2章5節
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「今日はこの辺で区切ろう」
ヤヒロが言った。
背後は岩肌。左右は倒木。
逃げ道は狭いが、来るなら正面だけ。
「妥当だな」
ツダが軽く頷く。
「この森は、動くほど死角が増える」
火は、最低限だった。
ツダが乾いた枝だけを選び、煙が出ないように組む。
富士中層の夜は、昼よりも音が多い。
葉擦れや風鳴り音。どこかで、水が揺れる気配。
どれもが、敵の接近音と区別がつかない。
ユイは、何も言わず、
火の届かない木に登り座る。
視線は、森の奥。
完全に気配を落としている。
——見張り役。
ダンジョンの中では簡素な食事だった。
ヤヒロにとっては初めての、ダンジョン内での野営。
乾燥肉を裂き、保存パンを噛む。
咀嚼音が、やけに大きく響く気がする。
「……じゃ、今日の成果な」
先に食べ終えたツダが立ち上がり、
トロルが消えた地点へ視線を向ける。
そこに残る、一つの宝箱。
「レア確定だ」
箱に手を触れず、モノクル越しに覗き込む。
片眼が淡く光る。
「……ふん」
短く、息を漏らした。
「来たな、富士仕様」
ヤヒロが近づく。
「何が出た?」
ツダは、視線を外さずに答える。
「防具寄りの装備だ」
「等級はもちろんレア」
「特性は、音響系反射」
ユイが、反応した。
「……咆哮?」
「そう」
ツダは頷く。
「音波、振動、共鳴攻撃の反射と、付随効果としての被害軽減だ」
「さっきのトロルみたいなのを、想定してる」
「やっぱり、山だな」
「だな」
ツダは笑った。
「富士は、音で殺しに来る」
「盾に食わせるのはまだ待て。どこで誰が見てるかわからねぇ」
次に、二人の状態を確認する。
ツダは、ユイを見る。
モノクル越しに、全身をなぞる。
「魔素、問題なし」
「弓も、変な漏れは出てねえ」
ユイは、小さく頷くだけ。
「次」
ヤヒロ。
盾に視線が移る。
ツダの口調が、一瞬だけ真面目になる。
「反動は、蓄積してねえな」
「想定内だ」
「OK。スキルのクールも回ってる」
ツダは、口の端を上げた。
「相変わらず、頭おかしい盾だ」
「褒めてる?」
「半分な」
火が、小さく鳴る。
「今日は、ここまでだ」
ツダが言った。
「夜に動くと、森が敵になる」
「……見張りは」
ユイが、短く言う。
「二時間交代だな」
自然に、順番が決まる。
最初は、ユイ。
次が、ツダ。
最後が、ヤヒロ。
一番損な役回りを自然と担ってくれるツダは、やはり頼もしい。
火を、落とす。
完全には消さない。
だが、遠目にはもう見えない。
森に溶ける、三つの気配。
——今日の成果は、悪くない。
だが、富士ダンジョンは、
必ず、次の牙を隠している。
その夜、
誰も、深く眠ることはなかった。
火が、ほとんど消えた頃。
森は、
さらに音を増していた。
風が、枝を叩く。
どこかで、水面が揺れる。
——だが。
それらとは、
決定的に違う“間”があった。
ユイは、木の枝に腰を下ろしたまま、
視線だけを動かす。
気配を、拾う。
遠い。
だが、確実に「人」だ。
足音は、ない。
装備音も、ない。
それでも、何かが動いている感覚だけが、
森の奥で波打っている。
(……一人じゃない)
数は、少なくない。
だが、こちらに近づく様子はない。
様子見。
あるいは狙いを、定めている。
ユイは、何も言わない。
言えば、音になる。
代わりに、眠るヤヒロの方を一瞬だけ見る。
その視線に、意味は込めない。
ただ、いつでも起こせるように、という確認だけ。
森のさらに奥。
焚き火の光が、完全に届かない場所。
幾つかの影が、低く身を寄せ合っていた。
囁き声は、ない。
合図は、指先と、視線だけ。
一人が、地面に何かを置く。
小さな石。
だが、不自然に整った形。
別の一人が、
それを踏み砕く。
——コリ、と。
ごく、かすかな音。
だが、森の中では、
それが合図になる。
遠くで、何かが動いた。
眠っていた魔物が、
向きを変える。
「……」
影の一つが、楽しげに肩を揺らす。
狩りは、明け方が一番、効率がいい。
疲労。油断。
そのすべてが、重なる時間帯。
その夜、三人は無事に夜を越えた。
だが——
森は、何も忘れていない。
夜明け前。
霧が、地面を這い始める頃。
最初の“音”が、鳴る。
それは、鳥でも、風でもない。
——武器が抜き放たれた音だった。
襲撃は、すでに始まっている。




