を、音を殺して離脱する。
十分に距離を取ったところで、ツダが口を開く。
「分析するぞ」
軽い口調だが、目は真剣だった。
「まず、オークロード三体。偶然じゃねぇ」
「誘導か?」
ヤヒロが言う。
「おそらくな。中層の湧き位置と時間を、把握してる連中だ」
ユイが、短く息を吐く。
「……人間が、主役」
「そういうこと」
「オークロード三体は、撒き餌だ」
「本命は、俺たちの動きと装備の確認」
ツダは、森の奥を振り返る。
「俺たちはもう、“狩る側”として見られてる。
で、今日の襲撃は――」
一拍。
「――様子見だ」
完全に殺しに来ていない。
力量測定。
「弓の存在も、盾の挙動も、割れたと思っていい」
「それも、このダンジョンにいる冒険者全員にだ」
しかしツダは、楽しそうに笑った。
「次は、もっと露骨になる」
一拍。
「歓迎されてるぜ、富士ダンジョン」
ヤヒロは、盾を握り直す。
この森では、
モンスターも、人間も、
同じ獲物だ。




