第一章 役立たずスキルで追放されました
「……ユウ=エストレイン。貴様に告げる。冒険者ギルド・ルーセ支部は、貴様を正式に除籍する」
その声が広場に響いたとき、辺りにいた誰もが、面白そうにこちらを振り返った。
「おい、やっぱりな」「あのスキルじゃ当然だろ」
「感情が見える? はっ、何の役に立つんだよそんなもん」
吐き捨てるような言葉が、いくつも投げられた。
僕はそれを、ただ静かに聞いていた。
立ち止まっても、抵抗しても、どうせ結果は変わらない。
最初から、そう決まっていたようなものだ。
「……わかりました」
そう返した僕の声も、周囲の嘲笑に掻き消されていった。
◆
《感情視》──それが、僕のスキルだった。
人の感情が、色として見える。
怒りは赤。悲しみは青。喜びは黄色。
複雑な思いほど、波形は揺れ、読みにくくなる。
でも、誰かの“心”が揺れた瞬間だけは──
視界の片隅に、確かに色が灯る。
けれどそれは、“戦えないスキル”だった。
治癒もできない。物を動かすこともない。
ただ、心が見えるだけ。
だから僕は、ずっと言われてきた。
「お前は役立たずだ」「戦力外だ」「空気を読むだけの奴なんていらない」と。
そして──
今日、それが“正式に”宣言された。
冒険者ギルドを追放された僕は、荷物をまとめ、町の門をくぐった。
荷物といっても、ボロ布のような旅装と、硬いパンが二日分。
そして、スキルを記した魔導石がひとつ。
それだけだった。
空は晴れていた。
妙に澄んでいて、むしろ腹が立つほどだった。
「……自由って、こんなに静かなもんか」
言葉が風にさらわれていく。
僕の声を、誰も知らない世界へ連れていってくれた。
◆
森の外れを抜ける頃、僕の視界に奇妙な色が揺れた。
“深く滲んだ青”──それは、悲しみ。
しかも、静かに沈んだまま、出口を持たない重い色。
「……誰か、いるのか?」
声をかけると、茂みの向こうで小さな影が揺れた。
一歩近づくと、葉の隙間から、人影が覗いた。
──少女だった。
歳は、十二、三。
長い黒髪に、薄汚れた服。
裸足のまま、ただ立っていた。
でも、それ以上に気になったのは──
彼女の目の奥に、色が“沈んでいた”ことだった。
言葉はなかった。
けれど、彼女の周囲には深く沈んだ青が、
風の中で微かに揺れていた。
「……寒いだろ。これ、使って」
僕は黙って上着を脱ぎ、少女に差し出した。
彼女は戸惑ったまま受け取った。
その手は、氷のように冷たかった。
──そのとき、青の波が揺れた。
感情の波形が、微かに変わった。
青に、うっすらと“白”が混じった気がした。
それは、悲しみの色の中に生まれた、
ほんの一滴の“安堵”だった。
僕は静かにその波形を見つめながら、心の中で呟いた。
(……このスキルは、戦えない。けれど──)
(誰かの心に、触れることはできるんだ)
その瞬間、確かに思った。
自分の“意味”は、まだ消えていない。
少女は、まだ言葉をくれない。
けれど、彼女の瞳に浮かぶ“色”が、少しだけ揺れていた。
──僕の目にだけ見えるその感情は、たしかにそこにあった。
焚き火の火が、ぱち、ぱち、と小さく音を立てていた。
森の外れ、廃れた教会跡。
壁は崩れ、屋根には穴が開いていたけれど、風は少なかった。
少女は、黙って僕の上着にくるまっていた。
その手は、まだ少し震えていた。
火の光が、彼女の頬を照らしている。
だが──その目は、ずっと遠くを見ていた。
《感情視》の波形は、まだ“青”。
けれどさっきより、わずかに揺れがあった。
一色だった色に、ほんのわずかに“揺らぎ”がある。
(……なにか、変わろうとしている)
言葉ではなく、色で伝わる心の兆し。
僕は静かに、火に薪を足した。
◆
「君、名前は?」
問いかけに、少女は一度だけまばたきし、
それから、ごく小さな声で答えた。
「……レナ」
それが、この夜、彼女が初めて発した言葉だった。
「レナ、か……いい名前だね」
僕がそう言うと、少女──レナは、顔を伏せたまま、ほんのわずかに肩をすくめた。
視界の片隅で、波形が一瞬だけ揺れた。
白。
青の中に、ほんのりと溶ける、あたたかな白。
それは、気づかれたくないけれど──どこかで、嬉しいと感じている色。
《感情視》というスキルを、僕は初めて“嬉しい”と思った。
目に見えることが、こんなにも意味を持つなんて。
「……ずっと、一人だったの?」
レナは、答えない。
でもその代わりに、膝を抱えた腕が、少しだけ強くなった。
──青が深くなり、そしてその奥に、滲むような“灰”が混ざった。
(罪悪感、か……)
「……逃げたの?」
その言葉に、レナの身体がわずかに反応する。
返事はなかった。
でも、その沈黙と感情が、すべてを物語っていた。
「誰にも責められなくていいよ」
僕は火を見つめながら、ゆっくりと続けた。
「生きてる。それだけで、すごいことなんだ」
レナは、何も言わなかった。
でも、波形の青が少しだけ薄れた。
──白が、混ざる。
それはたった数滴。でも、確かにあった。
◆
しばらくして、レナはぽつりと呟いた。
「……家、燃えた」
「魔物が、来て」
「お父さんも、お母さんも──いなくなった」
言葉の端々に、灰と青が揺れていた。
痛み、喪失、言えなかった感情。
それらが、火のゆらぎに乗って、こぼれ落ちていく。
「怖かった。でも、叫べなかった」
「……泣くことも、できなかった」
「だって、泣いたら──本当に終わっちゃう気がして」
レナの声は、震えていた。
感情の波形は、青から紫に、そして白に滲みながら揺れていた。
その瞳の端に、ひとすじの“本物の”涙が光っていた。
僕は、何も言わなかった。
けれど、その涙が落ちるとき、
視界に浮かぶ波形は、静かに、優しく──色を変えていった。
《感情視》のスキルで初めて見た、“癒える”という色だった。
◆
朝が来た。
木漏れ日が、崩れた壁から差し込んでいる。
レナは、僕の上着を丁寧に畳みながら、顔を上げた。
「……ありがとう」
そう言って、ほんの少しだけ笑った。
まだ小さくて、ぎこちない笑顔だったけれど、
そこには、夜を越えた人だけが持つ、かすかな光があった。
「君は、これからどうするの?」
僕の問いに、レナは少しだけ考え込んだあと、ぽつりと答えた。
「……いっしょに行って、いい?」
その声には、昨日とは違う波形があった。
青ではない。
淡い白と、まだ名前のつかない小さな希望の色。
「もちろん」
僕は、自然にそう答えていた。
「一人より、ずっといいよ」
レナは、何も言わなかったけれど──その表情は、少しだけやわらかかった。
僕たちは、廃れた教会跡を後にした。
陽の差す道を、ふたりで歩いていく。
足元の草が、朝露に濡れている。
──その雫さえ、どこか希望の色に見えた。
◆
自分でも知らなかった。
“感情が見える”だけのスキルが、
こんなふうに、誰かの涙に寄り添えるだなんて。
たとえ戦えなくても。
たとえ誰かに「役立たず」と言われても。
それでも、このスキルには意味がある。
心の波を、感じ取れるということ。
それだけで、救えるものがあるということ。
──たとえば、あのときの、少女の涙のように。