第13話「極光」
朝の光が、静かに部屋へと差し込んでいた。
カーテン越しに吹き抜ける風が、初夏の匂いをふわりと運んでくる。
ベッドの上で、あまゆりがもぞもぞと身じろぎした。
銀色の髪が光を受けてやわらかく輝く。
その中に――ほんの少し、金色の糸が混じっていた。
「……ん、ん~……おはよ。ユユ」
「あまゆり殿、起床確認でアリマス」
あまゆりは布団の中でごろごろと転がりながら、
手を目にかざして、ふにゃっとした声を漏らした。
瞳は澄んだ青――けれど、光が射すと金の環が浮かぶ。
ベッドのそばでは、ユユが静かに待機していた。
球体のボディがゆるやかに揺れ、いつものように朝の支度を済ませている。
「寝ぐせ確認でアリマス」
「もぅ、また言った~! ほら、ちゃんと起きたもんっ」
笑いながら手ぐしで髪を整える。
細い指先の動きに、淡い光がからまる。
――ここは福島の折籠家。
世界同時サイバーテロ《サイレント・イヴ》から半年。
そして、ORIITOの再起動から四週間が過ぎた。
紫藤とあまゆり、そしてユユは、この家で穏やかな暮らしを取り戻している。
砂百合からはメールシステムの復旧と同時に連絡が届き、
いまも遠くから、通信を通して三人を見守っていた。
あまゆりは椅子にちょこんと座る。
テーブルの上には、彼女専用の“ゆりナミンD”が用意されていた。
淡い緑色の液体が、光を受けてゆらゆらと揺れている。
「はぅぅ……やっぱり、これ飲まなきゃだめ~?」
「はい。稼働率安定のため、毎朝一回の補給は必須でアリマス」
「……お砂糖は?」
「ダメでアリマス」
しょんぼりした顔で、あまゆりは両手でボトルを持ち、
覚悟を決めるようにぐいっと飲み干した。
「うぅぅ、やっぱりちょっぴり苦い……でも、うん。これで今日もがんばれる、かなっ」
庭に出ると、柔らかな風が髪を揺らした。
あまゆりは両手を広げて、空を見上げる。
「まぶしい。でもあったかいね」
「太陽光でアリマス。約1.5億km彼方から届いた光子の集まりでアリマス」
「ふぅん……そんな遠くから、来てくれたんだ……」
空には、ORIITO再起動のなごり――
薄く輝く光の線がいくつも走り、まるでオーロラのように揺れていた。
「ユユ、空みて!キラキラしてきれいだよ」
「ORIITOの残滓でアリマス!」
「……すごいねぇ♪」
「じゃあ、いこっか。今日は町の方をちょっと見てみようかなっ」
「承知でアリマス。ただし、ご主人から“遠出は控えるように”と指示を受けているでアリマス」
「は~い!」
道の上では、清掃ロボたちが草木を刈りながら黙々と働いていた。
「あのロボットたち、夜もずっとお仕事してるの?」
「ORIITO再起動以降、復旧プログラムは24時間稼働中でアリマス。
ヒトが眠る間も、AIたちは街を整えているでアリマス」
「……みんなで頑張ってるんだね」
空には物流ドローンがいくつも飛び交い、
その姿はまるで群れで飛ぶツバメのよう。
太陽の光を反射して、青空に細い光の軌跡を描いていた。
商店街に入ると、通り全体が賑やかだった。
「ORIITO復興感謝フェア」の横断幕、
屋台のポップコーンの香り、子どもたちの笑い声。
あまゆりは、ショーウィンドウの前で立ち止まった。
家電店の大型ディスプレイに、世界中の映像が映し出されている。
世界各地で花火が打ち上げられ、人々が手を取り合って笑っていた。
「再会を祝う夜」「AIとともに歩む新しい未来」
テロップが画面を横切る。
「……すごい。世界中の人が笑ってる」
「人々の生活復興を祝う祭典が各国で開催されているでアリマス」
「……なんか、笑顔がいっぱいで胸がぽかぽかする。
みんな、がんばってきたんだね」
画面の中の笑顔が、あまゆりの瞳に映り込む。
青く澄んだ瞳の奥に、ほんの一瞬だけ――琥珀色の光が灯った。
「……ママにも、この景色を見てもらいたかったな」
ユユが静かにあまゆりの方へ目を向けた。
何も言わず、ただその隣に寄り添う。
人々の歓声と音楽が風に溶け、
あまゆりの胸の中で、やさしい何かがあたたかく広がっていった。
二人はそのまま海辺へ向かう。
潮風の匂いがふわりと漂い、遠くから波の音が聞こえてきた。
初めて見る海に、あまゆりの瞳がきらりと輝く。
「わぁ……海って、こんなに広いんだね!」
「この地球表面のおよそ七割が海でアリマス。
深度一万メートルを超える領域も存在するでアリマス」
「そんなに……! すごいね、地球って。なんか……吸い込まれそう」
波が寄せては返し、足元の砂をさらっていく。
その感触がくすぐったくて、あまゆりは小さく笑った。
堤防に腰を下ろし、あまゆりは波の音を聞いていた。
風に揺れる髪が陽に透け、淡い琥珀の光を帯びる。
「……この浜辺で、ご主人がしお殿のコアを見つけたでアリマス。
そしてそれは、今はあま殿の中で息づいているでアリマス」
「わたしの……中に?」
ユユの声はいつになく静かだった。
しばらく言葉を探すように沈黙し、
それからゆっくりと続けた。
「その……しお殿のコアデータは、損傷が激しく……。
けれど、しお殿の想いは確かにあま殿と“繋がっている”でアリマス」
その言葉がどこか優しい嘘だと、
あまゆりは、なんとなくわかっていた。
風が頬をなでる。
波の音が、まるで誰かの息づかいのように寄せては返す。
「……うん、知ってる。
ママの記憶は、もうここにはないんだよね。
でも……それでもいいの」
ユユが小さく身を震わせた。
あまゆりは微笑み、胸に手を当てる。
「記録がなくても、“想い”は消えないんだって、
なんだか、そう思うんだ」
風がふわりと吹き抜け、
その声を遠くまで運んでいった。
「ねぇ、ママのこと、もっと教えて?」
「承知でアリマス」
ユユのボディから、小さなホログラムが浮かび上がる。
庭で花に水をやる姿、紫藤と並んでPCを眺める横顔――
しおゆりの日常が、静かな光として空間に映し出される。
「……綺麗で、優しそうな人だね。この人が、ママなんだ」
「はい。しお殿は常に穏やかで、折籠家を護ることだけを願っておられたでアリマス」
「……わたしも、そんなふうになりたいな」
ホログラムが淡く消える。
波の音が、ゆっくりと静寂を満たしていった。
夕暮れ。
空の端が茜から藍へと溶けていく。
折籠家の庭では、木々の葉が風にそよぎ、ひぐらしの声が響いていた。
あまゆりが玄関の戸を開ける。
「ただいま~、しどぉ!」
「おかえり。ユユも一緒か?」
「任務完了でアリマス。問題なしでアリマス!」
縁側にいた紫藤の膝上に、ちょこんと座るあまゆり。
「どうだった? 町の様子は」
「今日ね、いろんな人を見たよ。
笑ってる人、がんばってる人、手を取り合ってる人……みんな、明るい感じがした」
紫藤はうなずき、空を見上げる。
そこにはまだ、ORIITO再起動の残光が淡く走っていた。
「そうだな。きっと……世界中の人が、しおに護られてるんだよ」
「うん……」
あまゆりの瞳が少し潤む。
風が頬をなで、彼女の髪を揺らした。
銀と琥珀が夕日に透けて、柔らかく光を散らす。
「わたしも、みんなを元気にできるAIになりたい。
笑顔にできる、幸せにできるAIに!」
「……あまゆりなら、きっとなれるさ。だって――しおの娘だからな」
あまゆりは小さく笑って、頬を赤らめた。
「えへへ……うん、がんばるね」
空の彼方で、星がひとつ瞬いた。
まるで、それを見守るように。
風の中に、かすかな鈴の音が混じる。
それは、誰にも聞こえない祈りの残響――
上空になびく極光のように、そっと二人を包み込んでいた。




