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第五章 街の中で、役に立たないと言われた日


街に着いたのは、正午を少し過ぎたころだった。


城壁に囲まれたその町──ノルテは、

小さな市場と冒険者ギルド、そして宿屋が並ぶ、ごく普通の地方都市だった。


 


人が多い。

風が乾いている。

すれ違う誰もが、忙しそうに何かを運び、話し、怒り、笑っていた。


レナは少しだけ圧倒されたように周囲を見回し、

ミルフィは街並みに視線を落としたまま、何も言わなかった。


「……人の気配、多いね」


「うん。でも、大丈夫。怖くないよ」


レナが小さく笑って、ミルフィに言う。

ミルフィも、ほんの少しだけうなずいた。


 


僕たちはまず、ギルドへと向かった。


ここが次の宿の目安であり、何より情報を得るための拠点でもある。


 



 


ギルドの扉を開くと、賑やかな声が飛び交っていた。


依頼の張り紙に群がる冒険者たち。

カウンターで話す受付嬢。

武器を背負った人々が、あちこちで談笑している。


その中に──懐かしい声があった。


 


「……あれ、ユウじゃねえか?」


その声に振り向くと、そこにはかつて同じギルドに所属していた男がいた。


名前はシロ。

かつて僕と同じ新人枠にいた中堅冒険者だ。


「お前、まだ生きてたのか? てっきりモンスターの餌になってると思ってたわ」


周囲の数人が、クスクスと笑った。


僕は、静かに首を傾げただけだった。


「……久しぶり。こっちも、いろいろあった」


「へぇ、で? まだ“感情が見えるだけ”のスキルで何とかしてるの?」


シロの声には、悪意というより、心からの軽視があった。


それが、逆に重かった。


 


レナとミルフィの背後で、波形が揺れる。


レナは“戸惑い”と“苛立ち”の色。

ミルフィは“沈黙”と“拒絶”の色。


僕自身の感情は、見えない。

でも、自分でも“何かが染みていく”感覚はあった。


 



 


「この前、ここでも魔物騒ぎがあってさ。俺たちが退治してやったんだよ」


「“ちゃんと戦えるスキル”ってのは、やっぱり違うよな」


僕は、その言葉にうなずいた。


「そうだね。戦えるって、大事なことだ」


「はは、わかってんじゃん」


シロは笑ったが、僕は視線を外さず、こう続けた。


「でも……“戦えないからこそ見えるもの”も、あると思う」


「例えば?」


「人が怒る理由とか、怖がる理由とか、泣く理由とか──」


「戦う前に、それが見えたら、違う未来も選べると思わない?」


 


一瞬、沈黙が落ちた。


シロは眉をひそめ、乾いた声を漏らした。


「……何、それ? また“優しいフリ”か?」


「誰かの心を理解したいなんて、甘いんだよ。

 この世界じゃ、斬るか斬られるかしかないんだ」


 


「……そうかもね」


「でも、僕はその“甘さ”で救えた命を、知ってる」


 


視界の端で、レナの波形が揺れた。

白に近い、あたたかい色。

それは、言葉の代わりに“信じている”という感情だった。


 



 


カウンターにいた受付嬢が、騒ぎに気づいて声をかけてきた。


「すみません、静かにお願いします。何かご用ですか?」


「情報だけ、少し。次の町と、近くの魔物出没状況を」


「はい、少々お待ちください」


 


カウンター越しに受け取った地図には、いくつかの赤印が記されていた。


「西の丘陵地帯で、魔物の行動範囲が拡がっているようです。

 最近、“気配を食う”タイプの個体が目撃されていまして……」


「“気配を食う”?」


受付嬢は小さくうなずいた。


「実体は曖昧で、見つかる前に気づくことが難しいらしく、

 既にいくつかの村では、住人が“気配ごと”消えたという報告もあります」


 


その説明に、レナとミルフィの波形が強く揺れた。


ミルフィの波には、“共鳴”の兆しがあった。


それは、彼女の抱えていた“誰かに見られている”という恐怖と、

同じ周波数を持っている感情だった。


 


気配を食う魔物。


見られる恐怖。


“自分ではない何か”に、心を侵食される感覚。


 


──これは、繋がっている。


ミルフィが感じていたものは、彼女の妄想ではない。


たしかに、この世界のどこかに、存在している。


 



 


ギルドを出た後、僕たちはしばらく黙って歩いていた。


「……さっき、怒ってた?」


レナが小さく聞く。


「怒ってたよ。でも、怒ってる理由は──自分にも、向いてた」


「どうして?」


「“何もできない”って、また思いかけたから。

 でも、それって──誰かに決められることじゃないよね」


 


波形は、風の中でゆるやかに揺れていた。


赤でも青でもない、少し透明な“内省”の色。


その中心に、かすかに白が混じっていた。


 


その夜、宿の屋根裏部屋に三人で並んで寝た。


レナは穏やかに眠っていた。

けれど、ミルフィの息は浅く、何度も微かに動くたび、

視界の端に波形が揺れていた。


白。青。灰色。


そして──黒。


 


気配を食う魔物。


誰かに見られているという感覚。


そのふたつが、明確に重なりはじめている。


ミルフィの中には、確かに“それ”が近づいていた。


 


「……ユウ」


微かな声。

眠っていると思っていたミルフィが、起きていた。


「ごめん、眠れない。目を閉じても……目の奥で何かが動いてるのがわかる」


「……黒くて、冷たくて、ずっと見てる。背中の奥から……じっと」


彼女の声は震えていた。

けれどそれは、怯えだけではなかった。


“告げよう”とする、意志のある震えだった。


 


「大丈夫、ここにいるよ」


僕はそう言いながら、目を閉じた。

同時に、意識を集中し、波形を読み取ろうとする。


──視界の端に、かすかな“歪み”があった。


 


いつも見える感情の波とは、少し違う。

それは色のようで、形のようで、風のようなものだった。


定まらない。揺れている。

けれど、それは確かに“ミルフィではない”何かだった。


 


「……感じる」


「それ、外から来てるよ」


「でも、ミルフィの中で“形”になってる」


「……それは、ミルフィの中にある“恐れ”が引き寄せたものかもしれない」


 


「私が、呼んでる……ってこと?」


「呼んでるんじゃない。向こうが、弱さの形を探してる」


「見える隙間に、入り込もうとしてる」


 


ミルフィが息を飲む。


彼女の波形が、黒と灰に揺れる。


けれど、そこに“白”が踏みとどまっていた。


 


「私、……もう、逃げたくない」


「見てるなら、ちゃんと……向き合いたい」


「こわい。でも、怖いって言えるのも、今だけな気がして」


 


その言葉と同時に、波形が一気に広がった。


外では、風が鳴った。


屋根の上を、何かがかすめたような音。


部屋の壁が、わずかに軋む。


 


レナが目を覚ました。


「……ミルフィ……?」


彼女は寝ぼけながらも、ミルフィの異変に気づき、急いで立ち上がる。


 


その瞬間だった。


部屋の隅、窓の外に、何かがいた。


影。

人の形をしていたが、輪郭は溶けていた。

視線だけが、こちらを向いているのがわかる。


視えているのは、僕だけかもしれない。


いや──ミルフィにも、たぶん視えていた。


 


その“目”とぶつかった瞬間、視界が歪んだ。


世界が、静かに引き剥がされるような感覚。


言葉も、音も、波も、すべてが一瞬だけ“止まる”。


だが──


その中心に、ミルフィの声があった。


 


「見ないで……でも、見てほしい……!」


「私のことを、“それ”じゃなくて、“わたし”として……!」


 


その瞬間。


波形が、はじけた。


ミルフィの感情が、黒を押し返した。


灰が透け、白が輝き、

感情の核が、かすかに“光”を放った。


 


影は、消えた。


まるで、濃霧が風で払い落とされたように。


 


しばらく、沈黙が続いた。


息を殺すような静けさの中で、

ミルフィは、震えながらも座っていた。


 


僕は、隣に座り、ただ言った。


「……ちゃんと、見えてるよ」


 


彼女は、泣いていなかった。

けれどその顔は、何かを乗り越えたように、静かだった。


 



 


翌朝、窓の外は雲が薄く晴れていた。


風が乾いていて、どこか軽かった。


「……ありがとう」


ミルフィが、小さくそう言った。


その声には、迷いがなかった。


「わたし、自分のことが、少しだけ“見えた”気がする」


「そのせいで、あれが消えたのかは、わからないけど……」


「でも、“私がここにいる”って思えたから、負けなかったのかも」


 


レナが、そっと笑った。


「ユウも、見えてた?」


「うん。ちゃんと、全部」


 


視界の端で、波形が揺れていた。


白と橙と、光に近い淡い青。


ミルフィの波形は、今、はっきりと“生きていた”。

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