君に拍手を贈りたくて、ぼくは月夜の晩に願った。
猫や犬もクラシック音楽が好きだそうですよ。
第36回企画ひだまり童話館『ぱちぱちな話』、参加作品です。
ぼくの耳をそよ風ときみの音がくすぐっていく。
ぼくはきみの音を聞くと、背筋をピンと伸ばす時もあれば、遊びたくなったりするときあるし、眠ってしまうときもある。
今日は音がハートになってぼくの心をどきどきさせたから、飛び上がりたくなった。
きみがヴァイオリンにあきることなんてあるのだろうか。
ぼくがこの家に来てたった3年だけれど、きみがヴァイオリンをはなしたところを見たことがない。
きみが生まれる前、つまり12年以上前からいるジョンに聞いたけれど、「耳が聞こえないきみに音楽を」と願った楽団員のお父さんがヴァイオリンを与えてからずっときみはヴァイオリンに夢中だったと教えてくれた。
「泣いたときもあったんだよ」
セントバーナードのジョンが聞いてもいないのに話し始めた。
「音が聞こえないのが悲しくて部屋の隅っこでわたしを抱きしめながら泣いたんだ」
なんだ、それ。
ぼくは焼きもちをやきそうになった。
けど、きみが泣いたことの方がぼくを苦しめた。
「でもヴァイオリンをひかなかった日はなかった。そういう強い子だよ」
強い子。
そうなのかな?
ぼくはそれだけヴァイオリンが好きなのだと思った。
ぼくもきみの音が好きだ。
楽譜を見ても音のイメージがわかないきみに「ここは戦士が戦うイメージで力いっぱいひいて」とか「タンポポの綿毛がふうわり空に飛んでいくイメージで」とか根気強く手話や読唇術で伝えるお母さんもすごいけれど、それをちゃんとわかって、ヴァイオリンをひくきみもほんとうにすごいよ!
だって今日なんて本当におひさまの中外に飛び出していきたくなったもの。
ぼくは曲をひき終えたきみの足もとへすりすりしにむかう。
きみはやさしくぼくの背中をなぜてくれた。
そしてたどたどしい声で言う。
「ほんとズッカはあまえんぼう」
ちがうよ。
ぼくはあまえたくてきみのところへいったんじゃない。
きみの音楽に「ありがとう」を伝えたかったんだよ。
ジョンを見てもただきみに近づいただけだったから、やっぱりきみには伝わっていない。
ジョンもきみの音が大好きなんだ。
どうしたらきみが一番大好きなヴァイオリンの音がぼくらも大好きだよって伝わるのだろう。
ぼくはきみになぜられて気持ちよくなりながらも考えた。
ジョンも同じだったらしい。
その夜ぼくらは窓の外を見ながら、そうだんした。
「ねぇ、ジョン。ありさのヴァイオリンをすごいねってほめたいんだけれど、どうしたら伝わる?」
「あるていどは伝わっているのではないかと思うよ。ありさがヴァイオリンをひいているとき必ずわたしらはきいているし」
「でも『すごい!』とか『好き!』とかめちゃくちゃほめたいんだよ~」
「にんげんは「ぱちぱちぱち」とてのひらをたたいて、ほめるみたいだがね。わたしらには音も出せないし、むずかしいだろう」
「はくしゅ?にんげんはこうするのか。だめだ、音が出ないし、なんどもたたけない。むりだ」
「ありさのように耳が聞こえない人たちのあいだでは、手をかたのところでひらひらさせて拍手と同じ意味にするんだ」
「こうか?う~、でっできない」
「わたしらには本当に難しい動作だ」
「そんな~」
「にんげんのことばもわたしらには話せないし、できることはもうしている。あとはお月様にでも頼むしかないよ」
「おつきさまだって?ジョンらしくもない」
「お月様をバカにしちゃいけないよ。わたしはまえお父さんが見ているテレビを一緒に見ていたのだが、人間が満月の夜に狼になったんだ。苦しそうだったけれど、それはわたしが思うに、望んでいなかったからだ。望めばきっと苦しまず変身できる」
「じゃぁ、ぼくらはにんげんになれるの?」
「そうなるかもしれない。お月様は変身させる力をもっているようだから。とりあえず、今日は満月だ、いのってみようじゃあないか」
お月様の金色の光が暗い部屋に届いている。
その光の中をほこりがまって、キラキラしている。
窓からさしている一筋の光がなんだか神ごうしくて、ぼくもいのってみようと思えた。
「おつきさま。いつも一生懸命がんばって練習しているありさのヴァイオリンに拍手したいです。本当にすごいんです。お願いします。ぼくを少しの時間だけでもにんげんにしてください」
ちらっとジョンを見るときちんとお座りしていのっていたようだった。
「なにもおきないね」
「あぁ、なにもおきなんだな」
「やっぱりね。あ~あ、ねよう」
「そうだな。おやすみ。ズッカ―ル」
「おやすみ、ジョン」
これから起きる奇跡も知らぬまま、ぼくらはかたをよせあって眠ったんだ。
朝。
窓から太陽の光が差しこむ。
それはぼくのお腹ではなく、顔をじんわりあたためた。
秋の朝はあまり早くなく、ジョンが起きるころは暗いのにどうして?とジョンがとなりで起きたのをかんじて、不思議に思った。
ジョンが息をのんだが分かった。
「ズッカ―ル。ズッカ、起きてごらん」
声が震えている。
「ジョ……ン?ん?」
そこにいたのは、にんげん。
頭が白くて、白ひげをはやした、本当に優しそうなおじいちゃんだった。
「ズッカ。奇跡が起きたよ」
黄色いシャツに青いベスト、茶色いチェックのパンツを着ているジョンがリビングの鏡を見ておどろいている。
「え?え?ジョン?わっ!ぼくは?」
急いで鏡に自分の姿を映す。
そこには茶髪でどこかいたずらっ子のようなふんいきのTシャツにチノパン姿の青年が映った。
「がぁ。ぼく、子供っぽい」
「はは。まぁまぁ。アメリカンショートヘアの猫っぽいよ」
「ジョンはいいよな~。本当に人がいいのが分かる」
「そんなことよりズッカ。願いが叶った。ありさのところへいこう」
「そうだ!ありさ!」
ぼくは急いでリビングのドアを開けた。
ぴょんと飛び跳ねて開けなくてすむのが新鮮だ。
「あ…れ?」
ドアを開けると、そこは一面の野原。
ところどころにダリアやコスモス、ホトトギスの花が咲いている。
そして、周囲には赤や黄色やオレンジに色づいた森。
さやさやと風にふかれて、ときおり色づいた葉っぱがこちらまで飛んでくる。
真っ青な空がそれらの色を吸い込まないのが不思議なくらいきれいだ。
でも空もぼくらの心を表してくれているかのようにすがすがしかったから、青色のままで正解だと思いなおした。
ちょっと涼しい風にあたりながら、ぼくはヴァイオリンを片手に持ってキョロキョロしている女の子を見つけた。
「ありさ!」
あれ?おかしいぞ。
呼んでも声が出ない。
ジョンとはちゃんと話せたのに。
ぼくはそれでもきみに近づいていった。
二本足で歩くって歩きづらい。
四本足でかけたくなる気持ちをなんとかおさえた。
後ろを向いていたきみのかたにぼくは手をかける。
びくっ。
きみのかたが飛び上がって、後ろを振り向いた。
口がパクパクしている。
でも声が出ない。
「ありさ。ぼくだよ。ズッカだよ」
と言おうとしても、ぼくもやっぱり声が出ない。
まぁいつも何か話そうにも「にぁ」しか言えないから、あまりショックではないんだけれど。
きみも何か言おうとした。
でも声が出ないみたいだ。
ぼくはジョンに「どういうこと?」と言おうとしたけれど、口がきけない。
え~、ジョンとも話せなくなった。
ジョンはそれでもにこにこして、きみの頭をなでた。
きみが初めて笑顔になった。
(くう。ジョン、やるなぁ)
そして、ジョンが優しくきみのかたにヴァイオリンをおいて弓でひくまねをしてみせた。
きみがうれしそうにうなずく。
(ちぇっ、ジョンは賢いよなぁ、見た目も優しそうだしなぁ)
でもぼくはきみの演奏が楽しみなので、そういう気持ちはわすれることにした。
ぼくは目をキラキラさせて、きみとすこしはなれたところにジョンとすわった。
きみがペコリとおじぎをする。
そして深呼吸をした。
ギギ。
野原にどこまでも高くて深い音が広がっていく。
(あっ、この曲ぼくの好きなやつ)
ヴァイオリンだけの音なのに、豊かなハーモニーのように聞こえる不思議な感じ。
ぼくは曲の名前なんておぼえられないけれど、明るさや切ない気持ち、きれいなものをきれいだと思う気持ち、だれかを思う気持ちなんかがよびおこされて、とても好きなんだ。
きみが弓を上に下にと動かす。
そのたびにヴァイオリンから豊かな音が出る。
風もまるでヴァイオリンを楽しんでいるかのようにそよそよとかすかに花や草をゆらして、その音と風景がありさの音にかぶさってすてきな伴奏になっている。
(気持ちいい)
流れるようにひいていくきみを見て、ぼくは胸がいっぱい。
いっぱいいっぱい練習してたもんなぁ。
赤い葉や黄色い葉がきみのまわりをちょろちょろするも、追いかけるたくならないほど、きみのヴァイオリンはぼくのむねをうちぬく。
あぁ、この奇跡をくれたこと、ぼくはちゃんとおつきさまにお礼をいおう。
優しい音色に涙が出そうになる。
ううん、でちゃったよ。
すごい!すごいよ!ほんとうにすごい!
あんな小さな体からこんなほこらしげな音をかなでられるなんて!
あっきみと目があった。
にこっと笑ってくれた。
もうぼくは頭から湯気が出そう。
ジョンがとなりでぼくをつついた。
あっという間の15分間。
ぼくはTシャツのそでで目をごしごししながら、きみをぼ~とみていた。
きみはほっぺを赤くして、やりきった顔をしていた。
あぁ、なんてすてきなんだ。
ジョンがぼくをつつく。
見ると、ジョンはパチパチと拍手をし始めた。
(またもやジョンに先をこされた~)
ぼくもあわてて拍手をする。
これだよ!これ!ぼくらがしたかったの。
ぼくは大げさに何度も何度もはげしく拍手した。
きみはにこりとわらって、お辞儀をした。
あ……れ……?なんかちがうぞ。
あの顔はきみがいちばんうれしいと思ったときの顔じゃあない。
ぼくは考えをめぐらせた。
何が足りない?何がきみをあんな風にした?
はっとした。
ぼくはいそいでまだパチパチと拍手しているジョンをつついた。
そしてかたの上で手をひらひらさせた。
ジョンがうなずいて、同じようにかたのうえで手をひらひらさせはじめる。
きみの顔が花がほころんだようにぱぁっと明るくなって、これ以上はないっていう笑顔をぼくらにむける。
(あぁ、伝わった。最上級の気持ちが伝わった)
ぼくは涙もふかないで、手をひらひらさせ続けた。
突然霧が出てきた。
きみの姿が見えなくなっていく。
(夢の時間がおわるのだな)
どんどん白さが増して、きみが手を差しだす。
その手を握って、ぼくは思わず叫んだ。
「ありさ!きみのヴァイオリンの音が大好きだ!世界中で一番好き!きみのことも!」
声がでた!
ジョンもいう。
「ありさ、いつもすてきな音色をありがとう」
「ズッカ!ジョン!ほんとうにほんとうにありがとう!私もあなたたちのことが大好きよ!」
わぁ、気づいていたんだ!
それに、きみに大好きといわれた!
フワフワした気持ちでいたら、あたりが暗くなった。
そして闇がやってきた。
きづくとおつきさまが西側の窓から顔を出していた。
「あ……れ?」
ジョンと顔を見合わせる。
「ズッカ―ル。ありさの夢を見ていたよ」
「ぼくも」
「にんげんになっていた」
「うん」
「どうやら同じ夢をみていたようだね」
「夢、だったのかな?」
「そうだね。明日ありさの様子で分かるかも」
「いますぐ知りたいけれどがまんする」
「それがいい。もうひと眠りできる時間だ。とりあえず寝よう、ズッカ」
「その前におつきさまにお礼をいおうよ」
「そうだな。ありがとうございます、お月様」
「ありがとうございます、ありさに拍手ができました」
ジョンの寝息が聞こえ始めたけれど、ぼくは眠れなかった。
ジョンとぼくだけの夢だったのかな?それとも……。
ぼくはリビングのドアをきみがあけるのを、ドキドキしながら今か今かと待っている。
おわり
お読みくださり、ありがとうございました!
ありさが作中で弾ている曲は「バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番」です。
難易度が高い曲ですが、ありさは練習して練習してひきこなしました。
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