1章19節
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しっかりと休息を取ったはずなのに、
ヤヒロは、どうにも落ち着かなかった。
身体は回復している。
呼吸も整っている。
盾の重みも、いつも通りだ。
それなのに――
空間が、妙に静かすぎる。
音が、吸われている。
足を動かしても反響がない。
声を出しても、すぐに消える。
「……ここ」
ヤヒロが呟くと、
ユイが、わずかに頷いた。
「……通路の形。変」
言われて、初めて気づく。
この地点を中心に、
通路が一本、異様に太く伸びている。
そして、その先。
暗闇の向こうに、
ぼんやりとした光が見えた。
宝箱。
はっきりと分かる位置に、
まるで“見せつけるように”置かれている。
「……露骨だな」
「……うん」
ユイは、視線を宝箱から外さない。
だが、
一歩も前に出ない。
「……あれ、引き金」
「ボス前、か」
言葉にすると、空気が張りつめる。
ダンジョンには、もうひとつ厄介な性質がある。
一定条件を満たした区画で、
ごく低い確率で――
ボス部屋が生成されるという点だ。
それは階層や侵入回数とは無関係に、
完全なランダムで現れる。
事前に予兆はない。
地図にも載らない。
だからこそ、偶然辿り着いた冒険者は、
運がいいのか、悪いのか、判断を迫られる。
だが、ひとつだけ確かな利点があった。
ボス部屋でボスモンスターを討伐した場合、
必ずその場に帰還用ポータルが出現する。
それは例外なく、
罠も、待ち伏せも存在しない。
ボスを倒した者だけに与えられる、
唯一の“安全な出口”。
だから冒険者たちは、
この手の部屋に引き寄せられる。
リスクは高い。
だが見返りも、確実だ。
――もっとも。
今、ヤヒロとユイが立っているこの場所も、
まさにその「当たり」を引いてしまっただけに過ぎない。
宝箱の配置。
異様な静けさ。
広すぎる空間。
すべてが、
「ここで引き返すか、倒して帰るか」を迫っていた。
ヤヒロは盾を構え直す。
「終わらせれば、帰れる」
ユイは短く頷いた。
「……安全に」
「行けるか?」
「……休んだ」
それだけで、十分だった。
二人は立ち上がる。
ヤヒロは盾を前に構え、
ユイは、いつの間にか距離を取っていた。
そして、
通路を抜けた瞬間――
空間が、跳ね上がる。
天井が高い。
円形の大部屋。
中央に宝箱。
そして、
その手前に立つ影。
オーク。
ゴブリンとは比べものにならない体躯。
分厚い皮膚、筋肉の塊のような腕。
鈍器を握りしめ、こちらを見据えている。
「……来た」
オークが、吼えた。
重い足音。
ヤヒロは、前に出る。
盾で受ける。
衝撃。
だが、踏みとどまれる。
強化された盾が、
これまでにない強い打撃を受け流す。
その瞬間――
背後から、
空気を裂く音がした。
「……?」
しかし、何も起こらない。
再びオークの攻撃。
その体躯を活かした、右手の大振りだ。
ヤヒロは、これも左へ受け流しきる。
それと同時に、腕を切り裂きにかかるが、盾の縁がオークの皮膚を滑る。
その時、ヤヒロの横を、何かが通り過ぎた。
次の瞬間、
オークの肩が、弾けた。
血が、噴き出す。
「……は?」
振り返る。
ユイが、弓を構えていた。
半透明の弓身が、わずかに歪む。
弦を引いた瞬間、そこに――矢が現れた。
弦が離された。
だが。
――飛ばない。
矢は、
放たれた位置で、そのまま空中に“留まった”。
オークの目が、矢を見る。
一瞬の困惑。
次いで、嘲るような咆哮。
「グォォッ!」
止まった矢など、脅威ではない。
そう判断したのだろう。
オークは棍棒を振り上げ、
前に踏み込む。
その瞬間だった。
空中に静止していた矢が、
微かに震えた。
――遅れて、
飛ぶ。
音が変わる。
それまで無音だった空間が、
一気に引き裂かれる。
矢は、
直線ではなかった。
オークの踏み込みに合わせ、
“待っていた”かのようなタイミングで、
軌道を修正しながら加速する。
「グォ――」
避けようとした膝。
だが、
矢はもう、そこに向かっていた。
ズン。
膝が砕ける。
オークが前のめりに崩れた、その頭上に――
三射目の矢が、すでに浮かんでいた。
いつ撃たれた?
分からない。
矢は、
オークの視界の中で、
じっと、狙いを定めるように留まっている。
「……逃がさない」
言葉が終わる前に。
三本目が、飛んだ。
今度は、胸。
回避行動に入った瞬間を、
正確に見計らって。
曲がり、追う。
狙った獲物を逃がさない。
貫通。
オークの動きが止まる。
四射目。
最後の矢は、
眉間の前で――
ほんの一呼吸、静止した。
まるで、
「終わりだ」と告げるように。
次の瞬間。
矢は、一直線に加速し、
オークの眉間を穿った。
ドサリ。
巨体が倒れる。
矢は、
命を奪い終えたあと――
霧散するように消えた。
地面には、何も残らない。
弓を下ろしたユイが、淡々と言う。
「……すぐには、飛ばない」
ヤヒロが、喉を鳴らす。
「じゃあ、あれは」
「……当たる瞬間を、待ってる」
理解した瞬間、
背筋が凍った。
(必中、じゃない……)
(当たるまで、そこにあるんだ)
避けても、防いでも、無意味。
相手が動くほど、
矢は最適解を選ぶ。
――これが、政府管理指定武装。
――微睡の弓。
――現存する、唯一の遠距離武器
隠される理由が、
嫌というほど分かった。
そしてこの弓は、この女が持っているはずのない存在だ。




