(2)皇太后は諦めが悪い
短編として出した「カミーユは髪を切ることにした」にものすごく反響をいただきましたので、
感謝の気持ちを込めて連載化します。おそらく色々な視点で話が進んでいきます。
最初はなんと、皇太后です。
皇太后アデライード・ド・アルクールは一枚の絵姿を前に悄然としていた。齢六十。夫には十五年ほど前に先立たれ、もう楽しいことなどないだろうと思っていたところに、カミーユの美しく変化した姿を見て、心を奪われたのだ。
女になりきっていない色気と、少年のような気高さ。それを併せ持つ者に初めて出会った。
それまでは孫息子に似合わぬ女だと疎ましく思っていたことをひどく後悔するほどに。
孫息子のサインしてしまった契約書は、そうそう反故にはできない。王家がすぐに契約を破棄すると分かれば、威信に関わる。しかし、貴族の議会にかけようにも宰相はカミーユの父親である。契約破棄に賛成してくれることはないだろう。王家の求心力は落ちているのだ。
カミーユはもう王宮には来ない。それは皇太后にも分かっていることだった。
それでも皇太后は諦めきれなかった。無理を承知で王宮の離れで行われるお茶会に誘ってみたが、すげなく断られた。友人の伯爵夫人のところで、カミーユの歌を聞く会が行われ、多くの者が押し掛けたと聞いた時には、悔しさのあまり、友人からの手紙を破り捨ててしまったほどだ。
皇太后の手元にあるのは、カミーユが王宮にいた時に描いてもらった絵姿一枚のみ。額に入れ、居間に飾ってあるが、手元に取って近くで見たいという思いが膨れ上がってしまう。
「できるものなら寝室にも飾りたいものだわ。」
カミーユの絵姿を見ながら皇太后は呟く。お茶を飲もうと伸ばした手がふと止まる。テーブルには刺繍の入ったテーブルクロスがかけられていた。布であればどこへでも運べる。それこそ寝室にでも。
「この絵姿を刺繍して私の元へ持って参れ。大きさは問わない。上手なものは買い取ろう。」
信頼できる侍女達を集めて言った皇太后の言葉に、ざわめきが走る。一人がおずおずと手を挙げた。
「ここで刺繍をさせていただいてもよろしいでしょうか。もちろん皇太后様のいらっしゃらない時間だけで構いません。」
「侍女長の許可を貰えば構わない。」
絵姿を持って行かれても困るのだ。それくらいならば、と皇太后は頷いた。
それから毎日、侍女達は皇太后の部屋で刺繍を始めた。皇太后としてすべき責務があるため、部屋を離れることも多い。そのスケジュールを知る侍女長が、うまく取り計らってくれた。寝室にいるときに刺繍をしている侍女達の会話にもこっそり耳を傾ける。
「本当にお美しい姿ですわ。」
「廊下を闊歩するお姿の凛々しかったこと……。刺繍にしたいと仰る皇太后様の気持ちもわかりますわ。」
囁くようになされる会話を聞くのも皇太后にとっては理解者を見つけたようで嬉しかった。
やがて、出来上がった刺繍が届けられるようになった。何よりも嬉しかったのは、等身大の刺繍である。ベッドカバーとして使うと、寝たままでも愛でられて素晴らしい。
良いものが手に入れば自慢したくなるというもの。皇太后は友人の伯爵夫人を王宮に呼び出した。
「このようなものを作ってもらったのだ。なかなかのものであろう?」
等身大のカミーユの刺繍を見て、伯爵夫人も大きく頷く。
「素晴らしいですわ。刺繍はアデライード様のご発案でいらしたのですね。」
「発案とは?」
皇太后は首を傾げた。
「今、町中ではカミーユ様の刺繍を入れた小物が流行りなのですわ。自分も凛々しくありたいと憧れているものも多いとか。本人は全く分かっていらっしゃらないようですけれど。」
おそらく侍女達が練習で作ったものが周りの目に止まったのだろう。それを怒る気にはなれなかった。
「あの魅力がわかる者が増えるのはいい事だ。ただ、元の絵が一枚しかないゆえ、少し寂しくての。」
カミーユと親交のある伯爵夫人なら、と少し期待しながら話を持ちかけた。
「そう仰ると思ってお持ちいたしましたわ。」
伯爵夫人は何枚かの絵を取り出す。歌う姿、少し背を屈め、こちらを見つめる姿、お茶を飲む姿……それぞれに衣装も変わっていて素晴らしい。
「どれも1枚しかございませんので、全て差し上げるとは申せませんが……。」
皇太后はうっとりとそれらの絵を眺める。
「こんな宝物を貰ってしまっては申し訳ない。絵を簡単に複製する方法があれば良いのだが……。」
伯爵夫人はその通りだというように大きくうなずく。
「そうですわねえ。この国ではそのような技術を聞いたことはございませんが、他国では、不思議な技術で同じ文書を複数作れるところがあると聞いたことがございますわ。」
「それはまことか?」
文書を複製できるのであれば、絵もできるのではないか。
そう思った皇太后は精力的に行動し始めた。腐っても皇太后である。外国にはたくさんの伝手があった。あちこちの国とやりとりをしているうちに、東国の方で木に絵を彫ることで何枚も同じ絵を作る技術があることが分かった。
「技術を学んでまいれ。そしてこの国でその技術を根付かせるのだ。良いな。」
皇太后の私費を投じ、腕の良い木工職人が呼ばれた。彼らははるか東の国へと技術の習得を目的とした留学生として旅立って行った。
それから五年。
皇太后は死の床についていた。友人である伯爵夫人も王都を離れて久しい。
「まだ、戻っては来ないかの。」
気になるのは、東国へと旅立たせた職人達のことだ。
「もうしばらくすれば戻って参りましょう。まずは皇太后様の体力を戻すのが先でございます。一日も長くご存命であられますよう。」
侍女はそう言ってくれるが、誰も見舞いに来ない孤独感が、皇太后を日に日にやつれさせていった。
「皇太后様!やり遂げて参りました!」
職人達が戻ってきたちょうどその日、別れの鐘が王国に鳴り響いていた。
彼女の棺には、刷られたばかりの色鮮やかな絵が何枚も何枚も入れられたという。そのモデルは全て同じ人物であった。
読んでくださり、ありがとうございます。
「続きが気になる」「面白い」「早く読みたい」など思われましたら、下記にあるブックマーク登録・レビュー・評価(広告の下にある☆☆☆☆☆→★★★★★)、リアクションなどしていただけると嬉しいです。




