(4)カミーユはまだ気づかない
主人公、カミーユの出番です。
王宮追放から少し経った頃のお話。
カミーユは短く切った髪をどうしようか悩んでいた。そもそも王宮から出るために切っただけであって、男になりたいと思ったわけではなかった。幼い頃、王妃教育が始まり、外を駆け回る兄の姿を見て羨ましいと思ったことはあったが、その程度である。
ただ、毎日の服装が乗馬服になり、締め付けられるコルセットから解放されたのは、ありがたかった。皇太后からは今までの詫びだと乗馬服を模した服が何着も贈られている。伯爵夫人からも婚約破棄祝いだと、同じように服をいただいた。王宮にはもう二度と行かないと思っているが、伯爵夫人には近いうちにお礼をしなければならない。サロンで歌ってはくれないかとの誘いもそのままだ。カミーユは伯爵夫人に手紙を認めることにした。
「まあ、カミーユ様。お招きに応じてくださり、大変嬉しく思いますわ。」
皇太后と同年代とは思えない若さを保った伯爵夫人は、今日も変わらず美しかった。カミーユは伯爵夫人に贈られた乗馬服を見ていただきたいと、本日のお茶会に訪れたのだ。カミーユは胸に手を当てて深く一礼する。
「伯爵夫人。本日はお招きありがとうございます。贈っていただいた服はとても素敵で、身につけていると気持ちが晴れやかになります。似合いますでしょうか。」
伯爵夫人は一歩下がってカミーユの全身を眺め、満足そうに大きく頷いた。
「ええ。息を飲むほど、よくお似合いですわ。ドレスの時は、いつも背中を伸ばすことさえ厭っておられましたでしょう?胸を張って堂々となさっている今の方が、カミーユ様の持つ輝きが自然に表れていますわ。」
カミーユは少し照れくさそうに口元を緩めた。
「気がつかれてましたか。王太子よりも低く見せようと、つい背中を縮こませておりましたので。」
背の高いカミーユは、王太子を立てるために高いヒールも履けず、常に猫背気味だった。その様子を見て、周りがヒソヒソと言っているのも知ってはいた。
伯爵夫人はカミーユを優雅な仕草でソファに誘う。
「獅子に猫のように家で過ごせと言っても無駄なこと。人には皆、似合う場所、輝ける場所があるのですわ。さあ、こちらへ。」
カミーユに誘われて腰をかける。今日は他の客はいないようだ。ただ、やたらと侍女の数が多かった。カミーユが侍女たちに視線を送ると、侍女たちは一斉に顔を赤らめる。
「どなたか後からいらっしゃるのですか?」
カミーユの質問に、伯爵夫人はやれやれと言ったように持っていた扇子をパチンと閉じた。
「侍女長。」
「かしこまりました。」
並んでいた侍女たちから、特に顔が青ざめている数名だけ、侍女長はどこかへ連れて行ってしまった。それを見た他の侍女は顔を引き締め、姿勢を正している。なぜか視線だけは空中を彷徨っていた。
「申し訳ありません。まだ目の保養に慣れていない者が多いようで。」
「目の保養……?風邪か何か流行っているのでしょうか。うちの侍女も、顔を赤くしたり、ふらふらとしている者が多くて心配していたところなのです。」
ちょうど紅茶を淹れようと近づいてきた侍女に、カミーユは同意を求めるように微笑みかけた。侍女は震える手を押さえながら、なんとかお茶を淹れ終わると、一目散に下がって行った。
「そうですわね。耐性をつけるのに、時間がかかりそう、ということなのです。」
やはり病気の類なのだろうか。無理はさせないように執事に言っておこう。カミーユはまだ男装した自分の魅力に全く気づいていなかった。その間に、話題は王宮へと移った。
「王太子は王弟殿下のところへ行くそうですわ。王太子教育のやり直しとかで。」
「そんな大事になるとは思っていなかったのです。」カミーユは紅茶の入ったカップを見つめて項垂れた。
自分が身を引けばいいと思っていたのだが、事態はそう単純ではなかった。宰相の娘である自分には政治的な価値があり、その婚約破棄は国内の勢力図にも影響を及ぼしたのだ。そのことを領地経営を学びながら思い知ったばかりだ。
「あのまま、心の伴わない結婚を強行し、王妃になられていたら、国を滅ぼしかねなかったでしょう。それに、自信なく背中を丸めた王妃など、誰も求めてはいないのです。」
伯爵夫人は厳しいことを言いながらも、王宮を出たことを責めない。カミーユは、伯爵夫人の温かい眼差しにほっとした。
「ただ、王妃教育を無駄にしてしまいました。それをどう償えばいいのか。」
カミーユに教育を施すため、さまざまな分野の専門家が王宮を訪れてくれていた。その知識がただの損失になってしまうことに、カミーユは胸を痛めていた。
「そんなものは慰謝料がわりにもらったと思えば良いのです。そもそも、王宮から支給されたものは、持ち出さなかったのでしょう?」
「ええ。私にはもう不要だと思いましたので。」
ついでに言うなら、王太子からもらったものも全て置いてきた。
伯爵夫人は持っていた扇子で口元を隠す。
「王太子の婚約者はしばらく不在となるでしょう。いざとなれば、王弟殿下には奥様がいらっしゃいますから大丈夫ですわ。」
「は、伯爵夫人。それは不敬には当たらないのですか?」
さりげなく王弟殿下の王位継承を口に出す伯爵夫人に、カミーユはぎょっとした。
「事実を述べただけですわ。そんなことよりも、カミーユ様にはやるべきことがございます。」
「やるべきこと?」
カミーユが首を傾げていると、先程とは違う侍女が新しい紅茶を用意するため近づいてきた。カミーユが心配して見守っていると、侍女は手が震えすぎて、紅茶をカップから零してしまった。
「も、申し訳ございません!」
さっと侍女長が、零れた紅茶と謝る侍女を連れて下がって行った。
伯爵夫人がパチンと扇子を閉じる。
「カミーユ様は失礼ながら、自分が周りからどう見られていると思っていらっしゃいますの?」
「王妃の座から逃げ出した、気のふれた女だと噂されているのでしょう。髪を短くしている女など子供だけですから。かと言って元に戻したとしても、結婚も出来ないでしょう。」
自嘲気味にいうと、やれやれというように伯爵夫人はため息をつく。
「まあ、一部の方たちはそのように話されているのは事実ですわ。」
伯爵夫人は言葉を切り、気持ちを落ち着かせるように、香りの強い紅茶を一口、口に運んだ。
「しかし、それだけではないのです。婚約者に、夫に、軽んじられている女は、この社交界に山ほどおります。彼女たちにとって、今回の婚約破棄とカミーユ様の行動は、胸のすく思いになったのですわ。」
「そんなことに……。」カミーユは目を見張る。
「そこで、カミーユ様には、そういった女性たちの力になっていただきたいのです。私がお手伝いをさせていただきますわ。まずは、ちょっとした音楽会を開きたいと思っておりますの。」
貴族が自分の家に演奏家を招き、音楽会を開くことはよくあることだ。
「ピアノと一緒に、カミーユ様には歌っていただきたいのです。」
「私の歌など、大したものでは。」
カミーユは恐る恐る言う。王太子に言われた、「お前は歌うな」という言葉が、まだ呪いのように染み付いているのだ。
「いいえ、いいえ!重要なのは歌の技量ではありません。皆さんの前で、堂々としたお姿で歌うことです。酷い目に遭わされても、カミーユ様のように自分で生きる道を探し、胸を張って立っていられるのだと、きっと皆様に勇気をいただけると思うのです。」
カミーユは伯爵夫人の真剣な目に射抜かれ、しばらく考えた。確かに、ただ知識を無駄にしたと嘆くよりも、その経験を生かして誰かの力になる方が、よほど価値がある。
「なるほど。私が皆さんの前で、貴族令嬢としてではなく、一人の人間として堂々と歌うことが重要なのですね。お引き受けしましょう。喜んで。」
伯爵夫人は歓喜を隠すように、ドレスの裾に隠して小さくガッツポーズをした。カミーユはそれに気づかなかった。
カミーユがまたの訪れを約束して帰った後、伯爵夫人は侍女長を呼んだ。
「使えそうなのは?」
「申し訳ありません。カミーユ様の美貌に耐えられたのは、数名しかおりません。」
侍女長は深々と頭を下げる。
「仕方ないわね。こればかりは慣れてもらうしかないわ。打ち合わせでカミーユ様に来ていただいて、その間に使える侍女を増やしましょう。演奏会はそれが準備できてからになるわね。」
伯爵夫人は、優雅なティーカップを弄びながらも、その目には既に計画を遂行する鋭い光を宿していた。
侍女長は深々と頭を下げる。その目に喜びと期待が宿っていることは、侍女長だけの秘密である。
今度こそコメディだったはず!
そして伯爵夫人、暗躍してます。
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