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第四章 街道の光と、出会いの声


村を離れて三日が経った。


焼け跡に残った人たちは、もう僕たちを「旅人」として見送ってくれた。


レナは、前より少しよく笑うようになった。


けれどそれは、軽くなったからではない。

泣けるようになったからこそ、笑えるようになったのだと、僕は思っていた。


 


道は広く、穏やかだった。


街道を歩く人影もまばらで、

通りすがる商人たちが「次の町まであと一日だ」と教えてくれた。


空は高く、雲のかたちもやわらかい。


とても、心が騒ぐようなことが起きるとは思えなかった──あの時までは。


 



 


「あっ……!」


レナの声が、小さく弾けた。


その視線の先──街道の隅で、誰かが倒れていた。


少女だった。

年の頃はレナより少し上か、同じくらいか。


風に流れる金色の髪。

白い服は土にまみれ、肩で息をしている。


「……怪我してる?」


駆け寄って、軽く呼びかける。


「……っ、こないで……!」


彼女はびくりと肩を跳ねさせた。

怯えた声だった。


僕は立ち止まり、そっと両手を見せた。


「僕たちは旅人だ。何もしない。助けたくて声をかけただけ」


彼女の瞳が、少しだけ揺れる。


《感情視》が反応した。


──“赤”。


恐怖。


でも、単純な“目の前の恐れ”ではない。

もっと、奥から滲んでいるような色。


「怖くないよ。無理に何か聞かない」


「でも、君が辛いなら、黙ってそばにいることはできる」


 


彼女は何も言わなかった。


けれど、少しずつ力が抜けていくのが見えた。


波形が赤から、白に近い色へと変わっていく。


「レナ、水ある?」


「うん」


鞄から水筒を取り出すと、レナはそっと差し出した。


少女はおずおずとそれを受け取り、少しだけ口をつけた。


「……ありがとう」


かすかな声だった。


でも、確かに“自分の意志で出た言葉”だった。


その瞬間、視界の隅に波が走った。


“感謝”の波形。


透明で、あたたかく、静かに輪を描くような色だった。


 



 


「名前、聞いてもいいかな?」


しばらく経ってから、僕が尋ねると、少女は小さく頷いた。


「……ミルフィ」


「そっか、ミルフィ。いい名前だね」


少女は、それに対して返事をしなかったけれど、視線をそらさなかった。


「ここで何があったか、聞いてもいい?」


「……追われてたの」


「……誰に?」


「……わからない。ずっと、誰かに見られてる気がして、逃げてきた」


「気がついたら、誰とも話せなくなってた」


 


視界の波形が揺れる。


それは“恐怖”の中に、沈殿していた“孤独”の色だった。


「……泣きたかったのに、誰かが見てる気がして、泣けなかった」


 


その言葉に、レナがはっと顔を上げた。


僕も、同じ感覚を抱いた。


──それは、まるでかつてのレナのようだった。


 


「……わたしも、前、そうだったよ」


レナが言った。


「泣けなかった。でも、ユウがそばにいてくれて……泣けた」


「ミルフィも、きっと、泣けるよ。いつかじゃなくて、“もうすぐ”」


 


少女──ミルフィは、何も言わなかった。


けれどその目の奥に、わずかな光が浮かんでいた。


涙ではない。けれど、それにとても近い何かだった。


 



 


その夜、野営をすることになった。


空には星が浮かび、焚き火が小さく揺れていた。


ミルフィはレナの隣で、ひとつの毛布にくるまっていた。


最初のころと比べて、身体の緊張がほどけていた。


レナは、小さな声でミルフィに何かを話していた。


その言葉は風に流され、僕には聞こえなかったけれど──


波形だけは、はっきりと揺れていた。


やさしく、柔らかく、白と橙と、そしてまだ名前のない“希望”の色。


 


それを見て、僕は思った。


感情は、伝播する。


痛みも、救いも、優しさも──


ただ見ているだけではなく、触れた心から、確かに伝わっていくのだと。


朝になっても、ミルフィは何も語らなかった。


焚き火の灰が冷え、空に薄明りが満ちてきたころ──

彼女は眠ったままのように、膝を抱えていた。


けれど、まぶたの奥は何かと戦っているように揺れていた。


夢か、それとも過去か。


 


レナは、その隣で静かに見守っていた。


自分がそうされたように。


言葉ではなく、存在そのものを差し出すように。


 


「ねえ、ユウ」


レナが小声で言った。


「ミルフィ……たぶん、“見えてる”と思う」


僕は少しだけ眉を寄せた。


「スキルのこと?」


「ううん、そうじゃなくて。自分の中の“何か”が見えてるってこと」


「逃げてるのも、泣けないのも、怖がってるのも、たぶん、全部……わかってる」


「でも、それを“誰にも見せられない”だけなんだ」


 


その言葉に、僕は静かに頷いた。


《感情視》が示す波形は、眠っているはずの彼女の周囲で、

わずかに“青”と“白”が混ざっていた。


それは、外へ向かう色ではない。


内側で揺れて、誰にも届かない場所で沈んでいる色だった。


 


「……わたし、少し前まで、そうだったから」


レナの手が、毛布の端を握る。


「でも、“見てくれた人”がいたから、変われた」


「ユウが、見てくれたから──」


 


そのときだった。


焚き火の残り火が、ふっと風に揺れた。


一瞬、空気の重みが変わった気がした。


そして、ミルフィの身体が、ぴくりと小さく震えた。


 


「……やだ……やだ……!」


うわごとのように、かすかな声がこぼれる。


「……また……誰かが……見てる……」


「──“見ないで”……」


 


その声に、空気の温度が下がる。


《感情視》が、一気に反応した。


──黒い波。


初めて見る色だった。


怒りでも、悲しみでも、恐怖でもない。


“拒絶”と“否定”が交じった、濁った感情の波。


それが、ミルフィの内側から、外に溢れようとしていた。


 


「ミルフィ……っ」


レナが肩に手をかけようとした、その瞬間──


「──こないで!!」


ミルフィが叫んだ。


波がはじけるように広がり、周囲の空気が鋭くなる。


それはまるで、空間ごと“跳ね返す”ような感情の圧だった。


 


僕もレナも、手を止めた。


無理に触れてはいけないと、そう思った。


彼女の波形が──何かに近づきすぎていた。


その“何か”は、彼女のスキルではない。


もっと、深くて、古い。


“誰かに見られる”という恐怖が、彼女自身を閉じ込めていた。


 



 


やがて、ミルフィはゆっくりと呼吸を整えた。


泣いていなかった。けれど、顔は濡れていた。


「……ごめん」


その声は、消え入りそうだった。


「こわくて……ずっと、誰かに見られてる気がしてて」


「寝てるときも、歩いてるときも、目の奥に、誰かがいる感じがして……」


 


「“この気配は、わたしのものじゃない”って、思うの」


 


レナがゆっくりと、言葉を選ぶように答えた。


「……それ、本当かもしれない」


「わたしも、前に似た感じがあった。自分の中に、他の誰かがいるみたいな、あれ」


「でもそれって、本当に“他人”じゃなくて……」


「“前の自分”だったりすることも、あるんだと思う」


 


ミルフィは、その言葉を聞いて、小さく瞬きをした。


感情波形が、わずかに揺れる。


さっきまでの黒は消え、

代わりに“灰”と“白”が混ざった、複雑な波が生まれていた。


 


「……わたし、“見られる”のが怖かったのに……」


「……今、見てほしいって、思ってるのかも」


「こんなふうに思うの、はじめて……」


 


ミルフィの目元から、ゆっくりと、一粒の涙がこぼれた。


それは、苦しみを吐き出す涙ではなかった。


ひとつの怖れを、言葉にできたことへの、ささやかな“解放”だった。


 


波形が、透明に変わっていく。


その変化に、僕は静かに目を閉じた。


 



 


午後、森の端から明かりが差した。


街道の先に、人の声が聞こえてきた。


商人の行列だ。荷馬車に荷物を積み、町へと向かっている。


「行こうか」


僕が声をかけると、レナは頷き、ミルフィも静かに立ち上がった。


彼女はまだ不安げだったけれど、波形は穏やかだった。


揺れてはいるけれど、もう、“跳ね返す”ものではなかった。


 


誰かと、並んで歩ける心。


それだけで十分だ。


 


道は、開けていた。


次の町へ。

次の涙へ。


そして──まだ見ぬ誰かとの、出会いへと。

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