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第二章 泣けない少女と、見える涙


旅が始まって三日が経った。


レナと一緒に歩く道は、思っていたより静かだった。


森の小道、川沿いのせせらぎ、風に揺れる草の音。

誰も追ってこないし、誰も待っていない。


それが、今の僕たちの居場所だった。


 


レナはまだあまり多くを話さなかった。


でも、少しずつ表情は変わり始めていた。


ときどき、足を止めて空を見上げるようになった。


ときどき、パンを差し出すと、お礼を言うようになった。


ときどき──僕の隣を歩く足音が、ほんの少しだけ軽くなる瞬間があった。


 


「このあたり、魔物が出るって聞いたことがある」


そう言ったのは、四日目の夕方だった。


レナの言葉に、僕はうなずいた。


「村で受けた地図にも、“出没注意”って書かれてた」


「……行かなくていい?」


レナの声は、不安と決意が混ざったような色をしていた。


視界の隅に浮かぶ波形は、青と灰の入り混じる複雑なものだった。


「行くよ。誰かが困ってるなら、行ってみたい」


僕がそう答えると、レナは少し驚いたように僕を見た。


でも、すぐに小さくうなずいた。


 



 


村から半日ほど歩いた谷のふちに、その“巣”はあった。


地面に開いた大きな穴。

周囲の草は踏み荒らされ、木々の幹には引っかき傷。


──そして、空気が濁っていた。


重い、鈍い、動物とは違う“怒り”のにおいがした。


レナは少しだけ後ろに下がった。


その足取りに、波形が反応する。


──赤黒い色。

怒りと、恐怖。

それが混ざったような、不安定な波。


「レナ、ここから先は、無理しなくていい」


そう言っても、彼女は首を横に振った。


「見届けたい……自分の、気持ち」


 


──“気持ち”という言葉に、スキルが共鳴した。


レナの波形が一瞬、白く明滅した。


それは、彼女の中に何かが“触れた”証だった。


 



 


魔物は、夜になって現れた。


洞の奥から響く、低い唸り声。


姿は狼に似ていたが、目が異様に光っていた。


──赤紫の波形。


感情がある。


怒りでも、恐怖でもない。


“混乱”だった。


誰かが何かを壊し、壊された側が、ただそれに抗っている。


 


「……レナ、あの魔物、感情が揺れてる」


「揺れてる……?」


「何かに怒ってる。でも、自分でもわからないまま怒ってる。……そんな色だ」


 


魔物がこちらを見た。


その目が、僕たちを敵と判断した瞬間、波形が赤へと一気に変化した。


──来る。


僕はレナの腕を引いた。


次の瞬間、魔物が地を蹴り、こちらへ飛びかかってきた。


 


「──ッ!」


レナが悲鳴を上げる。

魔物の爪が目の前をかすめ、地面が抉れる。


けれど、その直後──


僕の視界に、ふと“異変”が走った。


魔物の波形に、青が混ざった。


──一瞬の躊躇。


その色に、僕は言葉を投げかけた。


 


「やめろ!」


叫びというより、祈りに近かった。


「怒ってるなら、話してくれ。怒ってるだけなら、まだ戻れる!」


 


──赤が、揺れた。


波形が、不安定に震える。


魔物の目が、わずかに迷う。


ほんの少しだけ、動きが止まった。


その一瞬の隙を、レナが見逃さなかった。


彼女は手に持っていた細枝を投げつける。


枝は魔物の足元に当たり、土埃が舞った。


魔物は驚いたように跳ね退き、身を引いた。


 


波形が──変わった。


赤は、もう消えていた。


残っていたのは、紫と青の複雑な感情の波。


まるで、心の奥底に迷っている誰かのようだった。


 


魔物は、逃げた。


森の奥へと、静かにその姿を消していった。


 



 


その夜、僕たちは焚き火のそばにいた。


「……話せるんだね。魔物とも」


レナの言葉に、僕は首を振った。


「話してたわけじゃない。ただ──見えてただけ」


「……怒りの理由?」


「それが、ほんの少しだけ、わかった気がした」


レナは静かにうなずいた。


そして、小さく言った。


「……ユウは、強いね」


 


強い──


その言葉に、視界の端で白い波が揺れた。


嬉しさでも、誇らしさでもない。


それは、“肯定された”ことへの、小さな安堵だった。


 


この力は、戦えない。


でも、誰かの心に触れて、感情を変えることができる。


それだけは、確かだった。


翌朝。

風の音が、少しやさしくなっていた。


森の中の空気には、昨夜までの緊張がもうなかった。


 


レナは、焚き火の残り火を見つめながら言った。


「……あの魔物、すごく怒ってたけど、最後に少しだけ、寂しそうだった」


「うん。たぶん、誰にもわかってもらえなかったんだと思う」


「……ユウには、わかった?」


 


その問いに、僕は少しだけ迷って、それから小さくうなずいた。


「見えたというより、“伝わってきた”かな。怒ってるっていうより、誰かに気づいてほしかった感じ」


レナは、それを聞いて、しばらく何も言わなかった。


でも、視線の端で、感情の波形が変わるのが見えた。


──青と白の混ざる、淡い色。


やわらかい、けれど消え入りそうな、救いの気配。


 


「……わたしも、そうだったのかも」


 


ぽつりと、レナは言った。


「怒ってた。誰にも何も言われないことに。誰も気づいてくれなかったことに」


「でも……それが何に向いてたのか、自分でも、よくわからなかった」


 


僕は言葉を返さず、火を見ていた。


レナの感情波が、ほんの少しだけ揺れていた。


それは──“ほどけていく”波。


芯から変わるのではなく、かすかに、ゆるやかに、ほどけていくような色。


 


「ユウと会って、少しずつ、それが変わってるのがわかるんだ」


「わたし、まだうまく言えないけど──」


 


「見てもらえるって、こんなにあたたかいんだね」


 


その言葉が零れた瞬間。

波形は青から白へ。

そして、透明な光が混じったような、はじめて見る色に変わった。


それは、レナの感情が“今この瞬間に生まれている”という、確かな証だった。


 



 


小道を歩くレナの背が、少しだけ軽く見えた。


荷物は変わらないのに、背中の沈みが和らいでいる。


僕はその後ろ姿を見ながら、心の中で小さく思った。


(このスキルは、やっぱり変だ)


(戦うことも、治すことも、何かを壊すこともできない)


(でも──)


(こうして、誰かと歩いていける)


(それだけで、十分な気がした)


 


視界の端に浮かぶ波形は、柔らかな橙に近い色だった。


“あたたかい安心”の色。


レナの心が、静かに落ち着いていることを示していた。


 


 


──そのとき。


風がふっと変わった。


鼻先をかすめる、金属の匂い。


そして、かすかな焼け焦げた空気。


「……煙?」


気づいたレナが、森の向こうを指差す。


空の一部が、灰色に染まり始めていた。


 


僕たちは、すぐに歩を速めた。


木々の間を縫って走り抜けると、そこには小さな集落があった。


ただし──

静かでは、なかった。


地面に倒れた荷馬車。

崩れかけた塀。

人の叫び。

そして──黒煙。


 


「村……襲われてる?」


レナが息を呑む。


そのとき、視界の端に、強烈な“赤”の波形が弾けた。


怒り。混乱。そして、悲鳴のような感情。


僕は、剣を持たない手を握った。


 


(また、だ)


 


このスキルが、戦う力にならなくても──


誰かの心が、壊れる前に。

何かを、止められるかもしれない。


そう思って、僕は走った。


 


レナも、僕のすぐ後ろでついてくる。


その足音は、昨日よりもずっと強く、確かだった。

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