2章3節
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森は、音を殺さなかった。
枝を踏めば、乾いた破裂音がする。
落ち葉を踏めば、湿った擦過音がする。
そのすべてが、遅れて反響する。
ここは富士ダンジョンの中層。
早々に下層を抜けたヤヒロたちは、早速その洗礼を受けようとしていた。
「……来てる」
ユイの声は低かった。
気配ではない。
魔素の流れでもない。
——音だ。
「前じゃねえな」
ツダが、肩越しに視線を動かす。
その瞬間だった。
キィィ、と甲高い鳴き声が、四方から重なった。
「囲いに来たぞ」
インプ。
小柄な魔物だが、集団になると話は別だ。
視界の悪い森林地帯。
起伏と樹木、下草に覆われた地形。
——完全に、向こうの得意分野。
「ヤヒロ、止まるな!背中預けろ!」
ツダの声と同時に、
ヤヒロは盾を前に出し、半歩だけ踏み込む。
右。
木の幹の影から、インプが跳び出す。
鋭い爪が、ヤヒロの首を目掛けて迫る。
——盾が弾く。
ガンッ、と乾いた衝撃。
反動が、腕に返る。
小さいが、確かな痛み。
小さな体躯だと油断していたが、その膂力は侮れないと知る。
「チッ……」
だが止まらない。
背後から、ユイが弓を引く。
弦音は、しない。
——微睡の弓。
放たれた矢は空中で、止まった。
インプの視界にも、止まった矢が映る。
次の瞬間。
ズンッ。
遅れて、矢が飛ぶ。
狙い違わず、胸部を貫通。
インプが、声もなく落ちた。
「……まだ、いる」
ユイの声。
枝が揺れる。
葉擦れが、重なる。
数が多い。
「音で位置を掴まれてるな」
ツダが、後方から状況を観測する。
槌は構えているが、まだ前には出ない。
——まだだ。
インプたちは、距離を詰めない。
飛び込んでこない。
削るつもりだ。
「くそっ……!」
ヤヒロの盾に、
左右から連続して衝撃。
一体、二体。
小さい。
だが、数が多い。
視界に入った瞬間には、もう近い。
「……上」
ユイが言った。
枝の上。
影が、跳ぶ。
「来る!」
ヤヒロが叫ぶ。
盾を、上へ。
——間に合う。
ガンッ!!
衝撃が、腕を貫く。
その瞬間。
ユイの矢が、また空中で止まる。
二本。
三本。
——すべて、別の個体に。
「……今」
矢が、一斉に飛ぶ。
ドス、ドス、ドス。
三体、落下。
枝が折れ、葉が舞う。
それでも、甲高い鳴き声は止まらない。
「これが富士の中層だ」
ツダが、笑う。
「前も後ろも、上も下も。
気ィ抜いたら、死ぬ」
インプたちは、まだ引かない。
代わりにインプは、学習する。
一体が落ち、二体が消えた瞬間、
残りは距離を取った。
来ない。
代わりに、鳴き声だけが増える。
明らかに威嚇していることだけはわかる。
枝葉も擦れる。だが、姿は見えない。
「……散りやがったな」
ツダが低く言う。
次の瞬間。
背後から飛びかかる気配。
慌てて振り向いたヤヒロの盾に、横殴りの衝撃が走る。
——弾く。
だが、間髪入れず。
左から、右からと、波状攻撃が続く。
「クソ……!」
盾を構え直す間もない。
一撃一撃は、まだ耐えられるほどには軽い。
だが、確実に体力を削りに来ている。
微量回復だけでは追いつかないほどには。
インプの数を活かしたヒット&アウェイ。
止まった瞬間を、狙ってくる。
「ユイ、消えろ」
ツダの声。
返事は、ない。
——代わりに。
音が、一つ減った。
それまで感じていた足音や衣擦れ、ユイの呼吸。
ユイの存在が、森から抜け落ちる。
「いい腕だ」
ツダは、前に出た。
一歩。
ヤヒロの半身、後ろ。
守りの死角を、潰す位置。
「無理すんなよ。盾役は交代しねえ」
軽い口調。
だが、槌は構えられている。
次の瞬間。
下。
地面を蹴って、インプが跳ねる。
ツダの槌が、横から入った。
ゴンッ。
叩き潰すのではない。
弾く。
空中で、インプの軌道が狂い、
木の幹に叩きつけられる。
「ほらな。出てきた」
続けて、背後。
ツダが振り返りもせず、柄で受ける。
キン、と軽い金属音。
「ちっ、素早え」
だが、逃がさない。
槌が地面を叩く。
ドンッ。
低い衝撃。
落ち葉が舞い、
潜んでいたインプが、姿を現す。
その瞬間。
——矢。
空中で止まり、
一拍遅れて、飛ぶ。
喉にドスッという鈍い音。
インプが、悲鳴もなく倒れた。
ユイは、見えない。
だが、確実にそこにいる。
「……援護、完璧だ」
ツダが、感心したように言う。
「ヤヒロ、今だ。前詰めろ」
ヤヒロは、歯を食いしばる。
盾を前に。一歩。
ヤヒロは逃がさないつもりで、周囲に気を配りながら歩を進める。
その間にも、ユイの弓が1体1体を確実に削っていく。
インプの群れは、
初めて、後退を始めた。
だがそれは、撤退ではなかった。
——誘導だ。
森の奥、
さらに視界の悪い場所へ。
「チッ……」
ツダが舌打ちする。
「まだ、終わらせる気ねえな」
インプたちは、笑っていた。




