#閑話1. 遠野菫子はメイドである
郊外にあるシックな雰囲気をまとった洋館、姫園邸。
姫園邸は建物自体の大きさも然ることながら、庭もサッカーでもできてしまいそうなほど広く玄関までなかなかの距離がある。
しかし途中にある花の庭園を眺めればたちまち優雅な散歩に変わり、気分良く玄関のベルを鳴らすことができる。
──まあ、この私の気分は花程度で良くはなりませんが。
庭に植えられた色とりどりの花々を美しいまま維持するのは苦労しますが、30人もの使用人が丁寧に手入れをしているので屋敷の景観が損なわれることはありません。
使用人達は希望すれば別邸の寮に住まわせてもらうこともでき、生活費のほとんどを負担してもらえる。業務の多さがネックではあるが、労働環境は決して悪くない。
そんな素晴らしい屋敷ではありますが、この現代社会で憧れていたメイドとして働く私は唯一「勿体ない」と思うことが。
「五十嵐、今日、旦那様と奥様は?」
「お帰りになられてません。仕事が長引いているようですね」
「そうですか。お嬢様は?」
「まだお休みです。ここのところ気を張りつめてましたからね」
「……今夜の夕食はお嬢様の好物にします。五十嵐はシェフに伝えて、材料が足りなければ調達を」
「あの、遠野さん? 僕ボディーガード……」
「食事はお嬢様の健康をお守りするためのものです。立派なボディーガードの仕事ですよ」
「上手いこと言いくるめられるのはなんだか癪だなぁ……一理あるのが悔しい。行ってきます」
五十嵐は雑用が得意だが、彼への命令権は旦那様や奥様、お嬢様以外では私しかおらず、いつもお嬢様の部屋の前で突っ立っているだけになっているのが玉に瑕だ。
そもそも屋敷のセキュリティが万全なのでボディーガードの出番はない。
あの無駄に大きな図体を活かすにはこうして走らせた方が五十嵐のためでもある。
しかし、やはり勿体ない。
……五十嵐の筋肉が全く活かされないという意味ではなく、この広い屋敷にお嬢様ひとりということが、だ。
旦那様はほとんど帰らず、娘であるユリお嬢様がたった一人で暮らす羽目になっている。
寡黙で仕事のできる人なのは尊敬していますが、年頃の娘を放置して仮想世界に人生を費やしているところだけはいただけない。
せめて私がお嬢様の心の拠り所……ひいては頼れる年上のお姉さん枠となり、「お姉ちゃん」と呼ばれるよう努めなくては。
「お嬢様、おはようございます。遠野です」
午前6時、いつもの起床時間にお嬢様の部屋の扉をノックする。
もちろんそっと優しく、音を立てないようにだ。
返事がないので静かに扉を開け、誰にも見られないようすぐさま部屋に入って扉を優しく閉める。
素早く姿勢を正して、コホンとひとつ咳払い。
横目でチラリとベッドの方を見ると、そこには穏やかな朝日に包まれながらすぅすぅと可愛らしい寝息を立てる白雪姫が眠っていた。
「あぁ……今日もお嬢様は可愛いですね……」
白く滑らかな肌、指からするりと解けていく艶やかな黒髪、まつ毛も長く、奥様似だ。
それにしても今日はよく眠っておられる。
これは……チャンスかもしれませんね。
「では失礼して」
布団を捲り上げ、お嬢様と添い寝を試みる。
──が、冬の冷たい空気が暖かい布団の中へ侵入したのがいけなかった。
「なにしてるんですか、遠野さん」
私がベッドに体を乗せようとしたタイミングで、お嬢様は目を覚ましてしまった。
「…………今朝は冷えますから、お体を温めて差し上げようかと思いました」
「そう……」
すると、お嬢様は反対──窓辺の方を向いてしまい……珍しく、起きようとしなかった。
「お嬢様、もう起床時間ですが」
「……今日はお休みですから」
「それはそうですが……」
珍しいこともあるものだ。
いつも時間きっかりに起きてスマホのフォルダ内にある金生ユメの写真を眺める朝のルーティンすらしないとは。
やはり、最近無理をしすぎたのでしょうか。
「……朝食は部屋にお運びします。それまでには起きてくださいね」
ベッドから出てエプロンを整える。
お疲れならば、今日はとことんお嬢様のわがままに付き合う。
それがお嬢様の専属メイドたる私の使命──と、そう思って部屋から出ようとすると。
「待って……」
か細い声で呼び止められた。
「お布団、貴女のせいで冷めちゃったんだから……ちゃんと温めていって……」
「──え、よろしいのですか!!?」
いつも寝ている隙に今なお豊かに育っている胸をまさぐって成長具合を確かめ、そうして目覚めたお嬢様にぶん殴られているのに!?
「早く……して」
「は、はい、ただいまっ!」
私はメイド服がシワになるのも構わずお嬢様のベッドに入る。
お嬢様の香りに包まれるこの幸福を朝から味わえるとは……これは夢なのでしょうか。
「……んっ、ちょっと……誰が触っていいなんて言いましたか?」
「あっっ、し、失礼しました。つい、いつものクセで……」
「……まったく、そんな悪いメイドさんにはおしおきが必要ですね」
寝返りを打ち、私の顔を見つめてくるお嬢様。
未だ眠そうなその目はゆっくりと閉じ、不意に胸元へ顔を寄せてきた。
腕を私の背中に回して、これは、抱きつかれている?
「しばらく……抱き枕になってもらいますから」
「むしろ望むところです!!」
こんなご褒美を貰ってあとでバチが当たりそうなものですが、そんなことより今はこの至福の時を噛み締めたい。
お嬢様を抱き返したい気持ちはありますが、さきほど接触禁止令を出されてしまった。
ここはグッと堪えるのよ菫子っ。
「……本当にお疲れのようですね」
「そんなことは……」
「いつもはこんなに甘えてくださることなんてないじゃありませんか」
「…………遠野さん、薔薇の香りがします」
「庭園を通ってきましたから」
「そういえば、アパートからうちに通ってるんだっけ……どうして寮に住まないんですか?」
「おや、それはつまり私にもっと近くに居てほしいと?」
「そ、そういう意味ではないですが……ちょっと気になっただけです」
恥ずかしそうに頬を染めるお嬢様は、私の胸に顔を埋めて隠れてしまった。
私はお嬢様の専属メイドでありながら、普段は自宅アパートで暮らしている。
なので車での通勤だ。
他の使用人達のように寮で暮らすこともできるが、どうにも集団生活は肌に合わない。
「意外かもしれませんが、実はひとりが好きなんです。私がお嬢様に対して積極的なのはお嬢様が大切な存在だからと断言しますが、お嬢様にもプライベートがありますし、これは仕事ですから。今の距離感が心地良いのです。でもお嬢様がご命令してくだされば、私も寮生活に切り替えますよ」
「……強制するのは嫌なので」
「お優しいのですね。お嬢様のご命令ならば私は興奮すら覚えるのですが」
「もう……でもやっぱり、無理はさせたくないですね。寂しいですけど、我慢します」
親と長いこと離れて暮らしていれば寂しくもなるでしょう。
その寂しさを埋めていたのが金生ユメ、ですが彼女もいつも隣に居るわけではない。むしろ彼女はお嬢様に対して一歩引いて歩いている。
だから、こうして甘えんぼモードになってしまったのだろう。
「いつか一人暮らしに飽きたら、こちらに引っ越させていただきますね」
「ふふっ、じゃあ……それまで待ってることにします。でも……今日は離しませんから……」
ギュッと抱きついてくるお嬢様を、抱きしめる。
それが叱られることはなく、やがてお嬢様は寝息を立てはじめた。
「遠野さーん、キッチンに材料あったのでお使いの必要はなさそうですよー」
「静かにしなさいバカ。お嬢様はお疲れなんですから」
「ば、バカはないでしょうバカはぁ……!」
扉越しに五十嵐の声が響く。
まったく、無駄に図体がデカいうえに声もデカいんだから。
ひとまず今日はお嬢様が起きるまで……私も一眠りしよう。
起きたら朝食……日が暮れたらマッサージと、お嬢様の好物を用意して……たっぷりのお湯に浸かって疲れを癒していただきますか。
「それではゆっくりとおやすみください、お嬢様」




