第25話「捏造」
外の光を完全に遮断した狭い取調室。
時計も植物もない。
置かれているのは、無機質なテーブルと椅子が二脚だけだった。
若いスーツ姿の男が、椅子にもたれながらペンを指先でくるくると回している。
その向かいに座る紫藤は、疲労の色を隠しきれないまま視線を床に落としていた。
「いい加減認めたらどうだ?」
乾いた声が部屋に落ちる。
しばらく沈黙が続いたあと、紫藤は小さく息を吐き、ぽつりと答えた。
「……俺じゃありません」
男は鼻で笑う。
「あのな、こっちはもう証拠が揃ってんだよ」
テーブル中央から淡いレーザー光が射出される。
空中に展開されたのは、ある人物の監視映像だった。
研究所の敷地へ侵入するその姿は、どう見ても紫藤自身にしか見えない。
若い刑事はテーブルのタッチパネルを操作し、映像を一時停止させる。
二本の指で拡大し、顔の輪郭を強調した。
「どうだ? この顔はお前のそっくりさんか?」
さらに画面を切り替え、研究所前に停車していた車両のデータが表示される。
「車の記録も確認した。
起動ログはお前の生体反応と一致してる。
言い逃れは無理だな」
「だから、それは……姉貴を……」
「姉を探してただって?」
刑事は被せるように言葉を切った。
「そんな都合のいい話、信じると思うか?」
「それに──その時は、サイレント・イヴの半年後で……」
「ああ、それも何度も聞いたよ」
ペンの先が空中映像を指す。
表示されていた日時は、2049年12月24日 17時01分。
サイレント・イヴ発生の約一時間前。
「これが“状況証拠”ってやつだ。
もしこれがお前じゃないって言うなら、アリバイを証明してみろ」
刑事は身を乗り出した。
「この時間、お前はどこで何をしていた?」
「……その時は……」
言いかけて紫藤は息を詰まらせる。
「そうだ、俺、その日は大学にいました!
同じクラスのやつに聞いてもらえれば──」
「それも裏は取れてる」
刑事は即座に言い放った。
「学生に聞き込みしたが、その日、お前を見たって証言は一つもなかった」
「なっ……!?」
紫藤は両手を強く握りしめ、そのまま俯く。
爪が掌に食い込む感覚だけが、やけに生々しかった。
(……誰かに……嵌められてる)
取調室の隣にある調査室。
そこでは、老齢の監察官の片平と白衣姿の男、久門が、モニター越しに室内の様子を見つめていた。
「久門君……今日は、もうこの辺にしたらどうだ」
片平が低い声で言う。
「いや、面白くなるのはこれからですよ」
白衣の男――久門は口元にかすかな笑みを浮かべた。
「……ふふ」
久門は手元のマイクを取り上げ、短く指示を送る。
「──やれ」
その瞬間、取調室にいる若い刑事のイヤーピースが青く点滅した。
刑事は小さく息を吐き、それから紫藤へ視線を戻す。
「そういや……」
言葉を選ぶような間のあと、刑事は続けた。
「お前の姉も、逃亡中らしいな」
紫藤が顔を上げるより早く、刑事はにやりと口角を吊り上げた。
「姉弟そろって犯罪者、か。
どんな育て方をすりゃそんな人間になるんだ?」
さらに一歩踏み込む。
「……犯罪者の血は親譲りってやつか?」
次の瞬間。
バンッ!
紫藤の拳がテーブルを叩きつけていた。
「だから違うって言ってんだろ!!」
紫藤の怒声が室内に反響した。
次の瞬間、ディスプレイの映像が一瞬だけ歪み、人物像がフェードアウトしながら消えていく。
「……?」
だが次の瞬間、SYSTEM ERRORの文字を残し、再起動処理が走る。
天井の照明が何かを訴えるように点滅を繰り返す。
調査室でそれを見ていた片平が、久門と視線を交わす。
「……今の、見たか?」
「ええ」
久門は目を細める。
「やはり彼には、“特別な何か”がありますね。
……AIに干渉する、未知の因子が」
モニターに映る紫藤から、久門は目を離さない。
心の奥で静かに呟く。
(あいつを使えば……SIDOも神座も──)
◇
「……ええ、はい。わかりました」
取調室にいる若い刑事――横田が短く通話を終えた。
イヤーピースを外し、紫藤へと視線を戻す。
「お前がテーブルを叩いた衝撃で、システムに不具合が出たらしい──
余計な罪まで背負いたくなけりゃ、大人しくしてろ」
うんざりした口調で横田が告げた。
「とりあえず今日はここまでだ。
今夜はこの留置所に泊まってもらう。
続きは……また明日だ」
取調室の扉が開き、女性の警察官がゆっくりと入室した。
警察官は腰元の端末を操作し、紫藤の手首へと近づく。
電子手錠――
警察用のタグセンサーと連動し、施錠と解除を一元管理する最新式の拘束具だった。
だが、手錠を装着しようとした瞬間。
「……?」
警察官の端末が短く警告音を鳴らす。
画面には、SYSTEM ERRORの文字。
再度、操作。
しかし応答はなく、タグセンサーは紫藤の手首を認識しなかった。
「あれっ?……故障ですかね……」
横田が小さく舌打ちし、旧型の拘束具を使用するよう指示した。
女性警察官が急ぎ足で取りに行き、数分後に戻ってきた。
電子制御を持たない、ステンレス製手錠を持って。
紫藤の両手にそれが掛けられる。
だが、紫藤は抵抗しない。
何も言わずただ静かに指示に従った。
その姿はあきらめているようにも、考えを内側に沈めているようにも見えた。
調査室では、警務課長――片平が険しい表情で久門に詰め寄っていた。
「さっきの現象は、いったい何だったんだ。
……彼が、何かやったのか?」
久門は答えず、取調室の録画データを自分の端末に転送しながら、静かに作業を続ける。
やがて淡々と口を開いた。
「まだ断定はできませんが…… 彼はおそらく“特異体質”です」
「特異……体質?」
「AIの思考に、何らかの干渉を及ぼす存在。
そう考えるのが自然でしょう」
片平は思わず声を荒げた。
「そんなこと……本当に可能なのか?」
久門はわずかに首を傾ける。
「過去に類似した事例はあります」
そして続けた。
「彼の祖母――
折籠陽百合も、AIの思考を変異させたという実験記録が残っていました」
「……!」
「もっとも、その記録はすべて抹消されています。
現在、確認する術はありませんが」
片平の顔色が変わる。
「それじゃ…… あれは遺伝によるものだと?」
「可能性は高いでしょう」
久門は眼鏡をくいと押し上げ、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「だからこそ、私はここに来たのです」
一拍置いてから穏やかな声で言う。
「片平さん。彼の身柄を私に預けていただけませんか?」
「なっ……!」
片平は即座に首を振った。
「そんな許可、出せるわけがない。
そもそも、私にはそんな権限はない」
「私は監察官だ。正当な取り調べが行われているかを見届けるだけだ」
「……なるほど」
久門はあっさりと引き下がった。
「わかりました。では、明日も引き続き同席させていただきます」
そう言って久門は静かに部屋を後にした。
残された片平は、閉じた扉をしばらく見つめ続けていた。
「こちらです」
案内役の警察官が、頑丈な鉄格子の扉を開けた。
紫藤が通されたのは、三畳ほどの個室だった。
鉄格子の窓。
質素なトイレと小さなテーブル。
部屋の隅には、きれいに畳まれた布団が置かれている。
警察官が外に出ると、鉄格子の扉が閉められた。
ピピッという電子音のあと、ガチャリと重い音が響く。
さらに南京錠が掛けられる。
電子ロックと物理錠の併用。
AI機器に不具合を起こす紫藤の特異性を考慮した、念入りな対応だった。
「後ろを向いて。……両手をこちらへ」
指示に従い、紫藤は背を向け、手錠を掛けられた両手を差し出す。
カチャ、カチャ。
鍵を外す音が静まり返った空間にやけに大きく響いた。
手錠が外されると、警察官は何も言わずそのまま扉の外へ出ていった。
再び静寂。
紫藤は手首をさすりながら、ゆっくりと壁に背を預け、膝を抱えて床に座り込む。
鉄格子の窓の向こうは、物音ひとつしない。
車の走行音も、虫の声も。
あまゆりたちの顔が脳裏に浮かんだ。
(……みんな、心配してるだろうな)
紫藤は目を閉じ、数時間前の光景を思い出していた。
――テレビの画面。
『容疑者の名前は、折籠紫藤。
警察当局は、社会的危険性が高いと判断し――』
そこまで聞いた瞬間だった。
ピンポーン。
玄関チャイムの音。
あまゆりがびくっと肩を震わせ、反射的に立ち上がる。
「あの……どちらさま、ですか……?」
ドア越しに返ってきた声は落ち着いていた。
「常磐南警察署の者です。
折籠紫藤さんはいらっしゃいますか?」
「しどぉはいません! 帰ってください!!」
必死な声。
「お話を少し伺うだけです。すぐ終わりますから」
そのやり取りを聞き、紫藤とココロも玄関へ向かった。
次の瞬間だった。
「!? ク、クモ――っ!」
警察官の叫び声。
同時に扉が開く。
「あま、待っ――!」
飛び出したあまゆりを制止する声。
「ユカリちゃん! 攻撃しちゃだめっ!!」
だが、すでにユカリは数人の警察官に取り押さえられていた。
「申し訳ございません…… 抵抗すれば全員逮捕すると……」
俯いて謝るユカリ。
「え……?」
あまゆりの腕が掴まれる。
「アンドロイドか? 所有者はどこだ。機体番号を提示しろ」
強く締め上げられ、あまゆりが声を上げる。
「いやっ……放して……!」
「やめろ!!」
紫藤が前に出た。
「俺が折籠紫藤だ。用があるなら俺に言え」
刑事は紫藤を見据える。
「……詳しい話を聞かせてもらう。一緒に来い」
「わかった。だから、こいつらに手を出すな」
あまゆりの腕が放される。
涙目のあまゆりが紫藤に抱きついた。
「あま、大丈夫だ」
「……うん……」
その様子を刑事は訝しげに見ていた。
「……改造品か? そんな行動するAIなんて見たことがない」
「押収しますか?」
小声の確認。
そのとき、ココロが一歩前に出た。
「あらあら。
わたくしたちを無断で連れ去るのは、誘拐に近い行為ですわよ」
「……なんだと?」
「それに、わたくしたちは“アニマロイド”。
心のない機械と同列に扱われるのは、心外ですわ」
刑事は舌打ちし、視線を逸らした。
「……まあいい。いずれ徹底的に調べる」
紫藤はあまゆりの手をそっと離す。
「あま。大丈夫だ。すぐ帰る」
そして静かに言った。
「誤解は解ける。
だから……俺が戻るまで家で待っててくれ」
赤色灯が回る。
警察車両が街の方へと走り去っていった。
「しどぉーー!!」
追いかけようとするあまゆりを、ココロが抱き止める。
「大丈夫ですわ。紫藤様は必ず戻ってこられます」
「でも……あまのせいで……」
「……ふん。だからあなたは“甘ちゃん”なのよ」
黒ココロが冷たく言う。
すぐに、白ココロが続けた。
「ごめんなさい。
でも――泣いているだけでは、紫藤様は助かりません」
あまゆりは涙をぬぐって頷いた。
「……フェイクですわね。あの容疑者手配」
「え……?」
「紫藤様を守るために、わたくしたちも動く時が来た、ということですわ」
ココロは紫藤が連れて行かれた方向を、静かに見つめていた。




