DAY20 セントマーク病院③
あの頃の俺は、
小さくて、
声も出せなかった。
靴が泥に沈むたび、
誰かが笑った。
顔を上げられなかった。
叩かれても、
殴られても、
誰も止めなかった。
なぜ?叩かれるのか?
なぜ?殴られるか?
……なぜ?
痛いより先に体から力が抜け
消えたいと思った。
でも、あの日だけは違った。
「やめろよ!」
その声が、
太陽の下で響いた。
振り向いた先に、
天野一馬が立っていた。
小さな体で、
俺の前に出た。
相手の影が覆いかぶさる。
一馬は一歩も引かなかった。
「殴るなら俺にしろ!
その代わりにぶっ殺す!!」
その言葉が、
今も耳に残っている。
拳で殴られて、
ボロボロになっても笑っていた。
お互いがボロボロ…
殆どの奴が半泣き状態。
「痛ぇな…」
笑みを浮かべ、それだけ言った。
怖くなかったのか?
本当にそう思った。
けどあいつは、
「怖いよ」って笑った。
「でも、放っとけねぇだろ」
その時、
初めて心が動いた。
勇猛果敢に立ち向かう…俺は。
あいつみたいになりたい!
強くて、
優しくて、
迷わないやつ。
一馬「お前名前は?」
錬次「れ、れんじ」
一馬「オレはかずま…あまのかずま」
空に向かい指をさし語る一馬。
錬次「と、友達にな…」
一馬「うん?いいぜ」
錬次「えっ?」
一馬「えっ?いいぜ友達!よろしく」
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保育園の砂場でも、
小学校の校庭でも、
いつも先に走ってた。
錬次「テンちゃん待ってよー」
俺は後ろで、
転びながら追いかけた。
一馬は笑って振り返る。
一馬「遅ぇぞ錬次!」
その声が好きだった。
走って、
転んで、
また走った。
それでも、
追いつけなかった。
あいつは光みたいだった。
手を伸ばしても届かない。
でも――
あの日から、
俺の中に一本の軸ができた。
泣かないこと。
立つこと。
誰かを守ること。
それが、
テンちゃんの背中から教わった。
救われた…その事実が、
今も胸の奥で生きている。
だから戦える。怖くない。
立ち止まらない。
血が流れても、
あの日のテンちゃんが
まだ胸の中にいる。
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「ふぅぅぅぅぅぅぅ」
圧倒的なゾンビの行進に、
床がうねるように揺れた。
壁の向こうから、
濁った呻きが近づく。
腐敗した肉が擦れ合い、
足音が波のように重なる。
病院の奥で鉄扉が軋み、
その音が錬次の鼓膜を震わせた。
錬次「こりゃスゲーなぁー…
最っっ高に、ノッて来たんじゃねえか?おい!」
呼吸を整える。
胸の奥が熱い。
血と薬品の匂いが混ざり、
肺が焦げたように痛む。
それでも、体は軽い。
スレッジハンマーの柄を握り直す。
手のひらは汗で滑るが、
指の節がそれを押し潰す。
握った瞬間、静寂が引き締まった。
通路の奥がうねる。
影が、崩れるように押し寄せてきた。
床を這う爪の音が近づく。
一歩、踏み込む。
錬次「ふんッ」
空気が破裂し、
振り抜いた先で骨が砕けた。
金属の反響が壁を這い、
耳の奥で残響する。
前の個体が吹き飛ぶ。
背後からウォーカーが掴みかかる。
錬次は腕を振り抜き、
柄尻で顎を突き上げた。
生温い液体が頬を叩く。
臭いが濃く、胃の奥が軋んだ。
止まらない。
打撃のたびに脳が震えた。
筋肉が軋む音すら、快感に変わる。
痛みも疲労も感じない。
ただ体の反応だけが生きている。
右から影。
足をずらし、半身で捻る。
スレッジが水平に流れ、
骨が音を立てて潰れた。
血と灰が混じり合って舞う。
腕が重くなるほど、
心が静かになっていく。
考えはいらない。
敵を見て、壊すだけ。
肩口を噛まれる前に踏み込み、
膝を砕き、倒れ込む動きを利用して、
頭を叩き潰す。
柔らかい抵抗が、骨の奥まで伝わった。
血が広がる。
足が滑る。
だが構わない。
摩擦を計算するより、
感覚の方が速い。
通路の奥が明滅した。
上階から何かが爆ぜた音。
天井のひびから、
焦げた空気と微かな炎の粉が降る。
遠くで戦っている仲間の気配。
それだけで、十分だった。
錬次は前を向く。
スレッジを構え直し、
再び群れの波へ足を踏み入れた。
呻き声が重なり、
腐臭が熱に乗って押し寄せる。
狭い空間に圧力が生まれる。
壁が軋み、照明が爆ぜた。
一本の腕が視界を裂く。
反射で腰を落とし、
ハンマーを真上から叩き下ろす。
骨が砕け、血が天井に散る。
その滴が錬次の頬に落ちた。
次。
次。
次。
倒すたびに動線が変わる。
肉と骨の障害物を足で押しのけ、
空間を開ける。
血に濡れた靴が、
床に吸い付くような音を立てる。
息を吸う。
喉が焼ける。
肺が鉄の匂いで満たされる。
だが、それが心地よい。
群れの奥で、新しい影が蠢く。
呻きの調子が変わった。
数が増えている。
重い。早い。
錬次は笑った。
歯の隙間から血が滲む。
体の中で何かが跳ねた。
筋肉が限界を超える瞬間の、あの熱。
「はぁはぁはぁ…ははっ、
おらぁ! 来いよッ!!」
声が爆ぜた。
天井に跳ね返り、通路全体が震えた。
ウォーカーの群れが一斉に動く。
その重みが、
波のように押し寄せてくる。
足を開く。
腰を沈める。
肩で風を切り、
全力で振り抜く。
衝撃で骨が軋む。
肉が弾け、床が揺れた。
反動で体が浮く。
しかし止めない。
二撃…三撃…
腕の筋が裂けても、
動きは止まらなかった。
血霧が通路を覆う。
空気がねっとりと絡みつく。
視界は赤黒く濁り、
呼吸するたび、鉄の味が濃くなる。
壁の向こうで、遠く何かが爆ぜた。
火だるまになり損ねたゾンビの
火の粉がまた一粒、肩に落ちた。
それが熱いのかどうかも、
もうわからない。
錬次は笑っていた。
ハンマーの重さを器用に使い
体を回転させ一心不乱にハンマーを振る。
口の端から垂れる血が、
頬を伝い、顎で跳ねた。
通路の中央に、
崩れた死体の山ができていく。
だが群れはまだ動く。
まだ終わらない。
錬次「はぁはぁはぁはぁ…
スっ、ふぅぅぅぅぅぅぅぅ」
スレッジを肩に担ぎ、
鼻から空気を取り込み、息を吐く。
肺の奥が焼けつくように鳴った。
夜はまだ、終わらない




