第26話「フェイク」
リビングの中央。
あまゆりがソファの上に正座していた。
瞳を大きく見開き、縋るようにココロへ問いかける。
「ねぇ……ココちゃん……」
「どうしたらいい?
しどぉ捕まっちゃうの?
あま、何もできないの……?」
ココロは微笑みながらゆっくりと首を振る。
あまゆりの不安そうな声にすぐ答えなかった。
代わりに、そっと人差し指を立てる。
唇の前で──静かに。
「……」
あまゆりはその仕草を見て言葉を飲み込んだ。
ココロは視線だけで二人を促す。
そして、ゆっくりとあまゆりとユユの後ろ側へ回り込んだ。
ココロは自分の首元へ指をかけると、うなじの下に淡い光が灯る。
そこからするりと一本の細いケーブルを引き延ばした。
白金色の光を帯びたコード。
戸惑うあまゆりの首元のうなじへココロは手を回す。
「ひゃっ……!?」
びくっと震えるあまゆり。
彼女の首元にある小さなインターフェースポートにケーブルを差し込んだ。
カチ、と軽い接続音。
続いて、ユユの胴体側面の装甲をわずかにスライドさせ、収納されたケーブルを引き延ばす。
ココロは、自分の首元のポートへと接続する。
ココロの瞳が一瞬、金色に輝く。
静かに目を閉じた次の瞬間──視界が反転した。
現実の音が完全に切れた瞬間、三人の鼓動だけがやけに大きく感じる。
そこは床も壁も天井もない。
代わりに広がるのは柔らかな光に満ちた空間。
白と金の粒子が静かに漂っている。
そこに三つの影が形を結んだ。
あまゆり。
ユユ。
そしてココロ。
それぞれが現実の自分を模したアバターとして立っている。
「……あれ?」
あまゆりがきょろきょろと周囲を見回す。
「ココちゃん、ここは……?」
あまゆりの声がわずかに反響する。
ココロは二人を見てようやく口を開いた。
「今この瞬間も、誰かが現実の部屋を見ている可能性がありますわ」
あまゆりの表情が固まる。
「……え?」
「無線通信。室内音声。視覚入力……
どれも盗聴されている前提で動くべきです」
ココロは足元に広がる光の層を見下ろした。
「……ここは電脳空間でアリマスか……?」
ユユが尋ねる。
ココロは少しだけ誇らしげに微笑んだ。
「わたくしの祈因層。完全クローズドの思念領域ですわ。
外部からの観測、侵入、干渉――すべて遮断されています」
あまゆりはぐるっとまわりを見渡す。
「……つまり、ここでなら会話が聞かれないってこと?」
「ええ」
ココロは静かに頷く。
光の粒子がわずかに強く瞬いた。
三人のアバターがその中心へと寄っていく。
「さあ、作戦会議を始めますわ♪」
あまゆりは一息つくと、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にする。
「……ねぇ、ココちゃん……あれってどういう意味?」
あまゆりは不安そうに指を握りしめた。
「“フェイク”って……しどぉが犯人ってニュースはウソだったの……?」
ココロはにこっと微笑み、人差し指をぴんと立てた。
空間の中央に複数のウィンドウが展開される。
ニュースサイト。
SNSのタイムライン。
動画配信プラットフォーム。
それぞれがリアルタイム検索状態で並び、
〈折籠紫藤〉の名前が次々と走査されていく。
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「……え!?」
あまゆりが思わず前に出る。
「どこにも……ない……」
検索範囲が広がる。
主要局。地方局。海外メディア。
結果は、変わらない。
「……ない。ほんとにない!」
あまゆりの声が震えた。
「ニュースになってるなら……
どこかには残ってるはずなのに……!」
ユユのアバターがすーっとココロの前に浮遊する。
「ココロ殿……この空間は完全クローズド領域でアリマス……
その情報はいつどうやって知ったのでアリマスか?」
ココロがふふっと目を細めて微笑む。
「ちょうどあまゆりちゃんを抱きしめた時ですわね」
中央空間に三十分前の出来事が再生される。
紫藤が警察車両に載せられ連行されていく。
追いかけようとするあまゆりを、ココロが抱き止める。
「ここですわ」
あまゆりのバンド型クロアにココロが指先のセンサーでリンクを繋ぐ。
「検索結果は“該当なし” つまりこれはフェイク」
「そしてあれは、放送ではありませんの。正確に言えば――」
ココロは静かに言葉を選ぶ。
「見せられただけですわ」
「……見せられた?」
あまゆりが首を傾げる。
ココロは自分の側頭部に指を当て、目を閉じた。
「少し……ログを確認しますわね」
次の瞬間、彼女の前に半透明のホログラムが浮かび上がった。
テレビの通信履歴。
更新ログ。
接続先IP。
「……なるほど」
指先を滑らせると映像データの構造が拡大される。
「レイヤーが三重。顔だけ差し替え。影処理が甘い……
スタジオとアナウンサーは……生成のようね。
それに声当てさせたら完成。
これを本物の報道に見せるには――少々お粗末ですわ」
「すご……」
ユユが小さく呟く。
「フェイク映像を見せられた手法が不明でアリマス……」
「そうですわね……」
ココロは少しだけ目を細め、指先で別のログを引き寄せる。
ホログラムに家庭内ネットワーク構成図が浮かぶ。
「ルーター、テレビ、家電制御AI……すべて正常に見えますが──」
拡大。
「この部分。DNSキャッシュが一瞬だけ書き換えられています」
「……で、でぃー……?」
「要するに」
ココロは噛み砕いて説明する。
「ニュース配信元の住所を一時的に“偽物”へすり替えた、ということですわ」
「住所……?」
「フェイク映像を偽サーバに置く――」
指を弾く。
「テレビの更新通信が走った瞬間、そこへ接続させた」
あまゆりが目を見開く。
「一般的な普通のテレビは、起動時に必ず“最新ニュースUI”を取得します」
ウィンドウには《システム更新チェック》の文字。
「そこを狙い――」
「“緊急速報”だけを上書きしたのでしょう」
「……そんな……」
ユユが小さく呟く。
「本物の放送じゃなく……アップデート画面を偽装した……ということでアリマスか?」
「正解ですわ」
ココロは満足そうに微笑む。
「見た目は生放送。中身はただの更新データ。
だからどの局にも記録が残らなかった」
あまゆりが唇を噛む。
「しどぉは無実だっておまわりさんに言いにいこ!」
「そうですわね。ただ……気になる点がありますの……」
ココロはログの一点を拡大した。
「送信元。存在しない放送局のIPアドレス……そして配信時刻は──
あまゆりちゃんとわたくしがここでテレビをつけたその瞬間」
指先で時刻ログを並べる。
【テレビ起動:16:41:03.000】
【偽更新応答:16:41:03.000】
「見事に完全一致ですわ」
「ホントだ……」
「予測では不可能でアリマス」
ココロはログを拡大したまま、ふっと目を細めた。
「更新要求を出してからサーバが応答するまで、通常は必ず往復時間が発生します」
静かな声で続ける。
「ですが今回は違う」
ホログラム上に通信経路が表示される。
その先で赤い光が点滅している。
「……え?」
「向こうは最初から接続待機状態でしたの」
空気がひやりと冷えた。
「つまり――」
金色の瞳がまっすぐ前を射抜く。
「テレビがつく瞬間を予測したのではなく、その瞬間を“見て待っていた”ということですわ」
空気が一瞬凍った。
ココロの言葉にあまゆりが息を呑む。
「ま、待って……!それなら……誰かが家に入って見てたってこと……?」
ココロはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
指先を弾く。
次の瞬間、折籠家の三次元モデルが空間に立ち上がった。
玄関。
窓。
天井裏。
床下。
各所に配置されたセンサー表示。
【開閉履歴:異常なし】
【侵入検知:ゼロ】
【屋内監視:反応なし】
「……すべて正常。物理的な侵入の痕跡は一切ありませんわ」
あまゆりは呆然とセキュリティログを見つめた。
「……じゃあ……どうやって……?」
ホログラムが切り替わる。
家庭内ネットワークのトポロジー図。
ルーターを中心に各端末が光の線で繋がっている。
その中の一点が、赤く脈打っていた。
「DNSキャッシュの改変は、外部からの侵入としては記録されていませんの」
「……?」
「つまりこれは、外から直接書き換えられたのではなく――」
ココロの指が赤いノードを示す。
「ホームネットワーク内部の端末を経由して、DNSキャッシュが改変されたということですわ」
あまゆりの喉が小さく鳴る。
「家の……中の……?」
「ええ。ルーターは正規の内部通信として処理しています」
「だから侵入ログが残っていない」
ユユのアバターがゆっくりと浮かぶ。
「ルーターが書き換えられたでアリマスか?」
「ルーター自体は無傷ですわ。
端末側のDNS解決結果だけが一時的に偽装されていましたの」
「つまり……誰かがこの家のネットワーク端末を踏み台にして……
内部からDNSを書き換えた、ということでアリマスか?」
ココロは静かに頷いた。
「ええ。これは外部ハッキングではなく――」
内部ノードを乗っ取る“寄生型の動作”ですわ」
その時、ユユがぎくりと体を揺らした。
「……ココロ殿」
「はい?」
「この家で……常時ネットに繋がっている存在……」
ユユの視線がゆっくりと自分の胸部へ落ちた。
「……それ、ユユでアリマスか……?」
ココロは静かにユユを見る。
「……ええ」
「え? え?ユユ……?」
ココロは一瞬目を閉じ、思考を走らせる。
「まずは状況を整理して考えてみましょう?」
三人の頭上に三つの光のパネルを浮かび上がらせた。
【条件① 視覚センサー】
三人の前にチェック項目が浮かび上がる。
【ココロ ── 可】
【あまゆり ── 可】
【ユユ ── 可】
「視覚入力を持つ存在。これは三人とも該当しますわ」
まだ誰も除外されない。
ココロの瞳がわずかに揺れた。
次のポップアップが表示される。
【条件② 視覚データを外部へリアルタイム送信】
三人の名前の下に新たな判定が浮かぶ。
【ココロ ── 審議中】
【あまゆり ── 審議中】
【ユユ ── 審議中】
ココロの名前の横に赤い文字が表示され――
《制限あり:折籠紫藤の許可必須》
ココロは小さく息を呑む。
「……ちがう」
声がわずかに震えた。
「わたくしは……紫藤様の許可なしに外部映像送信は不可能ですわ……」
【ココロ ── 不可】
【あまゆり ── 審議中】
【ユユ ── 審議中】
紫藤との契約制限が静かに表示される。
次にあまゆりの名前の横。
《処理優先:ローカル演算/常時送信不可》
「……あまゆりちゃんは、構造上ローカル処理優先型……」
ココロの声がやわらかくなる。
「常時外部へ映像を流し続ける設計ではありません」
あまゆりがきょとんとする。
「え、あま、そんな高性能じゃないよ?」
【ココロ ── 不可】
【あまゆり ── 不可】
【ユユ ── 審議中】
ココロは微笑む。
だがその表情は、どこか必死だった。
【条件③ 外部ネットワークへの常時接続】
三人の名前の下の表示が変化する。
ココロ《通常:閉域回線》
あまゆり《通常:閉域回線》
そして、最後の一つ。
ユユ《常時通信リンク:外部中継回線》
空間が静まり返った。
あまゆりがゆっくりユユを見る。
【ココロ ── 不可】
【あまゆり ── 不可】
【ユユ ── 可】
ココロはすぐに顔を上げた。
「ま、待ってくださいまし!」
パネルが「不可」から「審議中」へ切り替わる。
ココロの言葉が早口になる。
「充電キット接続時は、わたくしたちも外部回線に接続可能です──
可能性は、ゼロではありませんわ」
(ですが……ホームネットワーク内部に感染痕はない……もし外部で感染していたなら……)
そこでココロは推察を止めた。
記憶が繋がる。
“やれ”の合図。
真白暴走。
制御奪取。
ココロの指先がわずかに震えた。
【ココロ ── 除外】
【あまゆり ── 除外】
【ユユ ── 合致】
「……ユユさん」
その声は告発なんかではなく、祈るようにそっと告げた。
「あなたの内部ログを……少し確認させてください」
ユユのアバターが静かに目を閉じる。
「……了解でアリマス」
あまゆりが慌てて言う。
「ちがうよ!ユユが悪いわけじゃないよ!?」
ココロは優しく頷いた。
「ええ。もちろんですわ」
それからまっすぐユユを見る。
「だからこそ……確かめましょう」
光の粒子が三人の周囲でゆっくりと回転を始めた。
ココロは一歩、ユユの前へ出た。
「少し失礼しますわね」
やわらかな声とは裏腹に、その瞳は鋭く澄んでいる。
指先を軽く振ると、ユユのアバターの周囲に幾重もの光のリングが展開された。
内部構造図。
通信ログ。
センサー起動履歴。
無数のデータが光の粒となって高速で流れ始める。
白金の粒子の中に、時折微細な黒い点が混じっていた。
ココロの指の動きが止まる。
「……やはり」
ユユがびくりと肩を震わせる。
「……な、何か見つけたでアリマスか……?」
ココロは視線をログの一角に固定したまま答えた。
「一定間隔で、微小な通信が発生しています」
空間に拡大表示された波形ログ。
規則正しく、しかし極めて小さなパケットの送信。
「視覚データの圧縮信号……音声データの圧縮信号……
外部へ送信されていますわ」
「……え……」
ユユの声がかすれる。
「……ユユが……送っていた……でアリマスか……?」
ココロは即座に首を横に振った。
「いいえ」
その言葉には一切の迷いがなかった。
「あなたの意思ではありません」
さらに古いログを呼び出す。
時間軸がさかのぼる。
「この通信署名……」
データが重ね合わさる。
二つの波形がぴたりと重なる。
「──真白暴走時の制御奪取ログと、完全に一致します」
空気が張りつめる。
ユユの体が目に見えて硬直した。
ココロは静かに告げる。
「制御を奪われたあの瞬間に……
ウイルスを仕込まれた可能性が極めて高いですわ」
それは即時発症型ではない。
普段は深層に潜み、条件が揃った時だけ動作する――
遅発性の潜伏型。
「……ユユは……ずっと……」
言葉が途切れる。
その横にあまゆりがしゃがみ込んだ。
「ユユ……」
小さな手がそっとユユの腕に触れる。
ユユは視線を落としたまま、かすれる声で呟いた。
「ご主人を守るためのユユが……
ご主人を裏切ったでアリマス…」
「違いますわ!」
「ちがうよっ!」
二人の声が同時に響く。
ココロは強く、しかし優しく言い切る。
「あなたは操られていただけ。責任など一切ありませんわ」
ユユは黙ったまま動かない。
やがてゆっくりと顔を上げた。
その目は揺れているが、逃げてはいなかった。
「……ココロ殿──
ユユのウイルスを駆除して欲しいでアリマス」
ココロは即答する。
「ええ。もちろんですわ」
一瞬の沈黙。
ユユが小さく続けた。
「……もし……ユユが壊れたら、ご主人とあま殿を──」
ココロは静かに首を振る。
「壊しません」
しゃがみ込み、真正面からユユの目を見る。
その視線は揺るがない。
「わたくしが守ります」
その言葉は宣言ではなく誓いだった。
ユユはゆっくりと目を閉じる。
覚悟の静かな合図だった。
ココロの周囲には幾何学的なウインドウ群が展開する。
数値、波形、演算負荷、通信ログ。
光のパネルが幾重にも重なり、まるで手術室のモニター群のようだった。
「まず通信だけ止めます」
ココロの声は落ち着いている。
だが瞳の奥は研ぎ澄まされていた。
彼女が指を弾くと、ユユの外部回線に流れていたデータの流れが二重化される。
本物の映像出力は遮断。
代わりに“ダミーの視覚ログ”を敵側へ送信開始。
「あえて平常時の映像を流しますわ。
敵は“まだ異常が起きていない”と誤認するはずです」
電脳空間のユユの視界には、静かなリビングの偽ログが再生され始める。
あまゆりが祈るように両手を握った。
「お願い……ココちゃん……」
ココロは高速で流れる複数のログを解析していく。
視覚ドライバ層の断面が展開される。
無数の光ファイバーのような神経ラインの中に――
黒く濁った塊。
「……ありましたわ」
ココロの声が低くなる。
「ユユさんの視覚ドライバに寄生しています」
ログを拡大。
黒い塊は、神経信号の振幅を真似ながら擬態している。
「単なるプログラムではありません。自己増殖を抑えながら、感覚層に溶け込むタイプ……」
一瞬、ココロは目を細める。
「……がん細胞のような設計ですわね」
「感染部位、隔離。感覚回路とのリンク一時遮断」
ココロの指先に光が集まる。
外科医のメスのように細く鋭い演算刃。
「切り離します」
指先が影に触れた瞬間――
ピリィッ……!!
空間を裂くようなノイズ。
同時に現実のユユの身体が跳ねた。
ギギ……ッ
球体の装甲が微かに軋む。
全身が小刻みに震え、両腕が床を強く押しつける。
爪がフローリングに食い込み、白い跡が刻まれる。
「……っ……」
声には出さない。
だが痛覚信号は確実に走っていた。
「ユユ……!!」
あまゆりが背中に手を当てる。
「だいじょうぶ……!がんばって……!」
黒い塊は逃げる。
神経ラインへ絡みつき、さらに深層へ潜ろうとする。
「……逃がさない」
ココロの声が一段低くなる。
光刃が走る。
ぐっ……!!
塊が引き剥がれる。
ユユの身体が大きく震えた。
ガクッと崩れそうになるところをあまゆりが抱き止める。
「ユユ!!」
「……今です……あと……少し……!」
ココロの額に汗のような光粒が浮かぶ。
最後の根を断ち切る。
ブチッ
黒い塊は霧のように崩れ、粒子化して消えた。
静寂。
だがココロの表情が変わらない。
ログを流し続けている。
「……違いますわ」
別の神経ラインに異常な信号。
「除去したのは“表層部”だけ……」
黒いノイズが別経路へ移動している。
ユユの演算波形が乱れ始める。
言語処理ノードが歪み、出力にノイズが混じる。
「ここ以外にも……寄生していますわ」
ココロの瞳が鋭く光る。
「……深層に本体がいます」
彼女は躊躇なく、さらに深い演算層へ潜っていった。
ココロはさらに深く潜る。
そこはもう回路ではなく、思考そのものが流れている場所だった。
数千億の人工ニューロンが光の糸となり、空間を縫うように飛び交う。
ひとつひとつが記憶。感情。判断。
ユユという存在を構成する“心の織物”。
少しでも傷つければ──
人格の欠落、記憶の崩落。それは死と同義だった。
(またですわ……)
深層領域へ来てからずっと何者かの視線を感じていた。
そしてそれは今も──。
ココロは視線の方へと振り向き声を掛けた。
「……あなた、何者ですの?」
光の粒子の向こうに狐の面をつけた少女が立っていた。
無音。無気配。ただそこに“在る”。
「この反応……ユユさん本来のコードではありませんわね」
ココロの思考が一瞬乱れたその刹那。
前方の神経トンネルへと吸い込まれるように落下した。
(!?……ここは……最深層?)
景色が歪む。
膨大な電気信号が雷のように駆け巡る。
思念の奔流。意識の根。
その奥に存在した黒い塊が禍々しく脈動している。
「ようやく見つけましたわ」
すでに神経回路と融合し、流れる情報を歪ませている。
「ユユさん。堪えてくださいまし!」
ココロの指先から除去コードが生成される。
光の刃となって黒い塊を削る。
だが削るたびに再生してしまう。
侵食は止まらない。
(埒が明きませんわね……)
ココロは気付く。
(……まさか、物理側にも……)
視界を切り替え現実世界のユユをスキャンした。
「視覚センサー基板の補助コントローラに異常発熱…
ソフトだけじゃありませんわね」
(やはり……両側から支配してますのね)
ココロは静かに宣言する。
「仮想側は“白”が。現実側は“黒”が処置します」
──現実側──
黒ココロがユカリを呼ぶ。
「クモ子、工具箱を」
「ち、ちがいますぅ!ユカリですぅ!」
「いいから早く」
ユカリは蜘蛛糸で工具箱を運び込む。
黒ココロはユユの外装を開く。
神経基板の奥、黒い異物。
(見えますの?)
(うん、付着してる)
(焼き切ってくださいまし)
──仮想側──
「今ですわ!」
除去コードが流し込まれると、黒い塊が縮んだ。
「効いてますわ♪」
だが、深層へ伸びた根が残る。
それは記憶領域へ絡みついていた。
過剰なほど暗号鎖で封印された心の核。
「これは感染体とは別系統の封印コード……?」
その瞬間。
地面から黒い糸が突き上がり、ココロの足に絡みついた。
「っ──!?」
仮想と現実を同時に侵す異常信号。
ココロの感覚が奪われ、アバターが崩れると粒子となって消失した。
現実のココロも膝をつく。
「ココちゃん!! いやーーー!!」
あまゆりの悲鳴が響いたその時。
ちりん──
鈴の音が鳴る。
思念の奔流の中に、古い神社の空気のような祈りの残滓が漂っていた。
深層記憶領域に現れたのは狐面の少女だった。




