(5) 伯爵夫人は流行らせたい
今回は伯爵夫人のお話。
ソフィー・ド・ヴァロア伯爵夫人は使命感に燃えていた。この魅力を多くの人に伝えなくてはならない。
カミーユを一目見た時から、伯爵夫人は今の王国を変えてしまう何かを感じていた。
伯爵夫人はかつて、皇太后と王妃の席を争ったことがある。アデライードが選ばれたことに対して何も思わなかったわけではない。しかし、彼女が新しい流行を見つけ、広めていく手腕には今でも勝てないと思っている。見つけ出すのが本当に上手いのだ。
そんな彼女が突然自分に王宮に来るようにという。訝しみながらも王宮を訪れ、カミーユを見た時の衝撃は今でも忘れられない。
「どう思う?」
「革命が起こりますわ。」
嬉しそうな皇太后の問いに、カミーユから目を離せないまま、伯爵夫人は答えた。
女性が髪を短くするなど、修道女でなければありえない。伝統を重んじる人たちや男性からは眉を顰められるだろう。しかし、それを超えるだけの魅力がそこにはあった。
残念ながら本人はそのことに気づいていないようだが。
問題は、皇太后も自分も、流行を発信する立場から長いこと離れていたことだ。
「私にはもう革命が起こせそうにない。代わりに頼む。」
王宮からカミーユが離れてしまったことで、その仕事を頼まれた伯爵夫人は精力的に動き出した。
王族主催以外は遠慮していた舞踏会にも顔を出した。夫はすでに亡くなっているので息子の一人にパートナーを頼んだ。
会場に着くと息子から離れ、知り合いの所へ行く。
「まあ、お久しぶりでございます。何かお変わりでも?」
しばらく社交界から離れていた伯爵夫人と知り合いの夫人達は談笑の輪の中に誘った。話題はやはり王太子の件だ。
「お聞きになりまして?王太子殿下が婚約破棄されたとか。」
「ええ。」
夫人達は大きく頷く。
「ご執心の方がいらしたそうですわよ。」
「まあ。婚約者もおりましたのにねえ。」
「でも、あの婚約者はちょっと……ねえ?」
背中を丸め、小さな声でしか話さないカミーユは、あまりよく思われてはいなかった。むしろ将来の王妃としてどうなのかと心配されていたのだ。宰相の手前、誰も言わなかっただけだ。
そこで伯爵夫人は更に声をひそめる。
「侍女たちの話では、婚約者のカミーユ様が大層変わられたとか。」
「その話は聞きましたわ。」
「髪を切ったとも伺いましたけどねえ。」
不快そうに眉をひそめる夫人を、伯爵夫人は招待リストから心の中で外した。逆に、
「伯爵夫人はカミーユ様と懇意でいらっしゃいますの?」
と聞いてくる人には、カミーユを招いた演奏会を考えていることを話した。どちらかといえば、年若い女性が興味を持っているようだ。
こうして、伯爵夫人は演奏会の参加者を少しずつ増やしていった。王宮の侍女達が揃って休みを取ろうとしていたことが判明した時には思わず笑い出したくなった。
カミーユとも連絡をとり、自分のサロンで歌ってもらえるようにお願いをした。打ち合わせと称して家に通ってもらい、その間に侍女の彼女への耐久力を上げる。微笑まれただけでお茶をこぼされては困るのだ。
歌の練習として楽団にも来てもらった。最初は演奏どころではなかったが、そこはプロだ。「美しすぎて見えないふり」、というスキルを身につけたらしい。
ついでに絵師と服のデザイナーにも彼女を引き合わせた。
「何枚でも絵が描けそうです!」
「私も、新しい服のイメージが溢れてきますわ!」
嬉々として紙を次々と消費していく二人に、伯爵夫人は自分の目が間違っていなかったことを確信した。
「私が本当に歌ってよろしいのでしょうか。」
当日になっても不安げだったのはカミーユだ。胸元にレースをあしらった白いシャツの上からは、体に沿った黒のベスト。
黒のトラウザーズもゆったりはせず、どこまでも細身だ。
この様子も絵師に描かせようと心で決めながら、伯爵夫人は笑顔を見せる。
「皆様、貴方に会いたくて集まってくださったのですよ。そうそう、少し病気が流行っているようで、侍女達のように少し様子がおかしくなる方もおりますけれども、心配はいりませんわ。」
失神した場合の別室も準備をした。そのために侍女も数を増やしている。なんとしても今日の演奏会に出たいとむしろ侍女達が燃えていた。
「そうですか。感謝をしないといけませんね。」
「ええ。では私は先に行っておりますわね。」
伯爵夫人がピアノの用意してあるサロンに着くと、すでに部屋は満席だった。上気した顔で近くの女性と話している。視線はカミーユの絵姿に釘付けだ。
「皆様。お集まりいただき、ありがとうございます。」
伯爵夫人の声に、会場が静まる。隠しきれない興奮が集まっている人々の目にあることを確認し、伯爵夫人は大きく頷く。
「私たちは、本日新しい時代を目にすることになるでしょう。その証人になってくださいませ。」
伯爵夫人の手がさっと上にあげられると、準備をしていた楽団が演奏を始める。それを合図として、階段の上からカミーユが姿を現した。
「なんと、美しい……。」
「素敵だわ。」
思わず息を呑む女性達に、感謝のつもりなのだろう。カミーユが笑顔を向ける。
「はうっ」
見事にくらった女性の体がくたりと崩れ落ちる。すかさず侍女が別室へと連れていくのを見て、他の女性たちは失神するとどうなるかを悟ったらしい。
「大丈夫ですわ。まだ、大丈夫ですわ。」
必死で失神しないように隣の女性の手をぎゅっと握る人。扇子で顔を隠し、自分の心が平静になるまで待つ人が相次いだ。
「皆様、大丈夫でしょうか?」
心配になったのだろう。カミーユが声をかける。女性としては低い声だが、心地よいほどの美声に、さらに震える女性が増える。このまま歌っては残れる人が少なくなるに違いない。
「大丈夫ですわ。一度お茶にいたしましょう。」
伯爵夫人が視線を向けると、侍女達がお茶を注いで回る。心を静める効能があるという薬草茶である。楽団も静かな曲を奏でてくれている。カミーユは伯爵夫人と共にお茶を飲んだ。侍女たちはキリッとした顔で働いている。いつかの粗相が嘘のようだ。
落ち着いた頃合を見計らって、カミーユが楽団の近くへと進んだ。
「皆様、本日は集まっていただき、ありがとうございます。こんな私を受け入れて貰えたことに感謝を申し上げます。お礼の気持ちを込めて、一曲歌わせていただきます。」
楽団が奏で始めたのは、恋に破れ、打ちひしがれながらも立ち上がる、最近流行りの恋歌だ。扇子を握りしめながらも耐えている参加者達に、伯爵夫人は拍手を送りたい気分になった。
カミーユの歌は一曲だけ。それを歌ったカミーユは、一旦下がる。
その途端、観客達が一斉に伯爵夫人に群がった。
「伯爵夫人。次はいつですの?できれば私の友人も誘いたいのです。」
「絵姿がわたしも欲しくなってしまいましたわ……。どうすれば手に入れることができますの?」
この時、伯爵夫人は新しい流行のリーダーとしての地位を獲得した。
彼女達は知らない。最後にカミーユが今日のお礼に、はにかんだ笑顔とともに、サロンの入口で待っていることを。
侍女たちは歌を聞くためにいつもより気合を入れて働いてます。
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