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第七章 遠くの声、近くの手


丘を越えて、街に戻る途中の夕暮れ。


小道の端で、レナがふと立ち止まった。


「ユウ……いま、誰かの声が聞こえた気がした」


「……声?」


「ううん、ほんとに“気がした”だけ。でも……遠くから、“助けて”って」


レナの波形が揺れていた。


青とも白ともつかない、輪郭の薄い感情。


けれどそれは、確かに“誰かの痛み”に触れた時の色だった。


 


僕も、耳を澄ませた。


風はある。音もある。

でも──“届かない何か”が、確かに揺れていた。


 


「……気のせい、じゃないかもしれない」


僕はそう言って歩みを止めた。


レナとミルフィも黙って僕を見た。


空は赤く染まり、日が沈もうとしていた。


その色が、なぜか不安をかき立てた。


 


「今日は……宿をとろう」


「無理に先へ進んでも、“届かない”ままになる」


 


その言葉の意味を、ふたりはすぐに理解してくれた。


宿に泊まって、静かに“受け取る時間”を持つこと。

それが、この旅では何より重要なことだった。


 



 


その夜。


宿の一室で、僕は目を閉じていた。


何も言わず、何も考えず、

ただ、“波”が来るのを待っていた。


スキルを強制的に使うのではなく、

ゆっくりと、自然に。


すると──ふと、浮かんできた。


 


「ユウ──」


それは、名前だった。


けれど、声ではなかった。


どこか懐かしくて、遠くて、

でも確かに“僕を呼ぶ”ものだった。


耳の外ではなく、心の奥で聞こえる声。


記憶の底に沈んでいた、“誰かの声”。


 


波形が揺れた。


──“ユウ”という名に反応して。


レナでもミルフィでもない。


この波は、“僕の中”にあるものだった。


 


感情視は、他人のものを映すだけのはずだった。


なのに、いま、僕の中で波が立っていた。


 


──なぜ?


誰かの感情に触れて、それを読み取るだけの力。


そう信じていた。


でも、それだけではないのかもしれない。


“呼ばれている”感覚が、こんなにも鮮明だということは──


 


「……僕の感情も、誰かに“見られている”のか?」


 


そう呟いた瞬間、身体が微かに震えた。


風もない部屋で、心だけが揺れていた。


 



 


「ユウ、起きてる?」


隣の部屋から、小さくレナの声がした。


「うん、起きてる」


扉越しに、声が交わる。


「……怖くて。さっきの“声”のせいかもしれないけど、変な夢、見た」


「自分のことじゃない誰かが、すごく辛そうにしてるのに、

 わたしはそれを、ただ見てるだけで……」


「何もできない自分が、そこにいるのが、怖かった」


 


僕はしばらく黙っていた。


そして、静かに返す。


「……わかるよ。それ、僕もよく見る」


「見えてるのに、手が届かない」


「叫んでも、誰にも聞こえない」


 


「でもね、レナ」


「“誰かに見られてる”って感じるのは、

 誰かが、“ずっと見てきた”って証拠だよ」


「レナの中に残ってるその感覚は、たぶん……

 誰かの心を、ほんとうに感じた証なんだ」


 


沈黙のあと、扉の向こうで、レナが呟いた。


「……うん。ありがとう。なんか、少しだけ眠れそう」


 


 


誰かの声が聞こえる。

けれど、その声は、いまは届かない。


それでも、確かに“呼ばれている”。


それだけは、はっきりとわかっていた。


 


波形が、静かに揺れていた。


自分の中に。

そして、扉の向こうにも。


僕たちは、誰かの“見えない感情”と、

確かに、繋がっているのだと思った。



夜が明けるころ、ユウは夢を見ていた。


それは“記憶”ではなかった。

けれど、“忘れられたもの”に似ていた。


 


──誰かの泣き声。

──名もない手の温度。


雪のような匂いのする風のなか、

誰かの肩に、小さな手が重ねられていた。


 


(……これは、僕じゃない)


けれど、その“孤独”には、覚えがあった。


 



 


「ユウ、起きて」


レナの声に、まぶたが開く。


朝の光がカーテン越しに滲んでいた。


「朝ごはん、ミルフィが作ってくれてるよ」


「……ありがとう。すぐ行く」


 


ベッドの縁に腰を下ろしながら、

ユウは、夢のなかの“感触”をもう一度たどった。


あの誰かは、何者だったのか。

あの泣き声は、なぜ“自分に向けられていた”ように聞こえたのか。


それは、まだわからない。


けれど、あの夢が──

昨日の“名のない影”に、どこか似ていたことだけは確かだった。


 



 


朝食を食べ終えると、ミルフィが静かに言った。


「昨日の“声”、まだ感じてる」


「たぶんね……この街の外れ、東に続く林の奥。そこに何かある」


レナが顔を上げた。


「そこ……もしかして、“無垢の洞”?」


「うん。昔、使われてた祈りの場。

 でも今は誰も近づかない。理由は、わからないまま」


 


ユウは、地図を手にとった。


確かにその場所には、うっすらと薄墨のような影が記されていた。


「波が、止まってる」


「まるで……その場所で、“時間”だけが流れてないみたいな」


 


それは、“感情視”にしか見えない異変だった。


だからこそ──行く理由になる。


「行ってみよう。“呼んでる声”の主が、そこにいる気がする」


 


 



 


昼前、街を出た三人は林を抜け、丘を越え、

やがて“それ”を見つけた。


──祈りの洞。


それは、地面にぽっかりと空いた大きな縦穴のようだった。


苔が生い茂り、誰の足跡もない。


ただそこに、冷たい風だけが吹き抜けている。


 


レナが小さく息を呑んだ。


「ユウ……なにか、見える?」


 


「……うん。波が、底で止まってる」


「強くはない。でも、ずっと同じ場所にとどまってるんだ」


「“誰かの願い”が、そこに置き去りにされてるような感じがする」


 


ミルフィが一歩、前へ出た。


「……中に入れる。崩れてない。行こう」


 


そのときだった。


風が止まる。


空気の層が、目の前で変わる。


──波形が、乱れた。


でも、それは“敵意”ではなかった。


どこか、ずっと遠くから届く“懐かしさ”に似ていた。


 


「誰かが……ここで、ずっと“待ってる”」


ユウは呟いた。


誰のためでもなく。

ただ、“誰かが来る”のを信じて。


祈るように、呼ぶように、波を出し続けて──


 


その“呼びかけ”が、今ようやく届いた。


レナも、ミルフィも、言葉をなくしたまま立ち尽くしていた。


──まるで、全員の“過去”が、この場所とどこかで繋がっているようだった。


 


 


洞の入り口に差しかかると、ユウは静かに手を伸ばした。


空気が震える。


その波紋が、洞の奥へと吸い込まれていく。


──返ってきた波形は、微かな“光”。


それは、名もない、けれど確かな“感情”。


 


「……行こう。ここからは、ちゃんと“聞く”時間だ」


 


誰かの声を。


名もなき想いを。


そして、見えない過去を──


受け取るために。

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