2章4節
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インプたちは後退していた。
しかし、それは逃げているわけではなかった。
距離を取り、円を描くように、木々の間へ散る。
そして、鳴いた。
今度は、威嚇のための甲高い声ではない。
喉を震わせる、低い共鳴音。
四方八方それぞれが、違う高さの音を発する。
重なり、森の奥へ――音が流れ込む。
「……やばいのが来るな」
ツダの声が、わずかに硬くなる。
音は、消えない。
むしろ、増幅されていた。
木の幹が震える。
水面が、小さく波打つ。
地面を伝って、
何かが――応える。
ドン。
遠雷の一撃のような足音。
ドン。
次は、近い。
「ヤヒロ、ここが踏ん張りどころだ」
ヤヒロは言われる前から、盾を構えていた。
——来た。
森が、割れる。
姿を現したのは、
巨大な人型の魔物。
二メートル半はある。
苔むした皮膚に、岩のような筋肉。
そして頭部から突き出した、二本の角。
角の根元には、
無数の傷と、金属の輪。
鳴角のトロル。
習志野ダンジョンでは、上層クラスに位置するモンスターだ。
一歩踏み出すたびに、
角が震え、低音が走る。
ゴォォン……
音が、衝撃になる。
空気が、叩きつけられる。
「単体だが……!」
ヤヒロの盾に、
見えない一撃が当たった。
衝撃に、足が押し返される。
そして、ビリッと腕に、微かな痺れ。
「っ……!」
「来たな、音圧型」
ツダが、前に出る。
だが、距離は詰めない。
「こいつは、殴ってくる前に『鳴らす』」
トロルが、角を振る。
ゴンッ。
音が、弾丸のように飛ぶ。
木が砕け、地面が抉れる。
インプたちは、もう見えない。
役目は終わったとでも言うように、
森へ溶けていた。
「ユイ、射てるか?」
返事はない。
——だが。
空中に、
矢が、浮かんだ。
一本。
二本。
三本。
トロルの動きが、
一瞬、止まる。
数秒後。
矢が、飛ぶ。
肩。
膝。
角の付け根。
必中。
だが、致命ではない。
「……硬えな」
ツダが笑う。
「いいね。やっと“富士らしい”のが出てきた」
トロルが、鳴動した。
声ではない。角による共鳴。
音で、殺しに来る。
ヤヒロは、盾を前に出す。
逃げない。
「——受ける!」
音圧が、ぶつかる。
衝撃波反転を使い、トロルに押し返す。
森が、鳴いた。
そしてトロルが、初めて一歩、後退した。
「効いてる」
ツダが、槌を構える。
「じゃあ、削ろうか」
インプの遊びは、終わった。
ここからは、
強者との殴り合いだ。
——カン。
右膝。
——カン。
左足首。
——カン。
肘。
矢は、即座に飛ばない。
空中で、わずかに留まり、
“ここだ”と決まった瞬間に突き刺さる。
関節だけを、正確に。
「……動き、鈍らせた」
ヤヒロが息を吐く。
トロルが腕を振る。
だが、先ほどより一拍、遅い。
「今だ」
ツダが、踏み込んだ。
槌が、横薙ぎに入る。
ドンッ。
胸の骨に、当たる感触。
だが、折れない。
「っ……硬え」
「想定内だ」
ヤヒロが、前に出る。
盾で受け、そのままの勢いで押し返す。
トロルの巨体が、一歩、また一歩、と下がる。
だが、倒れない。
血は流れている。
関節は、壊れかけている。
それでも、強く芯が残っている。
「長いな」
ツダが言う。
「……削り切るには、時間がかかる」
ユイがつぶやく。
そういいながら、矢を一本、トロルの肩に突き刺す。
次は、逆の肩。
均等にバランスを、奪う。
トロルが、苛立ったように角を震わせる。
ゴォォ……
音が、膨らむ。
「来るぞ」
ヤヒロは、
一歩、前に出た。
——そして。
外した。
盾が、わずかにずれる。
切りつけることがかなわない。
トロルの目が、光る。
トロルには、ヤヒロが致命的なミスを犯したように見えただろう。
「……?」
ツダが気づく。
「——ああ」
ヤヒロは、そして盾を上げたまま、動かない。
待っている。
攻撃失敗。
だが、次の一撃が、溜まる。
業を煮やしたトロルが、角を大きく振り上げる。
共鳴。
森が、沈黙する。
そして鋭い咆哮。
音そのものが、破壊的な弾丸となってヤヒロに押し寄せる。
「今だ!」
ヤヒロが、盾を突き出す。
衝撃波反転——発動。
百分の二百。
逃げ場のない音圧が、
そのまま、反転して叩き返された。
ドォンッ!!
空気が、爆ぜる。
トロルの巨体が、後方へ吹き飛ぶ。
何本もの木をなぎ倒しながら吹き飛んだトロルは、
大きな木の幹にめり込んだ。
一瞬の静止。
「ユイ!」
答えは、
もう空にあった。
無数の矢の雨。
留まり、揃い、落ちる。
脳天へ。
頭部へ。
角の根元へ。
ズドン、ズドン、ズドン。
最後の一本が、
真っ直ぐ、
脳を貫いた。
鳴角のトロルは音を失い、
そのまま、崩れ落ちた。
森が、静かになる。
ツダが、息を吐く。
「……なるほどね」
槌を肩に担ぎ、笑う。
「これは、確かに——」
ヤヒロの盾を、見る。
「一人で持たせちゃいけない代物だわ」
ユイは、
矢の残像が消えるのを待ってから、
静かに弓を下ろした。
戦いは、終わった。
だが。
富士ダンジョンは、
まだ、何も終わっていない。




