第六話
強行軍を尽くして、サッペンハイムの地に戻ったキュウカ達は、その疲労を押して迎え撃つ侵攻軍と対峙します。
キュウカ軍は、故国を想う将兵の士気の高さを以ってその初戦を制し、見事に上陸を果しました。
自分達の帰還を聞き及んで駆け付けた者達から、領内に於いて敵軍の猛攻に耐え保たれている砦城が都城と自らの三所領の四城のみと知らされたキュウカは、迷う事無く都城で孤軍奮闘する主・フィラム大公を救うべく進軍します。
キュウカ軍は、疾風迅雷の奇襲による猛攻を以って敵の包囲を討ち破り、都城への入城に成功します。
しかし、キュウカの救援も虚しく、大公は、戦いの最中に負った傷が原因で病床に在りました。
自らの余命が幾許も無い事を既に悟っていた大公は、その生命が尽きる前にキュウカの帰還が果された事を大いに喜び、そして、彼へと大公の地位を譲り、公領の守護を託さんと望みます。
その申し出を分不相応だと辞するキュウカに、大公は、「父たる者が子である者を信じて大切なモノを譲り託さんと望むのを拒むは、人間として最も重き不徳にして不孝である」と説きます。
その言葉にキュウカは、大公の自らに対する信頼の大きさを知ると、今日までの大公の恩に報いる為、その正統なる後継者に代わって自分が公領の政を預かる事を約束しました。
その言葉に安堵した大公は数日の後、安らかな心を以ってその生涯を終えました。
キュウカは、亡き大公との約束を果たすべく、戦いに疲れている将兵達を励まして失地回復の戦に臨みます。
豊かで美しかったサッペンハイムの地を身勝手な欲望を以って蹂躙した侵攻軍に対するキュウカの怒りは、大恩在るフィラム大公の死を想って烈しく燃え上がり、その戦いの意志を大いに奮い立たせました。
そして、キュウカのその想いは、彼に従う将兵達も又同じであり、誰もが烈しいまでの戦意を抱き、味方に倍する兵力の侵攻軍に対し勇猛果敢なる戦いを挑みます。
その帰還より半年、休む事の無き連戦の末、遂にキュウカは、侵攻軍を公領の西岸端の砦城にまで押し返すことに成功します。
その侵攻軍との決戦を前にして奮い立つ将兵達に支えられて、キュウカは、領土回復の戦いに臨みました。
敵が最後の抵抗を見せる事を見越し、焦る事無く慎重なる采配を振るうキュウカですが、相手は戦う事無く全軍撤退の様相を示します。
それを目の当たりにして勢い付く味方の追撃をキュウカは、臆病とも取れる態度で制止しました。
それを訝る諸将に対し、キュウカは、敵の殿を務める一軍の余りにも静か過ぎる気配に、待ち伏せを計って誘っている事を説きます。
そして、自らの親衛騎をその囮として敵軍の前に進め、敵の伏兵をサイフォン・ウリョウの両将の一軍を以って逆に打ち破る策を計ります。
その策を以って侵攻軍に大打撃を与え、二度と侵攻の考えを起こさせない事を望むキュウカ、しかし、その策は、敵軍の殿を率いた若き将の見事な采配によって伏兵が押し止められたことにより、功を奏する事無く終わりました。
その将の采配により見事に自らの策を破られた事を知ったキュウカは、彼が示した撤退に於ける引き際の妙をして、自分を凌ぐ見事な将才だと大いに讃えました。
完全なる勝利を以って敵の戦意を挫くという望みは果せなかったとはいえ、奪われた領土の回復を果したキュウカは、見事に勝利を得た事を全て連戦に次ぐ連戦に耐えて奮戦した将兵達の功績に帰し、これを讃えて厚く恩賞を与えて労い、又、侵攻軍の蹂躙に苦しめられた領民の艱難を察して半年の租税を免除する触れを全領土に達しました。
そのキュウカの慰撫により、フィラム大公の死と戦いの傷に乱れる事無く公領中がゆっくりと落ち着きを取り戻し、復興の確かな兆しを示し始めます。
サ・ルサリアの女王より、正式に公爵の位を認められたキュウカは、その権限を以って内政に励み、半年に満たない早さで領土の復興回復を果しました。
キュウカが東大陸の侵攻軍を退け、荒れた領土を復興回復してより数ヶ月の後、突如、公領の北の沿岸に異相の装いをした海賊船団が現れて略奪行為を行います。
キュウカは、自ら討伐の兵を率いてこれを討ち破り、その尽くを捕らえました。
その賊を率いていた主将は、<海狼皇>の異名を持つトゥーナという西大陸北西に位置する凍寒国の一部族の長たる男であった。
その罪を責め咎めるキュウカに対し、トゥーナは、サッペンハイムという豊かな地の領主であるキュウカの好運を嘲笑い、実り欠しき極寒の地に生まれ、大国の支配によって僅かに得た収穫の糧さえ奪われ餓え苦しむ自分達の故国に与えられた運命の残酷さを呪います。
トゥーナの言葉を聴いたキュウカは、嘗て自らを養い育ててくれた<野賊>の人々の無念をその心に甦えらせました。
キュウカは、トゥーナ達の罪を赦し、彼等の船に積めるだけの食糧を与えると共に、寒さにも強い作物の種苗を用意した上、更には、カムサに宛てて彼等の窮状を助ける旨を求める親書を書き送ります。
キュウカは、トゥーナに対し、再びこの国を侵さんと望んで我が前に現れたならば、その時は今度こそ容赦なく討ち滅ぼすと告げて、彼等を送り出しました。
その政に対する手腕を以って、失われた領内の平穏を取り戻したキュウカは、一つの大きな決意を胸に文武の諸官を参議の場に集めます。
そして、キュウカは、集った文武百官を前に、サ・サルサリアの真なる自由と平穏なる日々を得る為、東大陸連合国の支配の意志を討ち破る戦いに臨む決意を示しました。
それを聴き、諸官の諸々に少なからぬ動揺の色が浮かびます。
両者の国力の違いを考えれば、そのキュウカの決意は、無謀とも呼べるモノでありました
しかし、諸官達はキュウカの決断の理由が、亡き先代の大公と交わした約束を果たす為にある事を問うまでも無く知ると挙って彼の決断に従う事を宣誓します。
キュウカは、自らを以って主議とする東大陸連合国討伐の連判状を認めると、それを持ってサ・ルサリア女王に謁見を果します。
そして、その場を以って諸侯に討伐への決起を促しました。
諸侯達がキュウカの言葉を聞いて動揺を抱くより先に嘲りを浮かべる中、唯一、女王のみはキュウカに対し、真剣に東大陸連合国との戦いに勝算があるのかを問います。
それに答えてキュウカは、敵が連合国として完全なる纏りを持ちえていない事、兵力の差に驕り此方を侮り油断している事、そして何よりも味方の将兵が敵に倍する強さを持つ事を理由に挙げ、その言葉と共に懐から取り出した討伐の連判状を女王へと差し出しました。
それを受け取り見た女王の顔に驚きの色が浮かびます。
そこには、サッペンハイム公爵領に於ける文武の諸官全ての名前が書き連ねられていました。
キュウカの、そして、サッペンハイム領全土の意志が示されているその連判状を受けて、女王は、キュウカの決断を認めます。
諸侯達によって女王が諌められると、キュウカは自領の兵のみを以って事に当たる覚悟を示し、宮中より辞します。
キュウカが宮中より去った後、諸侯達は、女王に内密で謀議を行い、東大陸連合国の盟主へと密書を送ってキュウカの侵攻を知らせ、彼が戦いに敗れたならばその身柄を差し出し、サッペンハイムの領土を割譲して和睦する事で自分達の保身を計る策を決めていた。
その密議の事をシェーリーの内偵から知ったキュウカは、諸侯の思惑を短慮と一笑して、逆にこれで自らの信頼する者達のみで戦いに臨めると喜びます。
そして、キュウカは、これから始まる永き戦いの最後の備えをするべく、サッペンハイムへと急ぎ戻りました。
キュウカは、サッペンハイムの都城に戻り入ると、文武百官と将兵を宮殿の中央に集め、更には、都城から宮殿までに至る門戸の全てを開いて、そこに集いし者達に向け、東大陸連合国討伐の為の宣誓をします。
それは、自らが大公として東大陸連合国の盟主に頭を垂れる事によって、公領の平穏が約束されるのならば喜んで臣従の礼を取り、朝貢の節を行う覚悟を語る言葉から始まりました。
聴く者達の多くが、これから戦いに臨もうとする者に相応しからぬその言葉に訝る中、キュウカは、更に言葉を続けます。
しかし、ここで自分が東大陸連合国に屈服したならば、彼等は臣従ではなく隷属を求めるであろう。
自分一人がその恥辱に耐えるだけで済むのならば、それを受け入れても良い。
だが、この公領に住まう者達の全てが子々孫々の末まで、その恥辱に耐える事を見る事だけは忍びない。
だから、自分は、亡き先公が愛した領国とそこに住まう全ての民の誇りを護る為、サッペンハイム大公として、東大陸連合国の支配を討ち破る戦いに臨むのである。
そのキュウカの宣誓を聴いて、諸官、将兵に止まらず、聴衆の全てが心を振るい起たせずにはいませんでした。
そんな、人々の姿を前にして、キュウカは、更に言葉を続けます。
しかし、敵は強大にして、その力は我々に倍する。
故に、この戦いは、私を信じ従う意志のある者のみで挑む。
皆、この私を信じ、公領の未来を託してくれるならば、どうか共に戦って欲しい。
それは、一国の大公が臣下に対して向ける命令ではなく、一人の故国を想う漢が同志である者達に求めた真摯なる願いの言葉であった。
如何なる時にも、自らの利を捨て他者の為に持てる物の全てを尽くして報いてきたキュウカという英雄が、今、自分達に望み求めるモノの高潔さを知り、諸官、将兵を始めとする全ての者が感涙を浮かべずには居られませんでした。
皆、零れ落ちる涙を拭うと、揺るぎ無き覚悟を以って、キュウカの意志に従う宣誓を叫びます。
それを聴いて一度大きく頷いたキュウカは、彼等を統べる大将として、そして、彼等の父であり兄である大公として、命令します。
『この戦いは、勝った者が英雄ではない。生き残った者こそが英雄だ。皆、必ず生きて再び、この美しきサッペンハイムの蒼き空を仰ぎ見る事を望むのだ!』
キュウカの口から紡がれたその言葉に応える様に、上天にあるその空はどこまでも蒼く澄み渡っていた。
公国の自由を摑かみ取る為の戦いの準備が進められる中、ある日、サイフォン将軍が、キュウカの許を訪れます。
その訪問を迎え入れたキュウカに対し、サイフォンは、彼が未だ大切な務めを一つ果し忘れていると告げました。
サイフォンは、自分の言葉が指し示す意味を測り兼ねているキュウカに、それは彼が未だ妻を迎えていない事だと言います。
国の大事を前にして、私事に心を割いている訳にはいかないと応えるキュウカに、サイフォンは、国の大事であり、そして、キュウカにとってこれから臨まんとしている戦いが重い事であるからこそ、自らに近き事を疎かにしてはならないと諌めました。
そして、サイフォンは、キョウナ・メイファ・リレイ・ルィーファの四人が隠してはいるが共にキュウカの事を想い慕っている事、そして、キュウカ自身が、その四人の密かな想いに気が付いている事を指摘します。
それに対し、これから死地に赴き明日をも知れぬ身である自分が、如何して、彼女達の想いに応えられようかと応えました。
その言葉を聴き、サイフォンは、自らを想い慕ってくれる者達に報いられない人間に如何して、艱難辛苦に満ちた戦いの勝利が与えられようかと諌め、そして、嘗て自分とキュウカが邂逅した際に、キュウカから告げられた諫言である『その死を聞いて泣いてくれる者があるならば、容易く生命を失う事を求めるな』という言葉を告げて、死地に赴く身なればこそ生きて戻る為の大きな未練を残すべきだと説きます。
サイフォンが、自分に求めた真摯なる想いを知ったキュウカは、その勧めに従い、キョウナ達四人に自らの想いを告げ、彼女達を妻に迎えました。
キュウカの婚姻を喜び沸き立つ領内、しかし、それを狙うかのように東大陸連合国の先兵が公領の西岸に現れ、その襲来によって祝宴が乱されます。
キュウカと貴妃達の心を慮り、自らが赴かんと求めるサイフォンに対し、キュウカは、婚姻の祝宴という娶られる者にとって最良であるべき祭事を乱す敵の無粋に憤りを示すと、婚礼の正装のまま鎧を身に纏い自ら迎撃の采配を振るうべく討って出ました。
キュウカの憤怒が、貴妃達に対する深い想いの現われである事を察したサイフォン達諸将は、祝宴の主役である四人の貴妃を祝いの席に止め、各々が主妃たる四人へと祝いの狩猟を以って祝宴に彩を添えるという言葉で戦いの勝利を誓って出陣します。
その言に違わぬ諸将の活躍目覚しい奮戦によって、キュウカは、敵軍を散々に討ち破り敗走させました。
キュウカは、華々しい勝利を以って自らの婚姻の祝いとして、迎えた四人の貴妃達の許に凱旋します。
その無事を大いに喜ぶ貴妃達でしたが、危急たる国の大事を以って自らの大事とし、キュウカに自分達の事には構わず、大公としての務めを全うする事を求めました。
そして、メイファとルィーファの二人は内に在って宮中の事を治め、キョウナとリレイの二人は外で共に戦う事でキュウカを助け支える事を誓い、更には、今日に結ばれた縁を重んじて四人が共に姉妹の如く相睦み、決して私情でキュウカの心を乱し煩わせない事を重ね誓いました。
四貴妃が示す深い想いにキュウカは感謝し、必ず生きて勝利の栄光を故国に齎す事を誓います。
そして、キュウカは、東大陸連合国討伐に対する自らの意志を記した檄を天下に発し、それを以って、敵に対する宣戦布告としました。
明くる朝、キュウカは、出仕した諸将に集結の日時と場所を告げると、自らの親衛騎を率いて都城より出陣します。
ここに、キュウカにとってその天命を果す為の最後にして最大の戦いの火蓋が切られたのでした。
(続く)